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魔物調査編
 4.見ざる、言わざる、聴かざる


「………嫌な夢、だったな」
 呟くのは、そんな言葉。
 夢の内容は良く覚えていない。ただひたすらの無力感と、肩にのし掛かる気怠い感覚が残るだけ。
 辺りを見れば、他のメンバーは既に起きて外に出ているようだった。
「晴れてる……」
 洞窟を出れば、昨夜は暗く澱んでいた空は、今は澄み切った青空へと姿を変えていた。マハエは数日は降るだろうと言っていたが、良い方向に外れてくれたらしい。
 青い空を見上げていれば、少しだけ気分が明るくなってきた。
「とりあえず……」
 そうなれば現金なもので、今度は寝汗に濡れた体が気になってくる。マハエの防水布は確かに保温効果は高かったが、熱を逃がさないぶんかいた汗の量も相当なものだったのだ。
 耳を澄ませば、聞こえてくるのは水の音。
 昨日のアギの話で、近くに泉があった事を思い出す。
「汗くらいは流せるかな……」
 草を掻き分け、水の音のする方へと歩を進めていけば。
 目の前に広がるのは、静かな水面をたたえた泉と。
「あ……」
 そこで水を浴びていた、白く長い髪の……。
「……あ、すみません」
「いえ、別に謝られるような事でも……僕も、男ですし」
 とは言え、長い髪がしっとりと貼り付いた色素の薄い背中は、正面が確かめられないが故、どちらの性別とも取る事が出来ずにいる。それどころか、ある種の艶っぽい何かさえ感じさせるものだ。
「ああ……そうか、そう……ですよね」
 そうか、男か……などと自らに言い聞かせているらしいジョージに、アギも思わず苦笑い。
「ジョージさんも良かったら一緒にどうですか?」
「いえ。人前で裸になるの、あんまり好きじゃないので……」
 これ以上はいられないと思ったのだろう。
 そう言ってその場を後にするジョージに、アギは困ったようなため息を吐いてみせるのだった。


 草の間を掻き分けて、やがて開けた場所へと出れば。
「…………」
 そこにいたのは、裸の幼子と……。
「…………」
 やはり裸の……。
「わ、悪いっ!」
 相手の姿を認めたのは一瞬だ。認識するなり慌ててマハエは後ろを向いて。
 慌てて走り出さないのは、年を重ねた経験故か、別の用事があったからか。
「……別にいいわよ。減るものじゃないし」
「じゃ、じゃあ……」
 ばしゃりと飛んできたのは水しぶき。石や弓、破壊魔法が飛んでくる気配は、今のところ……ない。
「だからって見て良いわけでもないっ!」
「違うっつの! 朝飯の水くみに来ただけ!」
「そんなもの私が汲んであげるから、バケツだけ置いてそっち向いてなさいよ……」
 言われ、ようやく気付く。
「お……おう……悪い」
 後ろ向きに川縁までじりじりと下がり、折り畳み式の布バケツを置いて再び元の位置へと戻る。
「それより昨日、私、何か言ってなかった?」
 ばしゃばしゃという音は、バケツの元にアルジェントが歩み寄っている音だろう。やがてそれも治まり、マハエはそれをアルジェントが答えを待っているのだと理解する。
「……草原の国の女王様が何とかって奴か?」
「女王様……」
 明らかにアルジェントの記憶と食い違いがある。
 誤魔化せたのなら、それはそれで構わないのだが……もしかしたら、これも機会なのかも知れないと思い直す。
「あの……私、本当は……ね」
 続けるべきか、誤魔化すべきか。次のひと言を紡げば、後へは引けなくなる。
 だが。
「……って、何で耳塞いでるのよ」
 目の前の大きな背中は、両手でしっかりと耳を押さえつけているではないか。
「オレぁ一介の冒険者だからな。オレの立場で持て余すような情報は、耳に入れない事にしてんだよ」
 アルジェントの問いに答える段階で聞こえていると言っているも同然だったが、男はそれでも聞こえないと言い張るつもりらしい。
「……威張って言う事じゃないでしょ。そうだ」
 けれどそれで、娘も肩の力が抜けた。
「今度、剣の使い方を教えてくれない?」
 悩んでいても仕方ない。その時が来るまで、まずは出来る事から……目の前の守りたいものを護る、その術を手に入れる所からだ。
「真似事程度でいいならな。本気でやるなら、ジョージのお師匠でも紹介してもらえ」
 マハエの剣術は我流、しかもボウガンの補助である。実用性は彼の今までの経験が保証しているが、それが他の誰かの役にも立つとは限らない。
「十分よ。それで、さっき見たのは許してあげる」
「………随分と高く付く裸だなオイ」
 そう言った瞬間飛んできたのは、バケツに汲まれた水まるまる一杯分だった。


 水場から帰ってきた彼等を迎えるのは、優しく薫る紅茶の香りと、こんがりと焼かれたパンの匂い。
 迎えたのは焚き火の前に立つジョージと。
「お帰りなさいマセ、皆様」
 『月の大樹』のウェイターだ。
「……何でこんな所に貴方が居るのよ」
「元執事だから何でも分かって良いモンじゃないだろ」
 出発する時に北の森に出掛けると言った気はするが……彼の知りうる情報はそれだけだ。しかもこの場所は森の民の避難所であって、出発した時点では別行動のアギしか知らない場所のはず。
「イエ、空からたき火の煙を見テ……」
「……ああ」
 背中の黒い翼をはためかせるアシュヴィンに、誰もがそれ以上のツッコミをする事が出来ずにいる。
「忍様にナナ様の様子を見てきて欲しいと頼まれマシタノデ。お元気そうで何よりデス」
 そう言いながら広げるのは、『月の大樹』の朝の定番料理だった。もちろん具の厚さは、店主代理の作るボリューム特化の大雑把なものではない、素材の味をちゃんと楽しめる厚さのものだ。
 そして。
「あれ? 何でこんな所にアシュヴィンさんが? いくら元執事だからって……」
 やはり水場から戻ってきたアギも、アルジェント達と全く同じ質問を口にするのだった。


続劇

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