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8.その内に あるもの

 スピラ・カナンにおいて食料の運搬に使われるのは、木箱や樽、少量の物なら籠である。
 少なくとも、金属の筺が使われる事はない。加工するには費用が掛かりすぎるし、第一重い。馬での輸送が中心となる陸路では、なおさらだ。
「マサカ……」
 だが、その可能性がたった一つだけ、ある。
「これが、噂に聞くレイゾウコというものデハ……!」
 それは古代の遺産の一つ。氷や魔法で冷やすよりはるかに高精度に、対象を冷却・保存出来ると言われる、まさしく夢の機械。
 アシュヴィンも王都の巨大な酒場で小さな物を幾つか見た事があるだけで、実際に触れた事はない。
 それが、目の前に二つもある!
 思わず近付き……。
「……オヤ?」
 期待に震えたその声は、ある一点で落胆の声に変わる。
「コレハ……棺?」
 二メートルほどの金属の筺は、大半が布に覆われていたためそれとは気付かなかった。
 けれどよく見れば、ガディアでも稀に見つかる古代人の眠るそれと同じ形ではないか。
「…………」
 古代人の眠る二つのそれ。
 一体誰が眠っているのか。興味に駆られたアシュヴィンが、掛けられた布をわずかにずらして窓を覗き込めば。
 そこに眠るのは……。


 正面の大階段ではなく、使用人用の裏の階段で二階へ。覚えている通りに廊下を進み……。
「ナナ、こっちに」
 後ろに続く幼子と共に、人の気配のない部屋へ身を滑り込ませる。
 扉の隙間から外をう伺っていれば、廊下を歩いて行ったのは、草原の国の衣装をまとった小柄な少年だった。
「おにいちゃん?」
(……何でダイチがこんな所に?)
 雰囲気が少し違っていた気もするが、一瞬の事なので確実な事は分からない。衣装のせいだろうか。
「行くの?」
「もうちょっと、待って」
 ナナトの口元を押さえ、息を殺していれば……やがて廊下を歩いて行くのは、草原の国の騎士達だ。
 気配が完全に消えたのを確かめて、再び廊下へ。
(あなた、神様っていうよりは、盗賊みたいね)
 アルジェントの内から聞こえる『声』。実のところ彼女も、それに従って進んでいるだけだ。
 けれどその導きがなければ、警戒厳重なこの屋敷内をここまで進む事は不可能だっただろう。少なくとも、先ほどの騎士が近付いてくる事は、彼女は気付かなかった。
(似たようなもの? でもあなたは、神……なのでしょう?)
 アルジェントの問いに、内なる声は答えない。姿も見えぬ、声のみの存在だが……その気配は、確かに彼女の内にある。
「ねー」
 そんな彼女が意識を元に戻したのは、マントの裾を引く小さな手があったからだ。
「え、ええ。……そうね。まずは、ノア姫に会いに行くのよね」
 今すべきことと、出来る事を間違えてはならない。
 今すべきは、まずはノア姫の部屋に辿り着き、彼と姫を会わせることだ。
 そして……。


 正門に戻ってきたのは、先ほどリントをつまみ出した騎士服の男だった。
「ダイチ殿、タイキ様の確認が取れました。応接間までご案内します」
「ありがと。……あ、リントは連れだから大丈夫」
 ダイチと共に屋敷の中へ歩き出したリントを、騎士はちらりと一瞥するが……ダイチの言葉でその視線を元に戻す。
「……ダイチ、もしかしてスゴい奴だったのか?」
 リント一人ではあっさりとつまみ出された屋敷の中へ、今は堂々と入っているのだ。これをすごいと言わずして何と言おう。
「すごいのはオイラじゃなくて、タイキだよ」
 草原の国の王族に付き、行く先々の天候を統べるのはウィズワールの家業である。それ故に、誰かが付いてくるだろうとは思っていたが……まさか双子の弟が来るとは思わなかった。
「じゃあダイチも、魔法が使えるのか?」
 ダイチが槍を振り回して突っ込んでいるのはいつもの事だが、魔法を使っている所は見た事がない。もし魔法が使えるなら、槍と組み合わせてもっと多彩な戦い方が出来るはずだが。
「オイラは使えないよ。才能無くってさー」
 からからと笑い、ダイチはリントの問いを否定する。
 言葉と共に背中の槍を指そうとするが、入口で武器の類は預けてしまった事を思い出し……行き場のない手をひらひらと振ってみせるだけだ。
「でもとにかく、これで姫様にも会えるのだ! 写真も撮りまくりなのだ!」
 魔法の反応もなかったからか、幸いにも入口でカメラが取り上げられる事はなかった。行列の時は良い場所が確保出来なかったから一枚の写真も撮れずにいたが、ダイチのおかげで依頼も見事達成である。
 だが、浮かれるリントにダイチはさすがに苦笑い。
「え? 姫様にそんなホイホイ会えるわけないじゃん」
 今日は弟に会いに来ただけだ。弟の紹介で会えない事もないだろうが、このタイミングでそこまで弟に手間を掛けさせる気にはならない。
「にゃにー!」
 放心状態のリントを放っておいて、ダイチは指示された応接間に足を踏み入れる。


