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8.穴を掘れ!
 目の前にぶら下げられた札は、『休み』という簡素極まりないもの。
「……マジか」
 律の記憶が確かなら、この店は冒険者相手の品揃えをした店だったはず。
「りっつぁん。ミスティの店なら、今日は開かないと思うぜ?」
 そんな律の背後から腕を伸ばしてきたのは、『月の大樹』を追い出されたカイルである。
「え、いや、え……? だって、今日ってアレだろ? 何とかマネキが攻めてくるって。『月の大樹』の連中だってピリピリしてたじゃねえか」
 マハエは早々に戦場の下見に出掛けていたし、『月の大樹』のウェイターも人手不足のギルドの手伝いに行ってしまった。ならば自分も今夜の準備をするかと思って来てみれば、これである。
「ここの店主はこういうかき入れ時は店閉めてるから」
「……逆じゃないのか、普通」
 おそらく今日なら、『カニ戦にべんり』と書いた札でもぶら下げておけば、どんなモノでも飛ぶように売れるだろう。
「忙しいのが面倒なんだと」
 カイルがこの街に来た時、既にミスティはこの店を構えていた。だが、ツナミマネキ討伐には毎年のように参戦している彼でも、決戦当日にミスティの店が開いていた事など、数えるほどしか見た事がない。
「ホントに働く気があるのかね……あの姉ちゃん」
 そんな態度でも店が潰れないのだから、彼女の腕はそれ以上に信頼されているのだろう。
「で、何を買うつもりだったんだ?」
「矢の手持ちが少なかったのを思い出してな」
 今度のツナミマネキは、固い殻を持つ相手。普段の矢ではなく、もっと効果のある物や、それこそ対カニ用の矢尻などがあればと期待したのだが……。
「だったら良い店知ってるから、案内してやるよ」
 先日『月の大樹』で一緒に呑んだ時、カイルもボウガンを使うと聞いていた。そんな彼が紹介してくれる店なら間違いはないだろう。
「お、悪ぃな。助かるぜ!」
 そう言って、男二人は街の雑踏の中へと消えていく。


 広い砂浜に吹き抜けるのは、穏やかな海風だ。
 ガディアの海岸は荒い風が吹く事が少なく、波の穏やかさも北の内海に匹敵すると言われている。
 故にこの時期には、地元の釣り客や、浜遊びの客で賑わうはずなのだが……今日ばかりは、そんな客達も姿を消していた。釣り客の代わりに歩き回るのは、武器を携えた冒険者や傭兵たち。浜遊びの客の代わりにはいるのは、かがり火の燭台を組み立てている屈強な漁師たちだ。
 今宵は満月。
 日の沈んだ後の浜に吹き荒ぶのは、穏やかな夜風ではなく……戦いの風となるはずだった。
「よし、もうちょっとだな」
「あ、マハエさーん!」
 そんな男達の中に白髪交じりの頭を見つけ、ジョージは大きな声を投げかける。
「おう。お前らも下見か?」
 どうやら大きな穴を掘っていたらしい。スコップを片手に休憩している彼は、額の汗を首に掛けたタオルで拭っている。
「この辺りに上陸してくるんですか? その大ガニ」
「メスは海の中だけど、オスがそこそこな。さすがに堤防を越えて街に向かうような奴はほとんどいないが」
 今年はツナミマネキの目撃数や事故も例年より増えていた。事故に関しては、塩を運ぶ船の数が増えているからという考え方もあるが、それにしても多過ぎるという。
 実際にどの程度のツナミマネキが陸に上がってくるかは分からないが、激戦になる事だけは間違いないはずだ。
「水中戦にはならないんですね……。良かった」
 海の方をぼんやりと眺めていたジョージのどこか安心したような言葉に、マハエは苦笑いをしてみせる。
「海に引きずり込まれたら諦めな。泳げても泳げなくても関係ねえ」
「……泳げますよ、ちゃんと」
 何やらあらぬ誤解をされたと気付き、ジョージはそう否定して、それきり黙ってしまう。
「あ、あたし泳げないや……大丈夫かな」
 そもそも海を見るのも初めてだ。さらに言えば故郷のグンザンは地下水脈ばかりだったから、実は川で泳いだ事もない。
「お前、その鎧を着て戦うんだよ……な?」
 ルービィは平時だというのに金属の補強の入った革鎧をまとい、なおかつ巨大な盾を背負っていた。
「そだよ?」
 首を傾げるドワーフの少女に返す言葉も見つからず、一同は困ったように顔を見合わせるしかない。
「ねえ。越えてこないんだったら、放っておけばいいんじゃないの?」
 そんな沈黙を別の話題で打ち破るのは、ずっと海岸の様子を眺めていたアルジェントだ。戦う側ではなく治療する側の彼女としては、どうしてもそんな事を考えてしまうのだが……。
「俺らとしても、それが一番楽なんだがなぁ……。あれ、見えるか?」
 フードの女性の言葉に白髪の目立ち始めた頭をぼりぼりと掻き、マハエは海のある一点を指差してみせた。
 そこにあるのは、一艘の船である。
「沈んでるのだ。ボロ船なのか?」
 リントの言う通り、その船は、船体の半分以上を海に沈めていた。海原へ漕ぎ出す事はもう二度とないだろう。
「新品だよ。塩田の商人が半年前に進水させたばっかりの荷運び船さ」
「じゃあ、手抜き工事ですか……?」
 至極真っ当なアギの呟きに、マハエは苦笑いを浮かべるしかない。
 件の船はガディアの造船所で作られたものだ。近くに船大工が歩いていれば、問答無用でぶん殴られていただろう。
「船底を尖った鋏でぶち抜かれりゃ、大抵の船はその場で沈むさ。荷物積んでりゃそうそう避けられないしな。……ほれ、あの辺」
 波間に見えるのは、明らかに波とは異質な鋭角の物体だった。波の動きとは全く違うタイミングで、波の間をゆらゆらと揺れている。
「あそこって、浅瀬……じゃないわよね」
 近くをそれなりの大きさの船が通っているし、少なく見積もっても水深四〜五メートルはあるだろう。そこにいるカニは、海底に足を着いてなお、鋏の先をそこまで出せるだけのサイズがあるという事だ。
「残念なことにやっこさん、この湾一帯に夏一杯はいらっしゃってな。海の中にいる間は手が出せねえから、卵を産みに丘まで寄ってきた所で頑張って数を減らすってワケさ」
 夏じゅう船を出せなければガディアの漁師は廃業するしかないし、夏に生産の山場を迎える塩田も大打撃を受ける。湾をツナミマネキに独占されるわけにはいかないのだ。
「ねー。何やってるのー?」
 そんな中、話に飽きたルービィが覗き込んだのは、マハエの傍らにあった大きな穴である。底では少年が一人、懸命にスコップを振り回しているのが見えた。
「マハエの手伝いだよ。腰が痛いから、穴が掘れないんだってさ! 鍛錬にもなるしなー!」
「人を年寄り扱いすんじゃねえ!」
 五メートルのカニを落とすための穴だから、その規模は相当な物になる。怒鳴り返してはいるが、実際はダイチの助けがなければ作業は半分も進んでいないだろう。
「落とし穴か。俺がヒャッホイするために、悪いな」
「……別にお前のためじゃねえけどな」
 そういえば去年の戦いでも、ネイヴァンは落とし穴にハマったカニを嬉々としてぶん殴っていた。もちろんそれも戦い方だから、それはそれで構わないのだが……。
「ん、どした。ルービィ」
「……スコップ、ある?」
 ルービィはマハエの差し出したスコップを掴むなり、勢いよく穴に飛び込んで……。続いて響くのは、スコップが大地に突き込まれる軽快な音だ。
「へへぇ」
 ざくざくとしばらく掘って、ルービィは傍らの少年に勝ち誇ったような笑みを浮かべてみせる。
「お、良い掘りっぷりじゃねえか。ダイチ、負けてるぞー」
 もちろんそれで負けっ放しの少年ではない。
 今まで以上の勢いで、勢いよく穴を掘り始めるのだった。


