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6.インターミッション2
 食事でお腹が一杯になれば、それに続くのはお茶と会話の時間である。
「あれ。じゃあ、コウさんのお知り合いですか?」
「うん! グンザンで助けてもらって、それを見てあたしも冒険者になろうって思ったんだ」
 もっともカウンターで話に花を咲かせているジョージ達の場合、共通の話題で盛り上がるというよりは、この街に来たばかりのルービィの話を聞くといった意味合いが強かったが。
「ターニャも戻ってきてたし、そろそろ帰ってくるんじゃないの?」
 そんな彼女達の会話に混ざっていたミスティの言葉と共に、入口の鈴がちりんと鳴って。
「ただいま帰りました」
「ヒューゴ様、フィーヱ様、お帰りなさいマセ」
 入ってきたのは白衣の青年と、その肩に腰を下ろした黒いルードである。朝イチでこの店を出立した、木材ギルドの護衛の面々だ。
「ターニャは?」
 カウンターへ音もなく降り立ち、フィーヱは先に報告に来たはずの獣人娘の名を問うてみせる。
「明日の仕込みがあるからって帰ったわよ。倒れたルードの子、どうだった?」
「昏睡状態のままです。容態は落ち着いているそうですから、明日も覗いてみるつもりですが」
 差し出してくれたコーヒーを受け取りつつ、ヒューゴも静かにカウンターに腰を下ろす。
「そっか……。いつものでいい?」
「タダで腹に溜まるなら、何でも大歓迎ですよ」
 ヒューゴが報酬の話をしないのは、その報酬が全て宿代のツケに回ると分かっているからだ。臨時収入で良い酒や高い料理を食べようとしないのも、同じ理由である。
 もっとも彼の場合、お金があれば研究書だの資料だの、食欲ではなく知識欲のために遣ってしまうのだが。
「のう、フィーヱ。そちらに気の短い赤いルードが行かなんだか?」
「コウの事なら、来たけど?」
 問い返すフィーヱに、ディスは持っていたジョッキでカウンターに座るドワーフの少女を指してみせる。
「この子、コウさんの知り合いみたいで。コウさんの話を聞いて、ガディアまで流れてきたそうなんです」
 ジョージの説明にフィーヱはどう答えようか少し考えていたが、面倒になったのか野菜炒めを受け取っているヒューゴに視線を向けた。
「コウさんなら、しばらく戻ってこないと思いますよ」
 とはいえヒューゴも、そう答えたきり黙々と食事を始めてしまう。食そのものに興味はなくとも、腹が減っては研究も出来ないのだ。
「一度戻ってきたんだけど、落ち着かないから森の調査に戻るって」
 ヘルハウンドの残党がいるかもしれない森を独りで動くのは危険だったが、彼女の気持ちも分からないでもない。
「え、いつ帰ってくるの?」
「さあねぇ」
 ヘルハウンド狩りで手に入れた魔晶石もあるし、魔晶石の現地調達もするだろう。自分で納得するまで帰ってこない可能性が高い。
「まあ、楽しみが先に伸びたと思えば」
「……うん」
「じゃ、俺は上がらせてもらうよ」
 後の愚痴なり何なりは、ジョージやミスティ達が何とかしてくれるだろう。フィーヱの報酬は店のルード用金庫に預けられるはずだし、他にすべき事は無い。
「お風呂の準備、出来てるわよ。綺麗にしてから上がったら?」
 背中に掛けられたカナンの声に軽く手を振って。フィーヱは店の壁に設えられたルード用の廊下から、店の奥へと消えていく。