 ノックの後に返ってきた声に、アルジェントは部屋の中へと足を踏み入れた。
「失礼いたします」
 以前は屋敷の主たる貴族の部屋だった場所である。もっともかつての華美な装飾は取り払われ、草原の国に多い持ち運び式の家具が少々並べられているだけだったが。
 がらんとした部屋は、大陸第二の大国の姫君の居室にしては驚くほどに簡素と言えた。
「……どなた? シャーロットかリデルの使いですか?」
 赤い瞳でフードを目深に被ったアルジェントの姿を確かめるや、銀の髪を揺らして小さな椅子から立ち上がってみせる。
「いえ、そのどちらでもありません。プリンセス・ノア」
 その言葉に、姫君は腰に佩びた剣にそっと手を掛けた。いまだ護衛を呼ばぬのは、剣の腕に自信があるからか、それとも相手の真意と正体を確かめたいが故か。
 だが、アルジェントのマントの影から現われた姿を見た途端、ノアは剣の柄を手放した。
「ナナト!」
「げぼくだー!」
 ぱたぱたと駆け寄ってきた幼子を、力一杯抱きしめる。
「……ナナト? ナナじゃないの?」
「ナナはナナだよ?」
 定番のやり取りなのだろう。アルジェントの問いに真面目に返すナナトに、ノアは思わず吹き出してみせる。
「ナナトと呼んでいたのだけれど、この子ったら、結局ナナとしか覚えなかったの」
 ナナトが初めてガディアに来た時から、ずっとナナとしか名乗っていなかった。だから本名もナナだと思っていたのだが……どうやらそうではなかったらしい。
「シャーロットから出て行ったって聞いて……心配していたのよ! 良かった!」
 心の底からの笑顔を見せ、小さな体をもう一度きゅっと抱きしめる。
「げぼく、死んだって思ってたけど、大丈夫だったの?」
 抱かれるがままのナナトの無邪気な問いに、それを見守っていたアルジェントは僅かに身を固くした。問われたノアも、困ったような表情を浮かべ……。
「大丈夫じゃ……なかったけど……。うーん、大丈夫だって言って良いのかな……?」
 とはいえ現在のノアは、ナナトをちゃんと知っている。少なくとも、ナナトの言っていた『げぼく』である事は間違いないらしい。
 困り顔のプリンセスは、助けを求めるように視線を泳がせ……やがて、その一点で視線を止める。
「そうだ。ナナトを連れてきてくれた、貴女は一体……」
 声の様子から、年若い女性である事は分かる。
 けれど、フードに覆われたその表情は今も分からないままだ。
「申し遅れました」
 フードを取ったその顔に、草原の国の姫君は静かに息を飲む。


 シャーロットの言葉に、セリカは思わず首を傾げていた。
「無事じゃなかったけど……無事だった?」
 ミルを挽く手を再開させたシャーロットは、彼女が次に問いたい事が分かったのだろう。小さく首を振り、彼女がそれを言葉にするより早く否定してみせる。
「死者蘇生ではないわよ。あれが今の魔法技術で行えないのは……バルジノ砦の一件で、あなたもよく知っているでしょう?」
 それは、かつて二人が調査した事件だ。死者蘇生の魔法を巡った事件の顛末を知るのは、彼女達二人を含めた、ごくわずかな人間だけだ。
「……よく分からない。結局あなたは、シャーロットなの?」
 魔法で蘇ったわけではないなら、怪我だけだったのか。
 けれどあの状況で、崖から荒れ狂う河に落ちて、無事で済んだとは……とても思えない。しかもシャーロットは特殊な力の一つも持たない、ただの人間なのだ。
「砦の話でダメなら、ルイズ監査官の話でもすればいい?」
「……あの時の話は、しなくていい。わかった。信じるよ」
 どうしようもない上官に、酷いイタズラをした一件だ。結局犯人がセリカとシャーロットだとはバレなかったが、今思えばさすがに監査官にも悪い事をしたと思っている。
 もちろんそれは、二人しか知らない極秘の一件だった。
「よく分からないけど……ともかく、無事で良かった。もうずっと死んだと思ってたから……」
 穏やかに微笑み、セリカは古い友人をそっと背中から抱きしめる。
「ありがとう。復帰したら貴女が除隊したと聞いて、驚いたのよ?」
 それを嫌がる様子もなく、シャーロットはミルを挽いていた手を止め、回された手に細い手を重ね合わせた。
 ミルから立ちのぼる挽かれたばかりのコーヒーの香りが、二人を優しく包み込み……。
 そんな空気を打ち破るように窓の外から聞こえてきたのは、何やら慌ただしい騒ぎの声だ。
「……バレた?」
 一応、無断侵入者の自覚はあったらしい。耳元でぽつりと呟くセリカに、シャーロットは呆れたようにため息を吐く。
「バレたも何も、貴女の侵入を気付いてるのは私だけよ。他にお仲間でもいたの?」


 屋敷の庭を駆けるのは、紅の流星だ。
「そこだ、捕まえろっ!」
「待てーっ!」
 伸ばされる手をギリギリのライン取りと急加速で振り切りながら、コウは荒々しく舌打ちをしてみせる。
「ちっ! こうまで警戒厳重なのかよ……アリスの奴!」
 もちろんアリスの警護でないのは分かっている。だがそんな場所を隠れ蓑に選んだアリスに、苛立ちの全てをつい向けてしまう。
 倒木に三輪のタイヤを噛み付かせ、力任せの全力加速。そのまま一気に跳躍し、木の上へ。
「木の上に逃げたぞっ! 誰かハシゴ持ってこい! 飛べる奴はいないのか!」
 変形を解除し、正体がバレないようにと持ってきたマントを羽織る。隣の枝に飛び移った所で、そこには先客が居た。
「何やってるの」
「誰だ?」
 黒ずくめの人物は顔まで布で覆っており、誰か分からない。覆面の隙間から覗く青い瞳と浅黒い肌は、どこか見覚えがある気もするが……。
「それは後で。逃げるよ、コウ」
 問いはしたが、答えは聞く気はないらしい。覆面の人物……セリカはコウをマントごと掴むと、一気に木々の間を跳躍する。


続劇

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