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ノア編
 2.潜入! ゼーランディア仮宮!


 街を音もなく走るのは、三つの車輪を持つ紅の流星。
 いや、いつもの圧倒的な速度ではない、静音重視でゆっくりと街を滑るそれを、果たして流星と呼んで良いのかどうかは微妙な所である。
 やがてコウの駆るそれは音もなくその場に止まり。
 見上げるのは、高い壁。
 身長十五センチのルードの基準ではない。普通の人間の基準からしても、その壁は高く見えるだろう。
「ここに……アリスが……」
 草原の国の王女が滞在している屋敷である。中の警備が厳重であろう事は、考えるまでもなく明らかだ。
 けれどそこに、探し求めたそいつが居るならば……。
「………よし」
 小さく呟くと、コウは三輪を変形させ、両の脚で大地を蹴った。


 屋敷を囲む高い壁が途切れるのは、たった二箇所。
 使用人達の使う裏の通用口と、表に構えられた正門である。
「ほらほら、ここは立ち入り禁止だよ。アンタみたいなのは入っちゃダメなの!」
 そんな正門から蹴り出されたのは、ボロボロの服を着た男だった。背中を丸めたそいつは、痛みを堪えるようにしばらくその場にうずくまり、門番の男を無言で見上げていたが……。
 やがてよろよろと立ち上がり、おぼつかない足どりでその場を後にする。
「…………」
 口の中で何やらもごもごと呟きながら歩いて行く男とすれ違ったのは、一メートルほどの直立したネコだ。
「ふふん。あんな格好してるからダメなのだ!」
 ボロボロの男の服とは違う。リントがまとうのは、仕立て上げられたばかりのタキシード。アシュヴィンに作ってもらったそれがあれば、どこの国の夜会に出ても恥ずかしくはないはずだ。
 襟を正し、胸を張って、堂々と正門へ歩き出す。
「こら! ネコも入っちゃダメだよ。出て行った出て行った!」
 そこからぽいっと放り出されたのは、ほんの数秒後の事だった。
「ニャー! 屈辱にゃのだ! あんにゃところをつままれるにゃんて!」
 最後の理性で、その場で転がって暴れるような事はしなかった。だが、首の根元を掴まれ、文字通り『つまみ出された』のは、彼にとって最大級の屈辱と言っても過言ではない。
「ネコつまみにゃんて! よりにもよってネコつまみだにゃんて!」
「どしたんだ? リント」
 壁に向かって延々怒りをぶつけていたリントに掛けられたのは、背後からの声だった。


 屋敷の出入口は二つだけ。
 リントのつまみ出された正門と、使用人達の使う裏口だけである。
 公式には。
「屋敷はもう落ち着いているようだったけど……大丈夫なの?」
 石造りの通路に響くのは、染み出してきた水の滴る音と、控えめな足音が三つ。
 そして、女性の声。
「落ち着いているのは表面だけデス。内部は打ち合わせ通りに進んデいるかを気にシテ、それどころではアリマセン」
 草原の国から来た従者達は旅慣れているだろうが、それでも屋敷内のこまごまとした確認や外部との調整が完璧に終われるはずがない。
 もちろん可能な限りの準備や予測はしているだろうが、こんな状況に慣れていないガディアの民が相手である。王都の定宿に泊まるようにはいかないはずだ。
「そうか……」
 言われてみれば、アルジェントも旅先で予想外のトラブルに巻き込まれる事は珍しくない。一人旅の彼女でもそうだったのだから、百人単位で動くなら、なおのことだろう。
 何より、こうして三人で地下通路を歩いている事そのものが、アルジェントにとって最大級の予想外なのだ。
「デスカラ、ここも確認されてイナイ」
 通路の途中で足を止め。石壁を軽く押せば、そこは音もなくゆっくりと開いていく。
 その先に続いているのは、屋敷の地下食料庫。屋敷には本来無いはずの、三つ目の出入口……非常時の脱出口なのだ、ここは。
「……鍵を掛けてなくて平気なの?」
 元に戻せば、扉は壁に紛れて区別が付かない。非常用の脱出口なら、鍵が無ければ逃げられないというのも本末転倒ではあるが……。
「元主の趣向デシテ」
 彼が屋敷に仕えていた頃は、アシュヴィンの目を盗んで主がよくここから出入りしていたものだ。いつ戻ってくるかも分からないから、うかつに鍵も付けられず……結局彼が屋敷を辞めた後も、そのままになっている。
「デハ、ワタシはここで待ってイマス。お早めに」
 秘密の出入口ではあるが、退路は確保しておく必要がある。それにアシュヴィンは屋敷の片付けを手伝ったから、屋敷の誰かに顔を覚えられている可能性もゼロではない。
「助かったわ、アシュヴィン。……そうだ。先にこれ、渡しとくわね」
 そう言ってアルジェントが渡したのは、水の入った小瓶だった。栓には紙の封印が施されており、何らかの魔法処理の施されたものである事が分かる。
「アリガトウゴザイマス」
「それじゃ、ナナ。行くわよ」
 小さく頷くナナトを連れて、アルジェントは屋敷の中へと入っていく。屋敷の見取り図は頭の中に叩き込んでいるから、恐らく迷う事はないはずだ。
 そんな二人を見送って。
「……オヤ? これは……」
 アシュヴィンが目を止めたのは、食料庫には明らかに違和感のある物体。
 分厚い布に覆われた、二メートルを超える金属製の二つの筺だ。


 屋敷の廊下に漏れるのは、小さなため息がひとつ。
「……いつもの事とはいえ、段取り通りには行かないものね」
 シャーロットたち側仕えの者はいつもと同じだが、護衛や食糧の確保はその土地土地の騎士や業者を使うしかない。そこではいくら経験を積んだとしても、その予想を大幅に裏切るトラブルがひとつかふたつ、必ず発生するものだ。
 この街は街道沿いの街だけあって、大規模な隊商を受け入れ慣れているぶん、まだマシだったが……それでも、対応のほとんどは侍従長であるシャーロットに回ってくる。
「もう少しこちらにも戦力がいればいいのだけれど……」
 ウィズワールはまだ若すぎるし、金髪の道化は彼女なりの用事があるらしく、屋敷に着くなり行方をくらませてしまった。
 少ない部下だけでは、彼女の補佐はしきれない。欲を言えば、こちらの心情を汲み取ってくれる、自分と同格の実力の持ち主が欲しかった。
 とはいえ、考えていても仕方がない。ため息をもう一つ吐いて……。
「……やあ」
 自室の扉を開ければ、中にいたのは知った顔。
「どこから入ってきたの、あなた」
 後ろ手に扉を閉め、ため息をさらに一つ。
 窓にも扉にも、ちゃんと鍵は掛けていたはず。彼女が入ってこられるはずが……。
「……そうよね。あなた、鍵くらいいくらでも開けちゃうものね」
 そこまで考えて、彼女の前ではこの程度の鍵と警備が無力である事を思い出す。そしてその技能があったが故に、彼女はシャーロットの同僚になり得たのだとも。
「何か飲む? 静寂の国のコーヒー、あるわよ」
「……私、それ苦手なんだけど」
 昔と変わらない彼女の答えにシャーロットは小さく微笑んで、構うことなくミルに煎った豆を放り込む。
 だが。
「シャーロット。あの時……無事だったの?」
 続く問いに、姫君の侍従長はミルを挽いていた手を止める。


続劇

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