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お菓子コンテスト編
 1.ふたりのおたずねもの


 壁に貼り出された依頼書に書かれているマルの数は、少年にとって見た事も無い数だった。
「うわ……ホントに百万ゼタって書いてある」
 それも一人につき、である。詳細な情報は一切無し、もちろん相手はどこにいるかも分からないという条件であっても、破格の賞金だ。
「おぬしも依頼を出すように言われておったのではないのか?」
「まあ、爺ちゃんには言われてた気がするけどさ……オイラ、こんな大金持ってないしなぁ」
 確かに旅立ちの前、散々言われたような覚えはある。
 しかし、百ゼタや二百ゼタのちょっとした依頼とはわけが違う。王女の側近として来たタイキならともかく、ダイチのような駆け出しの若者がそんな突拍子もない金額を提示した所で、まともに取り合われるはずもなかった。
「……まあ、そうじゃな」
 それにウィズワールの家の名を出せば、真偽を確認するだけでも時間が掛かる。いずれにしても、依頼を出さないのは当然と言えば当然の話だった。
「そういえばダイチの弟は、ディスがアスディウスだって気付いてないのか?」
 朝食を食べていたマハエの問いに、忍は小さく頷いてみせる。
 ディスは普段から通称でしか名乗っていないし、髪の色も変えている。確かに他愛もない小細工ではあるが、時にはその小細工が有効に働くこともあるのだった。
「まだ気付いていないようですわ。ほらダイチさん、もっとしっかり混ぜないと綺麗に仕上がりませんわよ?」
「おおっと」
 カウンターで片付けをしていた忍に言われ、生地を混ぜていた手に再び力を入れ始めるダイチ。
「のぅ。本気で勝つつもりなのか?」
「当たり前だろ! だって、優勝したらお菓子一年分だぜ?」
「ふむ……」
 まあ、思うだけならタダだし、行動することも決して無駄ではないだろう。
 恐らく最強のライバルとなる相手から教えを請うている段階で、まだまだな気はするが……それでも、一歩踏み出している事には違いない。それに今後の進み方によっては、意外と面白いことになるかもしれなかった。
「ナナもおてつだいする!」
 そんな一生懸命に作業するダイチの様子を見てか、カウンターの隅で暇そうにしていた幼子も少年の元へと近寄ってくる。
「おお、助かる! じゃあ………………どうしようか」
「おいおい。しっかりしろよ」
 まだ自分の作業の段取りも上手く掴めていない有様だ。
 それで今年の大会を乗り切れるのか。苦笑するマハエの代わりに、少年に助け船を出したのは彼の師匠である。
「ナナちゃんはこの木の実の殻を剥いてくださいます?」
「わかった!」
 木の実の入った籠を渡されたナナトはもとの席に陣取って、小さな木の実の殻を剥き始めた。
「モモちゃんもお暇でしたら……」
「ワシは剥いた端から食らうが、良いか?」
 無心に殻剥きを始めるナナトとは違い、モモはその中身がどんな味か知っている。さらに言えば、それがどれだけ手元の酒と合うかもだ。
「ナナがやるの!」
 籠を抱えて答えるナナトに穏やかに微笑んで、モモは籠から手を引くことにする。
「そういえば、今日はアルジェントと一緒じゃないんだな。ナナ」
 モモの魔の手を退け、再び木の実の殻を剥き始めたナナトだが、今日はいつも一緒にいる娘がいない。食事の時も剣の稽古の時も、部屋に戻る時でさえ一緒に居るはずなのに……。
「きょうは、おるすばんなの」
 真剣に木の実の殻との格闘を続けるナナトは、男の方も見る事も無くそう答えるのだった。