「あら、似合ってるじゃない」
 安物だが清潔な服に、櫛を通されてふわふわになった髪。泥を落とし、たっぷりのお湯で温まった顔は、ほんのり朱く染まっている。
「えへへ……可愛い?」
 忍に手を引かれて戻ってきたナナは、上機嫌でニコニコと微笑んでいる。
「うんうん。さすがね、忍」
「ナナちゃん、可愛かったですわよ。カナンちゃんも一緒に入れば良かったのに」
 余程、可愛い男の子をお風呂に入れるのが楽しかったのだろう。やはり頬をほんのりと上気させた忍は、ある意味ナナよりご機嫌だった。
「それはまた今度ね。……で、何か分かった?」
 そんな二人に風呂上がりのミルクを出してやりながら、カナンが口にするのは真剣な話題。
「はい。どうやら、どなたかにお仕えしていたようなのですが……死に別れてしまったみたいですの」
 ナナの体を洗い、服を着せながら、ごく自然な会話の合間に引き出したのだろう。店主代理として店を預かっているカナンだが、この手の話術は忍の足元にも及ばない。
「だから野良か……。当分はウチで預かるしかないか」
 そんな話題の幼子は早々にミルクを飲み干すと、とてとてと店の中を歩き回っている。
 やがて足を止めたのは……。
 店の隅で、静かに野菜のソテーを口にしていたアルジェントのもとだ。
「ん、どうしたの?」
 隣にちょこんと腰掛けてきた幼子を邪険にするでもなく、ローブの娘は穏やかに声を掛けてみせた。そんな彼女にナナはそっと顔を寄せ、桜色の鼻を小さく鳴らしている。
「べ、別に臭くなんかないわよ? 今日もちゃんとお風呂に入ったし」
 もちろん服だって洗濯済みだ。医を司る立場である以上、清潔には並の冒険者よりもはるかに気を付けている。
「げぼくの……匂いがする?」
「どんな匂いよ!?」
 だが、ナナの言葉はアルジェントの想像のはるか斜め下。
「あらあら……アルジェントさん、そんなご趣味が?」
「違う! っていうか普通こういう時って、ママの匂いとか言うんじゃないの!?」
 小さな子供に母親のように思われた事は、長い旅で幾度もあった。けれど、げぼく呼ばわりされたのは流石に生まれて初めてだ。
「あんた、こんな大きい子供が……」
「産んでない!」
「じゃあ……ままって呼べばいい?」
 忍に続くカナンの視線に慌ててそう言い返せば、今度は分かっているのかいないのか、ナナまで追い打ちを掛けてくる。
 さすがに幼子に大きな声を出すわけにもいかず、困り果てていれば……助け船を出すべく言葉を紡いでくれたのは、ミルクを飲み終えた忍だった。
「アルジェントさん。ナナちゃんの言うげぼくって、ご主人様の事らしいですわよ」
「ああ、ご主人様か……」
 それなら仕方ないか……と一瞬思いかけて、それも明らかにおかしな趣味であると思い直す。
 ストレートにご主人様ならともかく、あえて『げぼく』と呼ばせるなどとは……。
「だから、違うから……」
 明らかに『そんな趣味が』という視線を向けてくる一同に、アルジェントはもう怒鳴り返す元気もなく、そう呟くのだった。


 『月の大樹』の廊下の壁には、ルード専用の廊下として、大人の肩ほどの高さに細い板が渡されている。人間の通る廊下を一緒に歩くのはどちらにとっても危ないし、話をしながら歩くにも不便だからだ。
「……ったく、忍の奴。あんな所まで洗わなくても」
 そんなルード用の廊下を歩きつつ、ぶつぶつと呟いているのはフィーヱである。
 女湯でナナを洗っていた忍に見つかったのが運の尽き。いらないと断るフィーヱの言葉など聞く気配もなく、隅から隅まで洗われてしまったのだ。
「ああいうのはディスにでもしてやればいいんだ……」
 いつもの服も返り血で汚れているから洗っておくと、容赦なく取り上げられてしまった。代わりの服は貸してもらったが、ひらひらしていてどうにも落ち着かない。
 壁に設えられた廊下からフィーヱが入っていったのは二階と三階の間にある空間だ。普通の人間なら手を突っ込むだけで一杯になってしまうそこは、人間の手の長さを超えて、さらに奥へと通じている。
 文字通り人間の手の届かないそここそが、旅のルードが『月の大樹』に宿を取る最大の理由。ルード専用のフロアである。
「フィーヱさん、お帰りなさい!」
 そんな故郷の集落にも似た細道を歩いていると、通路の向こうから白いルードが手を振っているのが見えた。
「……忍に無理矢理着せられたんだよ。似合ってないだろ」
 彼女の視線が明らかに白いワンピースに向いている事を気付いたのだろう。フィーヱは苦々しげに肩をすくめるだけだ。
「そんな事ないですよ。あの子も喜んでくれるんじゃないですか?」
「……ホントにそう言ってくれればいいんだけどな」
 ぽそりと漏れたフィーヱの言葉に、『月の大樹』の白いルードは答えない。
 ただ、少し困ったような表情で、微笑んでみせるだけだ。


 そしてフィーヱは自らの部屋へ戻り。
「ただいま……シヲ」
 声を掛けたのは、もう一つのベッドに横たわる、小柄なルードに向けて。
「どうかな……。似合ってる、かな?」
 はにかむようなフィーヱの問いに、小柄なルードは答えない。
 ただ時を止めたかのように、そこに静かに横たわっているだけだ。


続劇

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