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3.ドリーの夢

 『月の大樹』の二階から上は、主に冒険者達の宿として使われている。
 そこに続く階段を元気よく降りてきた小さな影は、降り立ったフロアでくるりと一回転。
「じゃじゃーん! なのだ!」
「っっっっっっっっっ!」
 ぴしりとポーズを決めてみせる二足歩行のネコに、誰もが言葉を失っていた。
 一メートルほどの小さな体を包むのは、上質の布で仕立てられたタキシード。燕尾状に作られた裾からは、長い尻尾が機嫌良さそうに揺れている。
 ついでに頭には、小さめのシルクハットがちょこんと乗っかっていた。
「っ!」
 そんなぬこたまが感じたのは、背筋を一瞬で駆け抜ける悪寒とも怖気ともつかぬもの。
 気付いた時には既に気配の主は眼前にある。
 彼よりもはるかに大きな影。
 たっぷりのフリルに彩られたそいつは、がばりと両手を大きく広げ。
「ギニャー!」
 ぬこたまの悲鳴と同時に響くのは、彼に抱き付こうとしたメイドの上げた、どこか間の抜けた声だった。
「な、なにするんですか、アシュヴィンさぁん!」
 メイドの動きを止めたのは、ぬこたまの後から階段を降りてきた長身の青年だ。いつの間にやら彼女の背後に回り込み、ぬこたまに抱き付こうとしたメイドの動きをやんわりと押し留めている。
「やめておいた方がイイですヨ、忍様。リント様はマダ仮縫いの最中デスカラ、針が刺さるとイケマセン」
 アシュヴィンの言葉によく見れば、確かにタキシードのあちこちからはきらりと光る針の先が覗いている。確かにこのまま抱き付けば、悲鳴を上げるのはリントだけでは済まなかっただろう。
「あうぅぅ………焦らしプレイですの……?」
 針が刺さるのは嫌だが、目の前のリントの格好は抱き付かずには居られない程の破壊力だ。これに抱き付かずに済ませるのは、彼女にとって拷問に等しい。
「忍。ちょっといい?」
「よくありませんけど……なんですの?」
 涙目の彼女に掛けられたのは、カウンターに立つ十五センチの少女の声だった。
「ヒューゴもちょっといい?」
 さらに彼女が呼んだのは、ちょうど酒場に戻ってきた白衣の青年だ。何かの資料なのか、大量の本を幸せそうに両手に提げている。
「よくありません。これから僕は、部屋に戻ってこの資料を読まなければ……」
「昼飯、食べながらでどうだい? おごるよ」
「で、話というのは何ですか? フィーヱさん」
 気付けば白衣の青年は、悠然とカウンター席に腰掛けている。
 傍らに積み上げられた大量の本を眺める店主代理の迷惑そうな視線など、気にした様子もない。
「この間の廃坑の調査で、クローン定着装置ってのが見つかったよね。あれの本体って、要は人間のパーツを作る機械なんだろう?」
 パーツといういかにもルードらしい表現に忍は少々複雑な表情を浮かべるが、やがて小さく頷いてみせる。
「ええ。もともと医療用に作られた装置ですから、大きいものなら手足や内臓も作れますわ」
 彼女が使った事があるのは、人間の表皮を作れる程度の小さな物だけだ。しかし装置の真価は、まさにフィーヱの言った所にある。
「デハ……装置の規模さえ適当ナラ、人の全身も複製出来ルのデスカ?」
「特殊な病気や大怪我をした患者さんは、健康な細胞を掛け合わせたり、悪い所を調整した全身のクローンを作って対処していたと聞いていますわ」
 医師ではない彼女が、その光景を目にした事はない。
 けれど当時はそこまで珍しい技術ではなかったし、恐らく彼女が出会った者の幾人かにも、そうした全身クローンはいたはずだ。
「……それって、記憶はどうなるんです? 頭の中も複製されるなら、記憶や感情もそのまま……?」
 フィーヱ達の話を黙って聞いていたヒューゴが、ようやく口を開いたのは、そんな問い。
 見れば、出された料理の皿は綺麗に空になっていた。どうやら食べ終わるまでは、食べる事と聞く事に集中していたらしい。
「記憶とクローンの体は別の物ですから、出来るのはあくまでも体だけですわ。……体が覚えているような経験や生まれながらの本能なら、残っているかもしれませんけれど」
「やはりそうですか……」
 忍の言葉で、欠けていたピースが一つずつ埋まっていく。それも小さな物ではない。根幹を支える、巨大なものだ。
(なら、本能だけの獣が複製されても不思議ではありませんね……)
 彼が思い描くのは、かつて北の森で戦ったヘルハウンド達の事。
 集団に連綿と受け継がれるはずの群れの記憶を持たず、本能だけで行動する、同じ姿をした獣たち。
 おぼろげだったその正体が、はっきりとした形で見えてくる。
「けれド、全身の治療ニ使われるナラ、記憶の受け継ぎガ出来なくてハ、意味がナイのデハ?」
 皮膚や手足を移すだけなら問題ないだろう。けれど全身を複製するなら、次に問題になるのは記憶をどうするかだ。
 複製出来ないからといって、まさか脳みそだけを移植するような事はあるまいが……。
「記憶の転送装置も使われていましたから。流石に特別な装置ですから、私の時代でも大きな病院にしかありませんでしたけれど」
 具体的にどういう使い方をするのかは、忍もよくは分からない。ただ、そんな装置を使って全身複製治療を行うのだと、知識としては知っていた。
「……なあ。だとしたら、だよ。その複製に……」
 そう呟いたフィーヱがちらりと視線を寄せたのは、彼女自身の右腕だ。
 そこにあるのは、腕を覆うような形をした、彼女のビーク。打ち込んだ対象の生命力や魔力を結晶化する力を持った、ルード達の使うレガシィの一種である。
「フィーヱ!」
 だが、彼女の言葉を遮ったのは、カウンターの裏で作業をしていた白いルードだった。
「……分かってるよ、シノ。仮定の話だって」
 仮定の話と言われても、シノの厳しい表情は変らない。フィーヱは小さく肩をすくめ、それ以上の言葉を口にする意思がない事を示してみせる。
「……気を付けて下さいね」
 小さくそう呟いて、白いルードはカウンターの内側へと戻って行った。
 彼女の言葉はルードの禁を破る事に繋がるものであり、また一歩間違えば彼女達の立場を危うくする物でもある。いかに仮定の話とはいえ、見過ごすわけにはいかなかったのだ。
「……それは流石に無理ですわ。必要なエネルギーの方が、作られるエネルギーよりも多いですから」
「だよね。そんな事が出来れば、施療院のデカブツももっとたくさん動いてるか……」
 ぼやけた形で紡がれた忍の否定に、張り詰めていた雰囲気がほんの少しだけ柔らかさを取り戻す。
(けどそんな大量なエネルギーを使ってまで、あれだけの量のヘルハウンドを複製した理由は何だ……?)
 何らかのテストだという事は想像が付く。
 けれど、テストだけであれだけ膨大なエネルギーを扱える者が、このスピラ・カナンにどれだけ居るだろうか。
(仮に貴晶石を使うとしても……)
 この世界で最も強力なエネルギー源を用いるとして……果たしてどれだけ強力な魔物を結晶化すればいいのか、今の彼女には見当も付かない。


