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21.願わずにいた、悲劇

 目の前にいたのは、人のカタチをしたものだ。
 途切れ途切れの記憶の中に見つけたその正体は、かつて自分に傅いていた男だと、おぼろげながらに理解する。
 故に問う。
 己は誰だと。
 何をすべきなのかと。
 だが歪んだ視界の向こう、そいつは自分に向けて拳を構え。
 瞳を灼き尽くす閃光の中、全身を砕くのは打ち付けられた一撃だ。体がくの字に折れ曲がり、迷いが、意識が、苦しみが、力任せに吹き飛ばされる。
 混濁したそいつの意識は、それを拒絶と理解する。
 やはり拒絶。
 やはり拒絶。
 やはり拒絶。
 その先にはやはり、至れぬ。形に出来ぬ問い掛けは、力任せの一撃で打ち砕かれる。
 回りの全ては敵、敵………………敵!


 三日目の朝。
「またいなくなった!? 誰が」
 朝一番の報告に、ヒューゴはその耳を疑っていた。
「赤髭の爺さんだよ。朝起きたら、いなくなってたって」
 カイルも連絡に来た冒険者も、よく知る男だ。ガディアに古くからいる冒険者の一人で、伸び放題の赤毛の髭がトレードマークの好好爺である。
「あのご老体に限って、二重遭難とも思えませんが……」
 ヒューゴも何度か調査で一緒になったことがある。だが赤髭は古株だけあって慎重な性格で、とてもそんな暴挙に出るようには思えなかったのだが……。
「不寝番はいたんじゃないのか?」
「僕の担当の時間には誰も通りませんでしたよ」
 ルービィも一緒にいたから、ヒューゴの勘違いという事はないはずだ。昨日の他の不寝番を呼べば、やはり大きな動きは無かったという。
「爺さん、確か盗賊の技が使えたよな」
 言われてみれば、そんな心当たりがある。
 確かにその技を使えば、不寝番に気付かれずにこっそり外に出る事など、造作もないはずだ。
「後はフィーヱさんが周囲の偵察に出て……」
 そこで、一同は気が付いた。
 赤髭だけではない。フィーヱの姿もないという事を。
「そういえば、昨日も一昨日もあのルード、夜はどこかに出てたよな……」
「昼の調査中にも、結構いなくなってる事が多かった気が……」
 辺りを包むのは、どこかおかしな雰囲気だ。
 カイルからの視線を一瞥すると、ヒューゴは力一杯手を叩き、一同の視線を集中させる。
「ともかく、皆さんも一人では動かないでください。調査と三人の捜索は続けますが、警戒を怠らないように」


 朝の光が、納屋の窓から差し込んでくる。
 穏やかな温もりを持つそれに、マハエは大きなあくびをひとつ。
「こうやってみると、キチンとした貴族様なんだよなぁ……」
 幽霊は逃げたり暴れたりしないよう、太いロープで縛られてはいたが、アシュヴィンによってきちんとした身なりに整えられていた。
 乱れた髪を梳き、髭を剃って服装を改めれば、確かに貴族の風格が感じられる……気がした。
「大丈夫か、マハエ」
「大丈夫……って言いたい所だけど、流石にこうも徹夜が続くと昼寝しててもキツいな」
 探知の技で気力を使い果たしたアギは、『月の大樹』の一室で眠っている。ターニャは明日の仕込みのために帰ってしまった。
 アシュヴィンも明日の早朝から用事があるらしく、自室で仮眠の最中だ。幽霊の正体が本物の主なのか、それとも偽物なのかが分からない今、容易く休めるものではないだろうが……。
「それに、今夜は色々ありすぎたしな……」
 幽霊の件だけではない。探索の間は考えないようにしていたが、その前に酒場で起きた件も普段からすれば一大事だ。
「素直に年と言え」
「うるせえ。……ちょっと、顔洗ってくるわ」
 混ぜっ返すディスにそう言い返し、マハエはゆっくりと立ち上がる。
「そのまま寝ても良いぞ」
 答えの代わりに小さく手を上げ、外の井戸へ。
「ふむ。寝ねば動けぬ、寝過ぎれば動けぬと、人間というのは不便なものじゃな」
 そんな苦笑いを浮かべるディスの視界が、ぐらりと揺れた。
「………む?」
 訪れるのは急激な眠気。
 魔晶石は先ほど摂ったから、エネルギーは足りているはず。それにエネルギー不足の眠気は、もっとゆっくりと訪れるはず。
 その症状は、かつてアリスを捜して現われたルードの最期と同じ物で……。
「まさか……。いや、待て……ッ!」
 せめて、マハエが戻ってくるまでは。
 暗転する視界の向こう。
 瞳を開く縛られた男と目が合ったのは、一瞬の事。


「幽霊が逃げた!?」
 『月の大樹』の納屋に駆け込んできたアギが見たのは、引き千切られたロープと、立ち尽くす他の面々の姿だった。
「……すまぬ。わらわのミスじゃ」
「俺も席を外したのが悪かった」
 呟くのはディスとマハエの二人だ。
 番をしていたマハエが席を外した間に、ディスがついつい居眠りをしてしまい……その一瞬を突かれたのだという。
「でも、このロープを?」
 落ちていたそれを引っ張ってみるが、アギの力で千切るのは無理そうだった。
 盗賊の使う縄抜けの技や、刃物を忍ばせていたなら分かる。だがロープは切り裂かれたわけではなく、明らかに力任せにちぎられていた。いくら力のある男でも、縛られている状態でそうそう出来る事ではない。
 ましてや、相手はさして力もなさそうな、貴族の男である。
「起きた事は仕方ありませんよ。とにかく、幽霊を探さないと!」


続劇

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