 戦場は、一足先にやってきた。
 砂浜ではない。
 海でもない。
 地上の『月の大樹』である。
「お待たせしましたー!」
「姉ちゃん、注文ー」
「こっちもー!」
 繁忙時間の昼ではある。だが何が起きたか、客の入りはいつもの倍近い。
 けれど忍も接客のプロ。そんな臨戦態勢でも……いや臨戦態勢だからこそ、いつものにこやかな笑顔を崩す事は無い。
「はーい。お伺いします!」
 そんな忍の耳元に響くのは、しゅっという空気の抜ける軽い音。
「忍、注文は私が行くから、料理を運ぶのお願いします!」
「わかりましたわ!」
 スラスターを使った大跳躍で肩に飛び移ってきたシノに注文取りを任せ、忍はカウンターへぱたぱたと駆け戻っていく。
「何でいきなりこんなに忙しいのよ! アシュヴィンを婦人部に貸すんじゃなかったわ!」
 カウンターに戻れば、フライパンを振り回すカナンも半死半生の有様だった。奥からもバタバタと慌ただしい音が聞こえてくるあたり、裏方の魔法使いも雑用に追われているのだろう。
「カーバンクルがおるからじゃろ」
「カーバンクルぅ?」
 カウンターでエールのジョッキを傾けていたモモのさりげないひと言に、カナンは首を傾げてみせる。
 店内を見回しても、いるのは見慣れた種族ばかりで、カーバンクルなどという知らない種族は見当たらない。
「ほれ、そこの子供」
 苦笑するモモが指したのは、やはりカウンターでミルクを飲んでいた幼子だ。自分を指された事に気付いたのか、ナナは顔を上げ、不思議そうに首を傾げてみせる。
「ナナちゃんの事ですか? ……ナナちゃん、カーバンクルなんですの?」
「そだよ?」
「へぇ……」
 こともなげに頷くナナに、カナンも忍も、そんな間の抜けた返事を漏らすだけ。同時にフライパンから僅かな焦げの臭いを感じ取り、慌てて大皿に移していく。
「リアクションが薄いのぅ。あれでも幸いをもたらす伝説の幻獣ぞ? ワシも見たのはいつ以来かというに……」
「まあ、変わった種族は今まで沢山見てきたしね」
 能力はともかく、ナナの見た目はただの子供でしかない。外見のインパクトで言えば、龍の翼を持つアシュヴィンや喋る猫のリントのほうが、余程パンチが効いている。
「それより幸いってんなら、手伝いが欲しいんだけど!」
 大量の注文と共に跳んで戻ってきたシノの様子に悲鳴じみた声を上げつつ、カナンはフライパンに脂の塊を放り込む。
「あの、すいません……」
 そんな戦場で掛けられたのは、小さな声。
「手伝い!?」
 殺気立つカナンの返答に、声の主はビクリと身をすくめ。
「あ、いや、えっと、仕事をお願いしたいんですが……」
「悪いがそれは、少し待ってやってくれんかの。見ての通り、店の者は戦の真っ最中じゃて」
 さすがにこの状況はどちらも不憫だと思ったのか、口を挟んだモモの言葉に。
「はぁ……」
 カウンターの上に立つ、身長十五センチの娘。
 栗色の髪のルードは、小さく頷いてみせるのだった。


続劇

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