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 降り注ぐ陽光の下。
 鬱蒼と茂る木々の影に澱むのは、黒い影。

 烏の濡れ羽の如き竜鱗は、擦れ合おうとも音はなく。
 ただ響くのは、地の底から這い現われるかの如き唸り声のみ。
 そして闇の中。たった一つ輝くのは、鮮血の如き赤。
 一つ、である。
 対となるべき瞳は見るも無残に打ち貫かれて、その機能を、その輝きを宿してはいない。

 一つ残った赤き視線の先。

 巨竜の一身の憎悪を、憤怒を、殺意全てを受け止めて陽光の下に立つは……小さな姿。

 木陰に潜む黒い影から見れば、呆れるほどに小さな相手。
 巨竜が本気を出せば、ほんの一撃……いや、ひと撫でしただけで、折れ砕けてしまうだろう相手。

 だがそいつこそが、巨竜の片目を潰し、鱗を削ぎ取り、翼を打ち砕いた恐るべき相手。

 笑えるほどに小さな相手。
 だがその大きさで、そいつはそれを成し遂げた。

 陽光の下。
 そいつは、無造作に提げていた得物をゆっくりと構え直す。

 小さな唇が動き、紡ぎ出すのは聞こえぬ声だ。
 既に口の中は乾ききり、一撃受ければ終わってしまう戦いに、気力も体力も限界を迎えている。言葉を紡ぐ事さえも、容易ではないのだろう。

 けれど、竜はそれを理解した。
 聞こえぬ声を。
 解らぬ言葉を。
 長い長い戦いの果て。
 好敵手の意思を、本能で理解する。

「つぎで おわりに しよう」

 構えた武器に応じるように、半ばから折れた竜尾を高く掲げ。
 裂帛の気合をかき消すように、潰された喉で咆哮を放つ。

 引き裂かれた双翼を拡げ、傷だらけの脚で強く大地を蹴りつける。

 常人ならば気付く暇さえ与えられぬ神速の一撃が、竜種の暗殺者と恐れられる咬撃が、目の前の相手に容赦なく襲いかかり。


 その戦いを制した者に与えられるのは……賞賛か、畏怖か。
 それとも……。



ボクらは世界をわない

第3話 『大いなるもの』を斃す其は


1.射貫くものの対価

 響き渡るのは大気を切り裂く、鋭角な音。
 描くのは優雅な曲線。
 その二つが、だ、という鈍い音と共に断ち切られたのは、設えられた的に突き立ったが故だ。
 さらに飛翔音が連なること二度、三度。合間により細く高い矢音を挟み、やがて訪れるのは……ふぅ、という短く息を吐く音だった。
「よくもまあ、そんなに当たるわね」
 幾つかの同心円が描かれた的の中央に深々と突き刺さり、いまだ震えを残す矢を目にして。呆れたような声を上げるのは、青い髪の女性である。
「……まあまあだな」
 だが、そんな女性の感想とは対照的に、どこか不満げに呟くのは海の国風の装いをした男だった。構えていた弓を折り畳み、その機構にもやはり小さく頷きを一つ。
「散々注文付けといてそれかよ、律」
 その言葉に、青い髪の女性と共に様子を見守っていた男は呆れたような声を上げてみせる。
 律の注文は、凄惨極まる物だった。
 もともと複雑な構造の合成弓に、さらにややこしい折りたたみ機構を付け加えた上、双方の完成度にも一切の妥協を許さない。
「コイツに命ぃ預けんだぞ。注文付けて助かるんなら、こっちも死ぬ気で付けるってもんよ。ミスティもマハエも分かるだろ?」
「……まあ、そりゃ分かるケドよ」
 そう言われれば、白髪交じりの頭を掻きながらもマハエは頷いてみせるしかない。
 彼自身も仕事の合間に冒険者として多くの依頼を果たす身だ。律の言い分は痛いほどによく分かる。……もっとも、職人や技術者としての妥協点も分かるだけに、完全に律寄りとも言えないのだったが。
「そこまで言うなら、律もディスみたいなの使えばいいじゃない」
 ミスティの声と同時。ひゅん、と律の放つ矢よりも高く鋭い音を立てる小さな矢が、寸分違わず的の中央に突き刺さった。
「構造なら教えてやれんこともないぞ?」
 十五センチの小さな射手は、片目に嵌めていた遠眼鏡を引き上げると、律の肩へと飛び乗ってくる。
「そういうのとは違うんだよ、二人とも」
 彼女の扱う弓は、当然ながら十五センチの体格に合ったものだ。けれどより古代の技術をふんだんに用いた構造や機構を備えたそれは、対人用としても十分に通じる威力を持ち合わせていた。
 さらに精密照準の可能な遠眼鏡と組み合わせる事で、より強力な武装として扱う事も出来る。
「何て言ったら良いかなぁ……」
 人力で引く弓よりもクロスボウなど機械弓の方が運用効率が高いのは、律も十分に分かっていた。しかし、それでも弓を選んでしまう彼の想いを……戦況に応じて装備を変えるディスに伝えられる言葉は、思い付けずにいる。
「で、とりあえず次はどこを直しゃいいんだ?」
「いや、ひとまずはこれでいい。ありがとな、マハエ」
 細かな調整は、最後はどうしても自身の感覚で行う事になる。律の側が慣れるべき箇所もあるし、使い込んでいく内に弓の側が馴染んでくれる所もあるが……それは技術ではなく、彼の時間で解決すべき問題だ。
「ふむ。なら、早速で悪いんだが……」
 そう言ってマハエが取り出したのは、分厚い紙の束だった。
「あ、こっちのもお願い」
 ミスティから渡された束と重ねて渡されたそれを、律はぱらぱらとめくっていく。五枚、十枚とめくっていくうちに、律の顔はどんどんと険しさを増していき……。
「……これ、マルの数がおかしかねえか?」
 呻くように呟いたのは、そんな言葉。
「………むぅ。これは……」
 それは、律の肩に乗って請求書を覗き見ていたディスさえも、思わず声を上げるほど。
「これでも採算ギリギリでやってんだ。調整用の的もサービスだし……格安だぜ?」
「ウチは適当に付けたけど、割増にはなってないわよ。多分」
 既にマハエの顔は、冒険者の顔から商売人の顔へと変わっている。律の言葉に、眉一つ動かす事はない。
「…………」
 魔法を用いた工期短縮に、気が遠くなるほどの微調整の数々。折りたたみ機構を備えたが故の構造の再検討に、より強くしなやかな弓弦の開発。
 価格の暴騰に思い当たる所は、ありすぎるほどにあった。むしろ、暴騰しない方がおかしいと言えた。
「……まあ、知り合いのよしみで少しくらいなら待ってやっから。分割も、相談に乗るぜ」
 そう言い残し、マハエは使わなかった的を抱えて去っていく。
「あたしも店にいるから、終わったら声かけて」
 やはり店に戻っていくミスティのその背中を見送って、律はため息を一つ。
「どこに行くのじゃ?」
「……バイト。探索に出てない時もなるべく稼いどかないと、やってけねえやこりゃ」
 こだわったが故に、弓の値段に文句を付ける気はない。
 ただしそれでも、ぼやきの一つくらいは出てしまうのであった。


続劇

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