-Back-

幽霊編
 1.最初の、遭遇


 街を駆けるのは、速いテンポの靴の音。
 音は一つ。
 だが、夜の街を駆ける影は、二つ。
「くそっ!」
 少しずつ離れていく彼我の距離に、後ろの影は靴のテンポをさらに加速させる。それに比例するように、呼気はより荒く、刻まれるリズムは荒さを増していく。
 それでも目の前の影との距離は縮まらない。
 前を走るそれは、走ると言うより跳ぶように。後ろの影より丸みを帯びたシルエットのはずなのに、テンポは乱れず、速度も変わらず。
 走る音さえ、ほとんど立てる事はない。
(幽霊ってのは、伊達じゃないって事かよ)
 やがて目の前の『幽霊』は角を曲がり……。
「よし。あの先は確か行き止まり……!」
 ようやく追い詰めたと、男も角を曲がれば。 
「……くそっ」
 そのすぐ先にあったのは、見上げるほどに高い壁。
 けれど、そこには誰もいない。
 追い詰めたはずの、幽霊も。
 常人の跳躍力でこの壁を越える事は不可能だろう。この手の道の踏破に慣れた盗賊達でも、男が追いつくまでの一瞬で越えられるかどうか。
 幽霊に協力者がいるとは考えづらい。
「……まさか、ホントに壁が抜けられるとは思いたくねえけどな」
 マハエは小さく呟き、その場を後にするのだった。

 穏やかに降り注ぐ陽光の下、そいつの瞳に映るのは、革鎧に身を固めた男達の行進だ。
 男達が誰かは分からない。
 男達が何をしに来たのかも、分からない。
 分かるのは、沿道を囲む住人達がその行軍をひと目見ようと集まっていること。そして、男達に住人達の悪意が向けられていないこと。
 やがて、沿道の歓声がひときわ強くなる。
 淀み、ぼやけかけた視線で、そいつも視た。
 列の中央。そこにあるのは、北方の衣装に身を包む一人の娘。手を振る住人達に応えるように、馬上からやはり小さく手を振っている。
 娘が誰かは分からない。
 娘が何をしに来たのかも、分からない。
 沿道の歓声を聞きながら。
 そいつは屋根の上から、音もなく姿を消した。


 街路の石畳を染めるのは、沈む夕日の紅い色。
 伸びる影は長く、東の空にはうっすらと、大樹の生えた月も姿を見せている。
「マハエさん。今夜は幽霊、出て来ると思う?」
 伸びをしながらのターニャの問いに、マハエは小さく首を振る。
「どうだろうなぁ……今日は姫様が来て警備も厳しくなってるし、出ないかもなぁ」
 草原の国の姫君の来訪とあり、ガディアの警備隊を兼ねる塩田騎士団は上へ下への大騒ぎだと聞いていた。もちろん警備手伝いの依頼も酒場に貼り出されていたのだが……報酬がもう少し多ければ手伝っただろうとは、それを見た冒険者達の感想だ。
 やがて聞こえてくるのは波の音。
 ガディアに育つ者にとっては、聞き慣れた音だ。
「にしても、寂れちまってるなぁ……」
 残念ながら、南南東を向くガディアの海岸から沈む夕日はほとんど見えない。だがそれでも、この時間なら海水浴客のいくらかはいるはずだ。
「いつもなら、もっと賑わってるのにねぇ」
 今日はノア姫の来訪があったから、海水浴客が少なくても分かる。けれどこの直近は、幽霊の噂が広まったおかげでいつもこんな有様なのだった。
 幽霊騒ぎを解決すれば即座に客足が増えるわけではないだろうが……それでも、放っておく事は出来ない。
「あれ。どしたんだ、お前ら」
 そんな事を考えながら浜辺を歩いていれば、見慣れた顔が三人。
「ターニャさん。店の支度、終わりましたよ。今晩は僕がこっちの手伝いに入ります」
「ありがとー! アギさん」
 どうやらアギは、ターニャ待ちだったらしい。店を出る時に回る予定の場所は言っていたから、そこから逆算して待っていたのだろう。
「で、お前らはどうしたんだ? ディス」
 ディスとミスティの事だ。まさか二人で夕焼けに彩られたガディア海岸を見に来たわけでもないだろうが。
 そもそもワンピース姿のミスティはともかく、厚手のマントを足元まで羽織っているディスの格好は、暑苦しい事この上ない。
「まあ、見ておれ」
 言われるがままに海を見ていると、やがて聞こえてきたのは高らかな叫び。
「誰も!」
 轟くのは波濤。
「いない!」
 たなびくのは紅の腰布。
「海!」
 波を蹴散らす白いボードが、夕日を受けて真っ赤に染まる。
 乗るしかない! このビッグウェーブに!
「ヒャッホォォォォォイ!」
 高らかな爆発音と共に、夕日に染まる海に巨大な水柱が立ち上がった。
「ふむ。ミスティの爆弾の威力、なかなかのものではないか」
「自信作だしね」
 どうやら爆弾のテストをしていたらしい。小型の爆弾という話だったが、水柱の規模を見ると想像以上の爆発力があるようだ。
「え、あの……」
 水柱に巻き込まれて宙を舞う白いボードは、夕日を弾いてきらきらと輝いている。
 もちろんそれに乗っていた、青年もだ。
「……そろそろ帰るね。アギさん、幽霊探し頼むわね」
「ほほぅ。爆弾のテストも終わったし、わらわも手伝ってやろう!」
 爆弾の成果が想像以上だったのか、満足そうなディスは羽織っていたマントを翻し、アギの肩へと飛び乗った。
「だな……。俺もぼちぼち行くか」
 ぷかりと浮かぶ白いボードは見なかった事にして、一行は各々の仕事に戻っていくのだった。