 フィーヱ達の話を聞いているのは、カウンターの裏にいたシノだけではなかった。
 カウンターの隅。黙々と野菜料理の皿を突いているフリをした女性も、その一人。
(クローン……か)
 心の中でそう呟いて、水の入ったグラスをそっと取る。
(ねえ。『あなた』は知っているんでしょう? 私が本物なのか、否か)
 ガラス製のグラスに映るのは、まだ年若い女性の顔。けれど、その問いに返ってくる言葉は……彼女の内にもないままだ。
「何よ。感じ悪いわね……」
「どうかしたの?」
 思わず口に出してしまった言葉に、小さな顔がこちらを覗き込んできた。
 傍らで昼食を食べていた、幼子である。
「……何でもないわ。大丈夫よ、ナナ」
 ナナトを安心させるように微笑んでみせるが、その内にある翳りが分かるのだろう。彼女の顔を見つめるナナトの表情も、晴れきらないままだ。
「よーう。アルジェントはいるか?」
 そんなやりとりをしていると、酒場の扉が勢いよく開き、見慣れた大柄な男が入ってきた。
 その後ろには、細身の青年の姿もある。
「…………どうしたの、マハエ」
「どうしたのって、剣術を教えろって言ったのはお前だろうが。時間だから呼びに来たんだよ」
 外を見れば、街角に落ちる影の長さは確かに約束した時間の頃合いだ。先ほどの話が衝撃的すぎて、完全にマハエとの約束の事など忘れ去っていた。
「……ちょっとそんな気分じゃないの」
 今のような気持ちで剣を握っても、身には付かないだろう。集中を続けられる自信もないし、マハエを怪我させる可能性だってある。
 アルジェントの技量があれば少々の怪我なら魔法で治せるが、それで済ませて良い問題ではない。
「そんな気分の時でも相手は待っちゃくれねえぞ。ほれ、ジョージも待たせてあるんだから行った行った。……ナナも来るか?」
 マハエの言葉にナナトは無言で頷いて、ぴょんとカウンターを飛び降りる。
「ナナも来るってよ。行くぞ」
「ちょっと……!」
 落ち込んだアルジェントの様子を気に掛ける事もなく。マハエはジョージとナナトを連れて、酒場を出て行くのだった。


続劇

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