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14.津波の主
「ヒャッッホォォォォォィ!」
 戦場に響き渡るのは、ハンマーを振るうネイヴァンの雄叫びだ。
 その叫びは、疲労の極地にある者には残る僅かな力を奮い立たせる源となり、その少し手前にある者には……さらなる疲労をもたらす鬱陶しさの源泉となる。
「人間って、なんであんなに元気なのだ……?」
 後方にいても聞こえる雄叫びに、リントでさえ呆れ声だ。
 魔法に通じた種族である彼も、既に魔力の限界だ。なのに、重いハンマーを振り回し、戦い続けているはずの彼は疲れるどころか、よりテンションが上がっているようにさえ見えた。
「……ありゃ特別だ。特別」
 同じように見られてはたまらない。矢も尽き、短剣でカニの関節を攻めていたカイルは、疲れた声でそれを訂正してみせる。
「もう疲れたの、ダイチ! だらしないよ!」
「つ……疲れてなんかないっ! まだまだ行けるさ!」
 それは前線も同じだ。余裕でカニの攻撃を受け止めるルービィに、ダイチは疲れ切った体を無理矢理奮い立たせ、カニに向かって槍を投げ付ける。
 ドワーフ族と人間では基礎体力に圧倒的な差があるが、ルービィはダイチよりも年下で、さらに言えば女の子だ。易々と負けを認めるわけにはいかなかった。
「……つーかさ」
 倒したカニからまだ使えそうな矢を引き抜いている律も、そんな雄叫びを耳にしていた一人だ。
「あれは特別なんじゃなくて、若いからじゃね?」
 増援の大ガニの姿は、もうほとんど見当たらない。
 沖合からは雌ガニの姿が消えており、どうやら産卵は無事に終わったようだった。もともと雄ガニの目的は雌ガニの警護だから、守るべき相手がいないなら陸に上がる必要もない。
「俺も若いつもりなんだがなぁ……」
「ええい、若いならしゃきしゃき戦わんか! あとひと息ぞ!」
 とはいえ、いま戦っているカニまで退いてくれるわけではない。体力の限界を迎えたアギはアルジェントの所まで退がっているし、こちらに残った戦力もごくわずか。
 ここで押し負ければ、今までの苦労は水の泡だ。
「エネルギー補給しっかりしてる奴に言われたかあねえぞ!」
 ビークから抜き出したばかりの魔晶石に唇を触れさせているディスに、律からの声が飛ぶ。
「黙れ! わらわ達は、腹が減っても根性で動けるおぬしらとは違うのじゃ!」
 カニの泡を頭から被ったひどい有様のディスも、苛ついているのか返す言葉を選ばない。
 粘液状のカニの泡はベタベタと粘付き、体の表面に不快な感覚を延々と伝えてくるのだ。戦闘中に表皮の感覚を切るわけにもいかないし、生乾きのそれは海水を浴びても大して落ちてくれなかった。
 腹は確かに減らないが、ルードも意思を持つ存在だ。早く宿に戻って熱いお湯を浴びたい気持ちは、人間と変わりない。

 広いガディアの砂浜に、巨大なカニの躯が無数に並んでいる。
 その内で動くのは、あとほんの数匹。
「ここまで減れば、後は何とかなりそうじゃの。……マハエ、後は任せて良いか?」
 うち一匹の大鋏を力任せにもぎ取って、モモは短剣で関節を叩き斬っていたマハエに声を投げかける。
「ああ。後で戻ってくるんだろ?」
「無論じゃ。……酒の件、忘れるでないぞ?」
 覚えていたかと苦笑を浮かべるマハエの脇。無傷の大鋏を放り投げて、小柄な少女はカニの上からひょいと飛び降りた。
「どこに行くんですか?」
「ちょっとの。野暮用じゃ」
 マハエの反対側でカニの注意を引き付けていたジョージの問いに、モモはひらひらと手を振って。
「アレじゃ。ほれ、小便。生物というのは不便なものよの」
「違うわ!」
 ニヤニヤと意地の悪い笑みを見せるディスに、力一杯層言い返すのだった。
 彼女が戦線を離脱して。
 戦いが終わったのは、ほんの少し後の事。


「だぁあぁぁ……っ! 終わりーっ!」
 最後のツナミマネキが崩れ落ちるのと同時、その場に倒れ込んだのは槍使いの少年だ。
「やれやれ。何とかなったな……」
 律も辺りの様子を確かめながら、ほっとひと息付いている。本音を言えばダイチのようにその場に倒れ込みたかったが、さすがに伏兵がいてはかなわない。
 もちろんそれがいないのを確かめて、すぐに場に腰を落としたのは言うまでもなかったが。
「おい……ありゃ、何だ?」
 だが、そんな中で声を上げたのは、沖の様子を確かめていたカイルだった。
 彼が指差す方向にあるのは、空と海との境……水平線だ。
 そこに見えるのは、水平線から鎌首を覗かせる、蛇に似た巨大な物体。もちろん、沖へ戻っていくツナミマネキ達の大鋏ではない。
「あれって……まさか、ミスティさんの言ってた……」
 天の『月の大樹』から降り注ぐ月明かりに照らされ、キラキラと鱗を輝かせるそれは……ツナミマネキなどよりはるかに大きい。
「……海竜だと!? なんでこんな所に……」
 海の王。そして津波の主の異名を持つ超巨大海獣の名を、誰かが呆然と呟いた。
 ガディアは南方の大海に面してはいるが、海竜の目撃例はさして多くない。そのテリトリーの多くはもっと東方、海の国あたりにあるはずだった。
「ツナミマネキが呼んだんやろ」
 誰かの問いに答えたのは、ハンマーを片手に戻ってきたネイヴァンだ。一同の不思議そうな表情を見回し、青年はさして面白くもなさそうに言葉を続けてみせる。
「カニがこう、手招きみたいなんしとったやろ」
「それが何か?」
 巨大なハサミをゆっくりと振る、沖合にいる味方を呼び寄せるかのような薄気味の悪い動きを思い出す。
「あれはタイダル・ウェービングっちゅうてな。丘の上でひと振りするごとに、鋏の穴から音が出るようになっとるんや。……俺らには聞こえへん音やけどな」
 言われて落ちていた大鋏を見れば、確かにネイヴァンの言う通り、鋏の中程に幾つかの小さな穴が開いている。笛と同じ原理なら、振れば確かに音が出るだろう。
「やっぱりそうなのだ! その音が、きっとボクの聞いてた音なのだ!」
 勝ち誇ったようなリントの言葉よりも、一同は別の驚きを隠せない。
「その音が海竜を呼ぶ……のか?」
 ガディアで大規模なカニの討伐が始まってから既に十年以上が経つが、その間に海竜が現われたなどという話は一度もない。
 故にこの中では古参に入るマハエやモモでさえ、ツナミマネキが本当に津波の主を招くという事を知らなかったのだ。
「……数か」
 恐らくはそうなのだろう。大量発生したツナミマネキが巻き起こす普段に数倍するタイダル・ウェービングが、たまたま近くを泳いでいた海竜を呼び寄せる事になったのだ。
「この手のカニは何百年か周期で大発生するって言われとるしなぁ」
「何百年か……じゃと? ガディアで前に大発生が起きたのはいつじゃ」
 ディスの問いに、ネイヴァンは肩をすくめて首を振る。
「そんなん俺かて知らんわ。けどここ百年くらいの記録で残ってへんっちゅう事は、二百年か三百年前かやないの?」
 木立の国が出来て、百年と少し。その間に街が津波に呑まれるような事態があれば、間違いなく記録に残っているはずだ。
「……三百年前には起きた可能性があるわけじゃな」
 ディスの脳裏をよぎるのは、先刻の金髪のルードの言葉。戦闘中にも気にはしていたが、ついぞその姿は見つからず、他のルードもそんなルードは見ていないと言っていた。
 マハエも話を聞いていたから、ディスの見間違いや幻という事は無いはずだが……。
「つか三百年前なんてどうでもいい! なんでそんな大事な事、早く言わないんだよ!」
「何でって……聞かれへんかったし。ウェービングと海竜の関係なんて、そうポンポン出てくるかいな」
「……ダメだコイツ!」
 少し考えれば分かりそうな事だったが……それが出来ないのがネイヴァン・アスラーム・ジュニアという男なのを誰もが理解しているだけに、それ以上は何も言いようがない。
「じゃあ、津波は大丈夫なんだな?」
「あの海竜もどっか行ってもうたし、平気やろ」
 既に津波の主は水平線の彼方に消えていた。ツナミマネキも海中ではウェービングを起こさないし、もう大丈夫だろう。
「……あの、リントさんが……」
 その言葉にリントのいた所を見れば、そこに喋る猫の姿はもうなかった。
 猫は既に堤防の上まで逃げ切っており、今更ながらに無事と分かったこちらを所在なさげに振り向いている。
「ともかく無事で済んで良かったやないの。あんだけの海竜が津波ぃ起こしたら、街の避難なんぞ間に合わへんしな」
「そういうのは、早く言えーっ!」
 からからと笑ってみせるネイヴァンに、その場にいた全員の拳が浴びせかけられた事は……言うまでもなかった。


続劇

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