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27.射貫くものの対価

 全力で駆ける事、ほんの十メートルほど。
「これは……」
 崩れ落ちた暗殺竜は、生命力を吸い尽くされて、見るも無惨な有様となっていた。
 冒険者の刃を弾き返した鱗はフィーヱの蹴り一つでボロボロと崩れ落ち、一瞬で彼我の間合を詰める強力な手足も既に崩壊が始まっている。
 口元にべったりとこびり付いた鮮血は、最初の犠牲者である新米か、それとも赤髭のものか。
 気配を殺したままさらに進めば……。
「あら。お昼に暗殺竜から逃げ回ってたルードじゃありませんか?」
 掛けられた声は、背後から。
 それも、限りなく密着に近い距離だ。
「……あんたがアリスか」
 気配はおろか、空気の動きさえ感じなかった。あれだけ大きな飛翔翼を背負っているはずなのに、だ。
「有名になりましたね、私も。名前は名乗らない主義なんですけど」
「ああ、有名だぜ。俺達の命を吸い取って千年生きても、まだ生き足りない欲張りだって」
 背中に短剣の切っ先を感じながら、務めて冷静に言葉を紡ぐ。
 実力の差が圧倒的なのは、戦いを見守っていた時から理解している。故に言葉で負けを認めないのは、彼女に残された意地であった。
 だがそんなフィーヱの強がりを、アリスは鼻で笑うだけ。
「そんな事を言うようだから、いつまで経ってもダメなんですよ。取扱説明書、読みましたか?」
「……何?」
「ルードとビークの正しい使い方……ですよ」
 ゆっくりと伸ばされた手が、フィーヱを背後から抱きすくめてくる。背中に当たる短剣は無く、隙だらけのハズなのだが……その状態でもなお、フィーヱは彼女に対しての勝機を見いだせずにいる。
「間違ってるのは、俺達とでも?」
「使い方なんてその時代で変わるものではありますけど。変わるだけならともかく、本来の使い方を忘れちゃねぇ……」
 這い回る両手は胸元から腹を過ぎ、腰へ。
「あら。こんな所に貴晶石が二つ……」
「……触るなッ!」
 反射的に身をよじり、アリスの束縛を振りほどいた。ワンステップで間合を取って、右腕のビークを構え直す。
(振りほどけた……いや、振りほどかせてもらえたのか……?)
 けれど、そんな思考もアリスの次の言葉の前には、一瞬で吹き飛んでいた。
「ああ、もしかして、あの時の」
「覚えてるのか! シヲのことッ!」
 この瞬間にアリスに飛びかからなかったのは、自制ではなく本能が動きを止めたが故だ。
「ええと、いつの事でしたっけ?」
「……なに?」
 先ほどの物言いは、明らかにこちらの事を知っているような言い方だったはず。
「便利なんですよ。仇討ちに来たルードかどうか、だいたいこれで分かりますから。……名前は聞かない主義なので、名乗られても知らないんですけどね」
「貴様ぁ……ッ!」
 くすくすと笑う金髪のルードに、フィーヱは必死で拳を握りしめ、奥歯を噛み締める。
 ここで戦っても、絶対に勝てない。ここでフィーヱが死ねば、無駄死になだけではなく、シヲとの再会も果たせなくなってしまう。
「そっか……そうね、なるほどね……」
 自らを全力で押し留めるフィーヱの様子をくすくすと笑いながら眺めていたアリスだが、やがて懐から何かを取り出すと、フィーヱに向けてひょいと放り投げた。
「っ!」
 反射的に受け取ったそれは、ルードの握り拳大の貴石である。暗闇に光条を残す、暗殺竜の瞳色のそれは……。
「じゃあ、竜を引き付けてくれてたお駄賃に、それは差し上げましょう。機会があったら、ルードとビークの正しい使い方……教えてあげられるかもしれませんしね」
 そう言い終えた時には金髪のルードはその場にはいない。
 一瞬で視界の果てまで上昇し、そのまま雲を曳いて南へと駆け抜けて行く。
「…………馬鹿にしてっ!」
 フィーヱが忌々しげに吐き捨てられたのは、体の緊張が抜けて、しばらくしてからの事だった。


 山岳遺跡を見下ろす丘の上。
「戻ってきませんね」
 玩具のような白亜の街並みを眺めながら、ヒューゴは小さく言葉を紡ぐ。
「フィーヱさん……大丈夫ですかね……」
 街の北部から何かが急上昇し、南に向かって翔んでいったのはしばらく前の事。それを最後に、山岳遺跡の動きは何もない。
 それからさらに時間が過ぎて、偵察を出そうと決めたその時だ。
「……戻ったぞ」
 現われたのは、血だらけの黒いマントの少女。
「フィーヱ、心配したぞ!」
「どうだった? 大丈夫?」
「暗殺竜はあのルードと人間が仕留めた。奴らもどこかに行ったし、荷物を取りに戻るなら、今しかないと……」
 紡ぐ言葉は最低限だ。細かな報告をするには、まだ頭が回っていなさすぎる。
「思………う………」
 そして、舞い降りたルービィの手の上。
 十五センチの小さな体が、糸が切れたように崩れ落ちる。
「フィーヱ?」
「……眠ってますね」
 圧倒的な強敵との対峙を終えて、緊張が途切れたのだろう。ルービィの手の中、フィーヱは小さく寝息を立てている。
 遠征中は夜も周辺の警戒でまともに休んでいなかったようだし、今日は一日暗殺竜の誘導で走り回っていた。その上最後にアリスとの対決となれば、倒れない方が不思議なほどだ。
「では、我々も急いで荷物を取りに戻りましょう。念のため、打ち合わせ通りに警戒班が先行してください」
 余裕があれば赤髭の老爺も連れ帰りたい所だが、さすがにそれだけの余裕は無いだろう。
 フィーヱに看取られた事と持ち帰られた貴晶石で、その代わりとするしかない。
「もう帰るの?」
 既に太陽は中天を過ぎている。例の中継点に向かうには中途半端な時間だし、かといってガディアに戻る頃には真夜中になってしまうだろう。
「暗殺竜はつがいで動く事も多いですから。今は一秒でも早く、この場を離れた方が良い」
 さらに言えば、夜の暗殺竜の危険度は昼間のそれとは比べものにならない。アリスもどこかに行ってしまった今、彼等の最善の選択肢は、撤退の一手なのだった。


続劇

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