 打ち鳴らされたのは、小さな手。
 ぱぁん、という乾いた音が夜の闇に響き渡り……。
「この辺りには……変わった気配は無いようです」
 その残響が消える頃、少年は閉じていた瞳を静かに開く。
 音に自らの感覚を乗せて周囲の気配を探る技だ。効果範囲は目で見るよりも少し広い程度だが、音を媒介にするだけあって、隠れている相手も見つけ出す事が出来る。
「ふむ。そういう技も便利じゃの」
 肩のディスに、アギは小さく苦笑する。
「結構大変なんですけどね」
 自らの気を乗せて放つぶん、消耗も少なくない。慣れれば放つ気の量もコントロール出来るようになるのだろうが、覚えたばかりのそれはまだその域には達していなかった。
「ルードの気配も分かるのか?」
「貴晶石から気配が出てますから、分かりますよ」
 もともと魔力の結晶体である貴晶石は、起動していれば独特の気配を放つ。まだ個人の特定までは出来ないが、ルードか人間かは簡単に見分けが付けられる。
「そうか」
 ディスの口ぶりに、彼女の言いたい事が何となく分かったのだろう。
「あの、ディスさん……」
 アギのそれは、気配の強さを特定する技だ。対象にどれだけの力が残っているのかも、ある程度は把握出来る。
 そして、まだ使い慣れぬアギにさえ分かると言う事は……ディスのそれは推して知るべし、という事だ。
「湿っぽいのは好かぬ。皆には言うでないぞ。……む?」
 言葉を続けようとしたアギを遮りかけて……視界をよぎった小さな影に、片目に嵌めていたスコープのフォーカスを調整する。
 その先に見えた姿は……!
「ディスさん!」
 叫んだ時には既にディスはアギの肩を蹴り、屋根の上へと跳び上がっている。
「おぬしのそれの範囲外であろ! 付いてまいれ!」
 マントを大きく翻して夜を翔けるディスに小さく頷くと、アギも石畳の街を走り出す。


「スッ、スベスベマンジュウガニ!」
 がばりと身を起こした青年の前にいたのは、大柄な男と青髪の女性の二人だった。
「やっと起きたか。大丈夫か?」
「大丈夫に決まっとるやろ。……で、何がや」
 目を覚ましたのは分かる。
 だが、その前はサーフボードに乗っていたはずだ。
 間の記憶が、綺麗さっぱり無くなっている。
「まあ、分かんないならいいわ」
「ならええわって真っ暗やないか! 俺の誰もいない海はどこ行ってもうたん……」
 誰もいなくて遊び放題と、サーフボードを満喫していたはずだが……ようやく気付いた辺りは真っ暗だ。月明かりの海は青いどころか漆黒の闇、とてもサーフィンを楽しめるような雰囲気ではない。
「あー。あれだ、なんかバカでかいモノを釣ろうとして、失敗してたろ」
「せやったっけ?」
 確か、サーフボードをしていた気がするが……。
「そうそう」
 言われれば、何だかそんな気もしてきた。
 そういえば辺りにサーフボードもないし、もしかして釣りをしていたのかもしれない。
「……せや! 俺は大海竜を釣り上げようとして……」
「……街を滅ぼす気かよ」
 沖でちょっと津波を呼ばれただけで、たぶんガディアは壊滅だ。そんな大海竜が陸揚げされれば、一体どれだけの惨事が起きるのか想像も付かない。
「あんなデカい竜やで。背中なんか見えへんやろうし、視界の外から思う存分ヒャッホイ出来るやろ!」
 百メートルを越える大海竜だ。見えなくても動きに巻き込まれれば即死する気もするが、そういう概念はネイヴァンの中にはないらしい。
「さて。起きたんなら、さっさと着替えて手伝え」
「別にええやん、この格好で」
 むくりと起き上がった青年の腰からだらりと下がるのは、真っ赤な腰布だ。もちろんその薄布以外は、一糸まとわぬ姿である。
「塩田騎士団に捕まるぞ……。つか何の格好だよそれ」
「あのパイプのおっさんから、海でヒャッホイするならこの格好しかないって教えてもろうたんや」
 試しに着てみると、思ったほど悪いものではなかった。おかげで思う存分ヒャッホイ出来る……はずだったのだが。
(どういうセンスしてるんだ、律の奴……)
 無論ガディア育ちのマハエには、それが律の故郷に伝わる伝統の衣装だと理解出来るはずもない。
「で、海竜釣り、手伝ってくれるん?」
「幽霊探しだよ」
 街を滅ぼす手伝いなど出来るはずがない。
「……それ、ヒャッホイ出来るんか?」
「あー。出来る出来る」
 ネイヴァンの基準はそこにある。
 その言葉に適当な相槌を打ってみるが……。
「実体のない幽霊相手にヒャッホイ出来るワケないやろ! いくら俺でも、聖別された武器なんぞ持ってへんで!」
 実体のない幽霊に、物理的な攻撃は効果がない。幽霊と戦うには魔法が一番なのだが……武器で戦うなら、相応の術者の用意した聖水を使うか、適切な処置の施された武器を使う必要がある。
「なんでそういう所だけ冷静にツッコミが入るんだよお前!」
 ヒャッホイ出来ると適当に合わせていれば、ネイヴァンとの会話は何とかなる。
 そうカイルから聞いていたはずなのに……!
(あの野郎フカしやがったな!)
 後で殴ると心に決めて、今日は一人で探索するかと小さくため息を吐く。
「……聖別された武器があったら、ヒャッホイしに行くんだ」
「当たり前やないか。……なぁ?」
「同意を求められてもなぁ……」
 対幽霊用の聖水は保険で持っているが、一人分だ。
 さてネイヴァンを手伝わせるにはどうするか……。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai