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12.弓引く滅びの手
 ガディアの海岸で激闘が繰り広げられている頃。
 その海岸からはるか奥、市街地をぱたぱたと駆けていたのは、エプロンドレスを着た娘だった。
「あれ。どうしたの、忍さん」
 そんな女性に掛けられたのは、小柄な娘の声。
 店仕舞いの最中なのだろう。店先に吊されていた明かりを抱えたまま、良く通る声で問いかけてみせる。
「あ、ターニャさん。こんばんわ」
 見上げれば、そこに架かる看板は『夢見る明日』。どうやら走り回っているうち、ターニャの店まで来てしまったらしい。
「こんな時間にどうしたの。夜の一人歩きは危ないよ?」
「……一人歩きじゃないよ」
 静かな声がして、忍の長い髪の中から出てきたのは十五センチの小さな影だ。
「へぇ。フィーヱさんが一緒なんて、珍しい」
「それよりターニャ、ナナを見なかった?」
「ナナちゃん? ウチには来てないけど……いないの?」
 二人の様子から察してくれたのだろう。ターニャの問いに、忍も真剣に頷いてみせる。
「寝かせようと思ったら、どこかに出て行っちゃったみたいで……」
 探しに出ようとした所でたまたまフィーヱに出会い、事情を知る彼女も一緒に探してくれる事になったのだ。
「……忍一人で何かあったら、寝覚め悪いだろ」
 それで、ターニャもフィーヱが同行していた事を納得する。
(それに、あのカーバンクルにもな……)
 もちろんフィーヱにはフィーヱなりの理由があるのだが、それを口にする必要もない事だ。
「なら、わたしもお店を閉めたら手伝うよ! 忍さん達は向こうを探してて!」
「ありがとうございます! お店にカナンちゃんとフェムトちゃんがいますから、何かあったらそちらに!」
 忍はそう言ってターニャに一礼し、再びガディアの街を走り出す。


 ぐらりと傾いだのは、巨大ガニだけではない。
「はぁ……はぁ、はぁ……」
 ふらつく足元を懸命に支え、アギは汗で額に貼り付いた銀の髪を拭ってみせる。
 もともと体力がある方ではないのだ。その彼が無理に連戦を続ければ、体は悲鳴を上げもする。
「アギ、一度下がった方が良くないか?」
「下がりたいのはやまやまですが……この数を見ると、どうにも」
 ダイチと共闘し、既に何匹のカニの足止めをしたのかも覚えていない。けれど沖合から現われた新たな大ガニ達は、こちらをあざ笑うかのように片方の大きな鋏をゆっくりと振っている。
 対するアギ達は、既に多くの冒険者が後退を余儀なくされていた。いくらかは治癒術士達の魔法に癒され、戦線に復帰していたが……深手を負い、最後衛の仮設食堂まで下がった者も多いはずだ。
「あははははははーっ! 敵討ちなのだーっ!」
 そんなカニの鋏の根元に炎の塊が続けざまに叩き付けられ、炸裂と共に巨大鋏が吹き飛んでいく。だがリントの炎の魔法もテンションはともかく、飛んでくる頻度は開戦当時と比べて明らかに減っていた。
「あんな小さな猫も頑張ってるんです。僕達も頑張らないと……」
「せや! 俺らが気張らんで、どないするんや!」
 動きを止めたカニにトドメを刺してきたネイヴァンは、あれだけ巨大なハンマーを振り回し続けているというのに息の上がった様子もない。
「ほれ、俺のためにカニぃ止めてくれ! いちいち足回り潰さんでヒャッホイ出来るの、楽でエエんやから!」
「……別にあなたのために戦ってるわけじゃないですが」
「ええから行くでえっ! ヒャッッホォォォォォィ!」
 疲れに気付かないのか、それともそれを隠す術が上手いのか。元気よく駆け出していくネイヴァンと、それに続くダイチに小さくため息を吐き……。
「……仕方ないですね」
 駆け出すアギの声は、先程よりも少しだけ元気が戻っているように聞こえるのだった。


 律の足元に転がっていたのは、一本の脚だ。
「カニって自分で自分の脚を切れるんだっけか……」
 以前、カニ鍋にしようと思って適当に鍋に放り込んだカニが、煮立つ間もなくバラバラになってしまったのを思い出す。
「何をやっておる、律」
 人間サイズでもひと抱えはある巨大な脚をぼんやりと眺めていたのを不審に思ったのだろう。律の肩口に飛び乗ってきたのは、ディスである。
「いや。あのカニの脚をぶっつけたら、いい武器にならねえかなと思ってな……」
 装甲の硬い相手により硬いモノをぶつけるのは、戦いの基本だ。その基本則にのっとれば、硬いカニ甲羅にぶつけるのは、同じ固さながらさらに尖りを持ったカニの脚となる。
 もう少し小さければ弓につがえて射る事も出来たかもしれないが、さすがにこの大ガニの脚でそれをするには、攻城兵器を持って来なければならないだろう。
「馬鹿な事を考えるな。そんな事をすれば……」
「これ! 食べ物を粗末にするでない!」
 どっこらしょと抱えて、軽く振り回すフリをしていれば……飛んできたのは、前線に戻ってきたモモの怒鳴り声だ。
「ほれ怒られた」
「こうなると食い物扱いなのか。……なら、殻だけなら」
 剣も通らないほど頑丈な鱗を持つ竜種には、同じ竜の鱗を加工した武器が用いられる。それと同じ理屈で矢尻を作れば、来年のカニ狩りには……。
「カニの殻は武器や鎧のええ材料になるんやで! 高ぅ売れるんやから、変な使い方するんやない!」
「ほれ怒られた」
 次に飛んできたのは……なんと、ネイヴァンの怒声だった。
「バ、バカに怒られた……!」
「バカ言いな! バカやのうて脳筋や!」
 どこがどう違うのか律にはさっぱり分からなかったが、違うと言うからには違うのだろう。
「まあ、ネイヴァンの言う通りだ。俺達ぁ別に、慈善事業でこういうことやってんじゃないんだからよ」
「こんなにいるのによ……もったいないオバケが出てくる隙もねえな」
 後方に戻っていくマハエのフォローに小さくぼやき、持っていたカニ脚をそっとその場に置いておく事にする。これ以上持っていたら、誰に何を言われるか分かったものではない。
「む、律!」
 ディスの言葉に振り向けば、彼等の背後にそびえるのは五メートルの巨大な影。
「ちっ!」
 射程外の弓を背後に投げ捨て、バックステップを踏みながら小刀を引き抜くが……迫る大鋏は、小刀から放たれた衝撃に小揺るぎもせず、直下の律目掛けて振り下ろされる。


「まだ無理よ。もう少し寝てなさい」
 身を起こそうとするカイルにそう叫び、アルジェントは男の体を無理矢理ねじ伏せた。
「カニはまだあんなにいるんだぜ。目さえ見えりゃ、後衛は何とかなるって。……ぐっ!」
「お腹の方が酷いんだから、大人しくしてなさい!」
 治癒魔法とはいえ、万能ではない。浅い傷や切り傷には効果が高いが、大きな傷や体内まで届く打撃系のダメージにその効果は今ひとつ。
 もちろん上位の治癒魔法を使えば傷口そのものを消し去る事さえ不可能ではないが、そうすればアルジェントの処置出来る怪我人の数は大幅に減ってしまうのだった。
「……どうにかならない?」
 腹に力を入れた事で、傷に響いたのだろう。ぐったりとしている男に治癒魔法を掛け直しながら、アルジェントは誰ともなしに呟いてみせる。
「……そうね。加減が難しいか……」
 それを呪文の一環だと思っているのか、それとも痛みでそれどころではないのか。カイルがアルジェントの独り言に口を挟む様子はない。
 しかし、彼の言葉の代わりに彼女に叩き付けられたのは……。
「わぁぁっ! こいつっ!」
 堤防を乗り越え、突撃してきた二匹の大ガニに蹴散らされる後衛の絶叫だ。
 矢か何かの直撃を受けたのだろう。両の眼柄を失ったうちの一匹は、後衛陣の矢と魔法の洗礼を受けてもその暴走を止めることはなく。
「っ!」
 手の下には怪我人。
 彼女は呪文の詠唱中で動きが取れず。
 周りの冒険者も、間に合う気配は無い。
 アルジェントの赤い瞳に、眼球を失った大ガニの振り回す鋏がゆっくりと映り込み……。


 後衛の背後には治癒魔法使いがいる。そしてそのさらに奥には、漁師ギルドの本陣があった。
「あ、セリカさん、アシュヴィンさん!」
 そんな本陣まで下がってきたジョージは、彼の姿を見て駆け寄ってきた二人に大きな声を上げてみせる。
「怪我人デスカ? ジョージ様」
「はい! お願いします!」
 左肩口から大きく切り裂かれ、鎧も赤く染まっている。治癒魔法の応急処置は受けたようだが、傷がそれ以上に深いのか、新たな血が流れ出しているようだった。確かにこれでは、治癒魔法を受けてすぐに戦線復帰というわけにはいかないだろう。
「ミスティ!」
 セリカに呼ばれて奥から出てきたのは、焼き魚を咥えたミスティだった。どうやら、まだ食べていたらしい。
「めんどくさい……って言ってる場合でもないみたいね」
 そんな彼女だが……億劫げに小さく呟けば、開いた傷から溢れていた血が、すっと止まる。
「これも治癒魔法ですか?」
「そういうことにしておいて。応急処置だし、お腹空くからあんまりやりたくないんだけどね」
 奥から出てきた漁師ギルドの女性に怪我人を預け、ミスティは魚をもうひと囓り。
「前線のみんなは? まだ平気?」
「まだ何とか大丈夫ですが……」
 カニの数そのものは減っているのだが、それ以上にこちらの消耗も多い。矢弾にも体力にも限界がある。
 だが、こちらを敵と認識したカニ達の侵攻は止まる気配がないし、止められなければその被害は街に及ぶ。
「……けど、ホントに戦わなきゃいけない相手だったんですか?」
 漁師ギルドや塩田ギルドに不利益が出るのは分かる。けれどそれは、街を危機にさらしてまでしなければならない事だったのか……初めてこの戦いに身を投じるジョージは、そんな事を考えてしまう。
「ここまでの規模は初めてなのデスヨ」
 それは、仮設食堂で怪我人の治療に当たっている幹部達の表情を見ても分かる。それに普段からこれだけの襲来があるなら、ギルドもより万全の体制を整えたはずだ。
「ともかく、我々も戻りマス。ジョージ様も……」
「抜かれたぞーっ! 逃げろーっ!」
 そんな彼等の元に飛んできたのは、彼方からの声だ。
 見れば、堤防を越えたカニの一匹が一直線にこちらへ向かって来るではないか。
「皆さんは中の人の誘導をお願いします!」
 誘導と言っても、仮設食堂の中には多くの怪我人がいる。彼等を置いて逃げられるはずもない。
 故に。
 ベストは、ここで倒す事。
 ベターは、ここで足止めする事。
(出来るか、俺に……)
 ジョージは己にそう問いかけて、拳を軽く握りしめる。
「いや……やるしかありませんよね」
 思いを口にし、走り出す。
 振り下ろされる大鋏を前に踏むのは軽いステップ。
 紙一重でその一撃を避け、一瞬で相手の懐へ。
「ここで……」
 振りかぶる腕、回す腰、踏みしめる脚。一連の動きをひと繋がりに纏め上げれば……重なる力は、圧倒的な破壊力へと昇華する。
「こう!」
 気合一声。轟く一撃に、五メートルの巨体が僅かに浮いた。
「……まるで大砲ね」
 腹にずんと響くその音は、かつて山岳の国で見た、火薬を使った最新兵器の如く。
「やった……か?」
 だが、身が浮くほどのジョージの拳を受けてなお、カニが動きを止める事はなかった。拳の一撃が効いたのか、今度は大鋏を振りかざす事はせず、代わりに摂食用の小さな鋏を突き出してくる。
「……っ!」
 先程の一撃で力を使い果たしたジョージの足はもつれ……。


続劇

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