 小さなパートナーを酒場に残し。自称『げぼく』の娘は一人、往来のど真ん中にいた。
 目の前にいるのは、大道芸人の二人組だ。両手に剣を構えた男が剣を縦横に振るう中を、十五センチほどの小さな道化がひょいひょいと跳び回っている。
「……堂々としたものね。千年のアリス」
 軽業師としてはそれほど珍しくもない芸当だが……よく見れば、男の構える剣は触れるだけで切れるほどに刃が研ぎ澄まされているし、道化の軌道はそのスレスレを駆け抜けるもの。もとより安全な芸ではないが、彼女達のそれは通常のそれよりもはるかに危険度が高く、また技量の求められるものだった。
「凄いと思ったのなら、おひねりで表現してください」
 アルジェントの言葉に、マッドハッターの刃も、アリスの軌道も小揺るぎもしない。刃に触れる半瞬前に軌道を変え、触れれば貫かれる程に尖った剣先で、音も無く倒立してみせる。
 互いに少しでも心の乱れがあれば、見誤った瞬間にアリスの体は真っ二つになっているはずだ。
「…………」
 僅かなためらいの後、籠の中に落ちるのは青銅で作られた小さな貨幣が一枚。
「半ゼタですか。今晩のマッドハッターの食事代にもなりませんね」
「……あなた達、それだけの力を持っているのに、なぜあの老人達に力を貸すの?」
 もう一枚、銅の少しだけ大きな貨幣を放り込みながら、アルジェントは重ねて問いかける。
「さあ。それを探索するのが、冒険者のお仕事じゃないんですか?」
 老人という言葉が出た瞬間、アリスの舞う軌道が、紙一重から指一本の距離へと変わった。マッドハッターの剣の速度は変わらないから、その言葉を気に留めたのはアリスだけ。
「なら聞くけれど、仮宮の地下にある姫とシャーロットの新しい体も、貴方たちが手配したのでしょう?」
 それは以前、アシュヴィンが目にしたものだ。
 丘の上のノアの仮宿。非常用の脱出口が繋がる地下室には、二つの棺が置かれているのだという。その中に眠るのは……。
「仮宮の地下って……不法侵入はいただけませんね。兵士、呼んでいいですか?」
「呼んでも誰もそんなこと信じないでしょ」
 何か盗んで出たのならともかく、証拠などは何もない。そもそも仮宮の地下に姫の体が眠っていると言った所で、アルジェントの頭がおかしくなったと思われるだけだ。
「……それとも地下のそれを皆に見せて、私が仮宮に不法侵入した証拠にする?」
 そうなれば、事態は別の動きを見せる事になる。いずれにしても、アルジェントの不利にはならないはずだ。
「別にこの街の警備兵じゃなくて、仮宮の兵士でいいんですよ? 事情説明も面倒ですし」
「それはそれで構わないけれど?」
 少なくとも、この往来での逮捕劇は小さな街にあっという間に広まるだろう。
 今欲しいのはまず相手の動きなのだ。それが何であれ、停滞している今から次の一手を打つ布石になる事は間違いない。
「その大胆な交渉術は、御身に宿した神とやらの入れ知恵ですか。ノア・エイン・ゼーランディア殿下」
「やっぱり知っているのね。あれの正体も」
「まあ、久しぶりに面白いやり取りでしたから……一つだけ教えてあげましょう」
 マッドハッターの剣が止まり、小さな道化は垂直に立った刃の上に音も無く舞い降りる。
 僅かでも重心をずらせば自身の重みで真っ二つになってしまいそうなバランスの中。彼女はソファーに身を沈めているかのような優雅さで、微笑んでいるだけだ。
「古代主義者ってご存じですか?」
「古代文明の信奉者……あの老人達が、そうだと?」
 古代の技術を盲信し、その復興と回復に心血を注ぐ連中達の総称だ。とはいえ技術の発展に力を注ぐのは間違ったことではないし、現に技術国家である夜空の国や山岳の国で古代主義を唱える者達は、さして珍しいわけでもない。
「もっとも、この情報が正しいかどうかなんて、それこそ私も知りませんけどね」
 剣を納めたマッドハッターの肩に飛び乗ると、そう言い残して二人の道化は静かに雑踏の中へと消えて行く。


