25.マッド・ハッター
屋敷に戻った侍従長が問うたのは、王女とその侍従が、使えるはずのない武器を使いこなした事だった。
王女も確かに短剣の技を学んではいるが、儀礼的な動きを多分に含んだものだ。今日の王女が使ったほどに実戦特化の技ではない。
宮廷魔術師が自らの杖を槍代わりに使うなど、論外である。
「事情を説明なさい。タイキ・ウィズワール」
「全部……オイラが悪いんです」
タイキ……いや、ダイチは、そう呟いて小さく頭を下げるだけ。
「ダイチ……確か、タイキの双子の兄君でしたね」
ウィズワール家の資料では、冒険者として野に下っているとあった。先日初めてガディアに来た時に見かけた時は、特に感慨も抱かなかったが……確かにこうして服装を変えれば、弟にそっくりだ。
「オイラ、タイキにゆっくり休んで欲しくて……こっそり入れ替われば、バレないだろうって……」
「バレるに決まってるでしょ……」
確かに、大まかな振る舞いは気付かれていないようだった。だが、料理をじっと見ていたり、いつもの口調を口走りそうになったりと、見ているこちらがヒヤヒヤする場面も少なくはない。
今までシャーロットが何も言わなかったのは、気付いても放っておいただけではないかと思うほどに。
「今は貴方たち兄弟の事を聞いているのではありません。本物の殿下はいずこに?」
その問いには、ダイチはうつむき、言葉を紡ぐ様子もない。どうやらタイキと入れ替わった件と、姫と入れ替わった件は別のようだった。
「何とか言いなさい。ダイチ・ウィズワール!」
だが、叱責するシャーロットの言葉を遮ったのは、傍らに立つ細い腕。
「顔を見れば分かるでしょう、シャーロット。私が……三人目ではなく、ノア・エイン・ゼーランディア殿下のオリジナルだと」
恐らくそれも想定の内に入っていたのだろう。和装の侍従長が表情を変える事はない。
「貴女が何者か、今は問いません。本物の殿下は今どこに?」
「話しなさい、貴方たちの目的を。この私に神を降ろし、クローンのノアを作った理由を。……そうすれば、殿下の居場所を話しましょう」
アルジェントの言葉に、シャーロットは答えを返さない。
沈黙を守るシャーロット。
答えを待つアルジェント。
そして、うつむいたままのダイチ。
やがて。
「…………もう結構です。今回の件はどちらも不問にしますから、出て行きなさい」
アルジェントと入れ替わったという事で、おおよその場所の見当は付いているのだろう。結局シャーロットは、最後までアルジェントの問いに答える事はないのであった。
木々の間を駆けるのは、黒い影。
龍のブレスの直撃を受けた髪と服はあちこち焼け焦げ、文字通り幽鬼の如き様相を呈していたが、その足どりには一片の乱れもない。
けれどその内に渦巻く思いは、今まで以上の怒りと混乱、そして憎しみに彩られている。
そんな血走った目の幽鬼が、足を止めた。
僅かに広場になった場所。
その隙を見逃すことなく上空から舞い降りてくるのは、黒い翼だ。
「旦那様。どうして、こんな事ヲ……」
答えはない。
「やはり貴方は、旦那様デハないのデスカ……」
昨夜整えたばかりの髪は、その後の逃走とモモのブレスで、既に無残な有様となっている。そこから覗く瞳に宿るのは……強き憎悪の緋い色。
「ナラバ、仕方ありまセン」
諦めたように首を振り、ゆっくりと構えを取る。
本物か、偽物か。正体はついぞ分からないままだったが、少なくとも王女たちに害をなす存在だった事は間違いない。
であれば……。
「ッ!?」
その、刹那だ。
構えを取り終わるか、否か。
その一瞬で、幽鬼の姿は既にアシュヴィンの眼前にある。ほとんどノーモーションで突き込まれた拳を慌てて両手でガードすれば。
響き渡るのは、大砲の如き炸裂音だ。
「が……は……ッ!?」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
ようやく理解出来たのは、太い木の幹に叩き付けられている事と、ガードに回した左腕の感覚がおかしい事だけだ。
(この一撃は……ッ)
似た一撃を、アシュヴィンは知っていた。
砲撃の如き拳の一撃。五メートルの巨大蟹さえ浮き上がらせる、必殺の拳。
彼の知る若き使い手は、正確な呼気と振りかぶる動作から繰り出していたが……目の前の幽鬼は、それを普通の拳打よりも小さな動きで解き放った。
「……………」
ゆっくりと迫り来るのは、焼け焦げた衣装をまとう幽鬼。
折れたらしき左腕は使えず、衝撃は体に残ったまま。
直撃が来れば、今のアシュヴィンに防ぐ術は……恐らく、ない。
「ああ、やっと見つけた」
だが、そんな青年と幽鬼の間に舞い降りてきたのは、十五センチの小さな姿だった。背中の機械式の翼を畳み、その場に音もなく着地する。