 昼食時を過ぎても、ダイチのお菓子特訓は続いていた。
 さすがにナナトは木の実剥きにも飽きて二階で昼寝をしていたが……生地を練る手は、止まる気配も見せないままだ。
「そういえば、忍はどんなお菓子にするんだ? これじゃないんだろ?」
 まさかダイチのお菓子に被せてくることはないだろう。
「ふふっ。それは当日のお楽しみですわ」
「まあ、ターニャもおるしの。言えるはずもなかろう」
 ちょうど店には、遅い昼食を食べに来たターニャの姿もあった。
 毎年忍と並び、優勝候補の一角と目されている彼女の前で……わざわざ手の内を明かすことはない。
「じゃあターニャは何作るの?」
 そんなダイチの質問は、驚くほどにシンプルなものだった。
「それはナイショだよ。ねぇ」
「ですわ」
 既にそれぞれの戦いは始まっているのだ。それはお菓子作りを習い始めたばかりのダイチも、その頂で秘儀を尽くし合う二人も、程度の差はあれ何ら変わる所はない。
「みんな大変ねぇ」
 そんな激しい戦いを横目に、静かにコーヒーを口にする姿が一人いた。
「そういうミスティさんも出るんでしょ? 今年も」
「出るわよ。審査員やりたいし」
 ミスティの目的は、勝利を目指す他の一同とは少し違う。
 大会の参加者は、同時に一般審査員の資格……即ち、試食する権利も与えられる。大会参加者の中には、勝利を目的とするわけではなく、この試食を目的に参加する者も少なからずいるのだ。
「ミスティ。今年も手伝わせてくれ」
 それは、モモも同じだった。
 去年はミスティの手伝いとして、多くの新たなお菓子を楽しんだのだ。今年も同じように、試食だけする気まんまんである。
「手伝いはまあ歓迎だけど……知らないの?」
「何がじゃ」
「今年は一チームに一つしか、試食用のお菓子出ないのよ?」
 去年までは、参加チームのメンバー全員に試食用のお菓子が配られていたのだ。しかし回を重ねるごとに参加チーム……ひいては、モモのように試食目的でのみチームに参加する者達も増え、一部で製作量が多すぎると問題になっていたのである。
 それを解決する方法として、今回は実験的に新たなルールが導入されたわけなのだが……。
「だから、手伝ってくれるだけなら歓迎するけど……お菓子はあたしが食べるからね」
「それでは手伝い損ではないか。ワシはお菓子を食べるためだけに参加するのじゃぞ?」
「言い切った……」
「言い切りましたわね」
 ミスティがお菓子のために参加すると言っている以上、ミスティのチームに参加しても意味は無い。もちろん、この場にいる他の参加者を頼っても状況は同じだろう。
「で、ミスティは何作るんだ?」
「内緒」
 呆然としているモモ以外は、さらりとミスティが口にしたその言葉に、沈黙だけしか返せない。
「……ミスティの内緒は怖いな」
 やがて誰かが口にしたのは、そんな感想だ。
「まさか、火薬を入れた火薬ご飯とか……」
「そもそもそれってお菓子じゃないじゃない」
「火薬を使うとこを否定してよ……」
 普段やっている事がやっている事だけに、他にも罠だの魔法薬だの爆弾だの、物騒な『内緒』しか思い浮かんでこなかった。
 そんな嫌な沈黙の流れた店に、響き渡るのは扉を開ける音だ。
「……ミスティ」
 入ってきたのは、見上げるばかりの巨漢である。大剣を背負ったその男は、ダイチにはあまり見覚えのない顔だ。
「あら。どうしたの? こんな所に」
 どうやらミスティの知り合いらしい。忍たちガディアが長い面々も慣れた様子である所を見ると、彼女達も知っている相手なのだろう。
「薬を受け取りに行ったら、ここだと貼り紙があった」
「ああそうか。来る頃だろうと思って持ってきてあるんだった。はいこれ」
 そう言ってミスティが取り出したのは、小さな袋だった。貴重な物なのか、巨漢はそれを受け取ると、背負っていた袋の中に大事そうに納めてみせる。
「けど最近、量が増えてない? あたしが心配する所じゃないんだろうけどさ」
「大丈夫だ。問題ない」
 女性の言葉にも、男は短くそう答えるだけだ。
「……あの人は?」
「アギのお兄さん。ダイチは会うの、初めてだっけ?」
 小柄で細身の、女の子にしか見えないアギとは、共通点がどこにもない。
 強いて言えば髪の毛の色は似ていたが……せいぜい、その程度だ。
「全然似てないなぁ……」
「まあ、色々あってね……」
 あまりに正直すぎる感想に、ミスティも思わず苦笑いしてみせるしかないのだった。


続劇

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