「探したんですよー」
この状況を理解しているのか、いないのか。
翼と小さな肩鎧を身に付けたそのルードは、長い金髪を優雅に揺らし。喫茶店で待ち合わせの友人を見つけたかのような気楽な口調で、幽鬼に向けて語りかける。
「ああ、そんな怖い目で見ないでくださいよ。私は貴方の味方なんですから。わかりますかー? み・か・た」
おどけるような物言いに、幽鬼は沈黙を守ったまま。
目の前の十五センチの娘が本当に味方なのか、値踏みするようにその場に立っているだけだ。
「貴女……ハ………」
代わりに掛けられたのは、彼女の背後から。
だがアシュヴィンに振り向いた金髪のルードが浮かべているのは、露骨な不快の表情だった。
「人の話に割り込むなんて、失礼なかたですね。……すいません、先にこっち片付けちゃいますね」
沈黙の幽鬼は動かぬまま。
その様子に小さく鼻を鳴らし、金髪のルードが構えるのは肘ほどの長さのショートソードだ。中央に拳大の穴が開いているという事は、それが彼女のビークなのだろう。
「……龍族なら、ちょっとはいい貴晶石になってくださいよ? もちろん、重晶石になってくれれば大歓迎ですけど」
左肩だけを覆う肩鎧を軽く鳴らし、金髪のルードは静かに一歩を踏み出して。
「いました!」
「アシュヴィンさん!」
振り上げたショートソードを止めたのは、森に響く二つの声を聞いたが故だ。
「あら。お友達ですか」
状況を気付いたのだろう。やってきたターニャはその場でボウガンを構え、アギも足を止めている。ターニャは射撃、アギは超加速で、どちらも即座に攻撃に移れる体勢だ。
「でも残念。貴晶石が三つになるだけ……」
そんな彼女の頭上に差すのは、大きな影。
いや、紅蓮の炎をまとうそれは、影ではなく光の源となる。
「アリスぅぅぅぅぅっ!」
街の隅とはいえ、森の中だ。先日の行列の中にいた時のように、自らを抑える必要はない。
全開にしてもなお足らぬ。心の底からの咆哮と共に、許す事の出来ぬ怨敵に向けて全霊の一撃を叩き付ける。
「…………だから、人の話に割り込むのは失礼だって言ってるでしょう!」
跳ね返すのは、苛立ち紛れの叱咤の一声。
ビークに開いた中央の穴に、一瞬何かの輝きが生まれ……それをそのまま振り抜けば、解き放たれるのは光の鞭打の奔流だ。
「がぁあっ!」
ほんの数打で紅蓮の炎を打ち散らされて、そのままコウは吹き飛ばされる。十五センチの彼女の体が一気に破壊されなかったのは、アリスが残る力を死角から放たれた雷のブレスとボウガンの迎撃に回したからだ。
「全く、ここは礼儀知らずばかりですね!」
続けざまにビークの中央に浮かぶ、一瞬の輝き。そこから燃え上がった黒い炎を身にまとえば……炎の色は、さらに強い青へと変わる。
「さっきの技……確か、こんな感じでしたっけ? ……誰が使ったかは覚えてませんけど」
短い気合の発声と共に蒼い炎の弾丸となったアリスは、さらに撃ち込まれたボウガンの掃射を薙ぎ払い、そのままの勢いで周囲の敵を一瞬で吹き飛ばす。
蒼い炎を解除すれば、周囲に動く……動ける敵は残っていない。
退屈したようにため息を一つ吐き、ショートソードを鞘へと収める。
「面倒だからもう行きましょう。ええっと……」
そこまで言って、アリスは言葉を僅かに止めた。
「……名前が無いのも呼びにくいですね。そうですね、貴方は今日から、マッドハッターと呼びましょう」
「…………?」
「どうです? 良い名前でしょう?」
アリスは幽鬼……否、マッドハッターと呼んだ人物に向けてへにゃりと微笑むと、左肩を覆う肩鎧を外し、マッドハッターに向けて放り投げた。
腕を通してまとう形のそれは、ルードの肩を離れれば……人間サイズの指輪という本当の役割を取り戻す。
それは、アシュヴィンの記憶にもあるものだ。
「さあ、行きましょうマッドハッター。それの使い方は分かりますよね?」
「俺…………の………………」
途切れ途切れな虫食いの記憶。繋がりも何も分からぬその中に、確かにその指輪の姿はあった。
「ええ、貴方の物です。……オリジナルの物なんだから、クローンの物にしちゃってもいいと思いますよ?」
アリスの言葉に小さく頷き、指輪を嵌めて眼を閉じる。
集中と同時にマッドハッターの小太りな体躯が浮かび上がったのは、指輪に飛行の魔法が封じられているからだ。それを満足そうに見届けて、アリスも背中の翼を起動させる。
「急げば、昼までには目的地に着くはずです。飛びますよ!」
「待ってクダサイ!」
朝の空へと消えていく二つの影に、アシュヴィンの声は届かない。
動けない一同の元に他の仲間が駆けつけるまでには、それからもう暫くの時を待つ事になる。
続劇
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