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4.They are not Hellhound
 森の奥から響いてきたのは、強い力の解き放たれる破壊音。
 もちろんヘルハウンド達ではない。もっと強力な、そして戦う意思の元で振るわれた音だ。
「向こうでフィーヱさんが戦ってるのが、ヒューゴさんの言ってた待ち伏せ部隊?」
 口にした内容は剣呑極まりないが、ターニャの口調は自分のバゲットをかじりながらの呑気なものだ。戦いの音だと理解してなお、それを吟遊詩人の調べの如く聞き流している。
 もっともそれは、傍らで二つ目のバゲットサンドを口にしているヒューゴも同じ事。
「風下ですし、足跡や糞場から推測した群れの規模から考えても、恐らくは」
 単に凶暴なだけと思われがちなヘルハウンドだが、実際はかなり組織だった動きをする。大勢の追跡部隊で巧みに標的に付きまとい、標的を分散、誘導させて、そこからはぐれた個体や逃げ切れなくなった弱い個体を、待ち伏せた少数の精鋭が的確に仕留めるのだ。
 小さいとはいえ機械のルードはヘルハウンドの食事にならないから、本命は人間ばかりのこちらのはず。
(気にならない事がないでもないですが……まあ、ここでいたずらに場を混乱させても仕方ありませんね)
 フィーヱは考えて戦うタイプのようだったし、不利と悟れば上手く逃げるはずだ。まずは与えられた任務を果たし……ついでに、宿代のツケを払う事を考えるべきだろう。
「じゃ、そろそろわたし達も動こうか。本隊が来るんでしょ?」
 バゲットの残りを口の中に押し込んで、指先に付いたソースをぺろりと舐めとってみせる。
 既に荷物は片付けて、すぐ移動できるようにしてあった。それはヒューゴも、他の冒険者達も同じ事。
「皆さん、さきほど説明した手はず通りでお願いします。僕達の仕事は材木ギルドの皆さんの護衛であって、ヘルハウンドの討伐ではありませんからね」
 既に伐採された木材は枝葉を落とされ、いつでも運べる状況にある。そこに材木ギルド付きの魔術師が呪印を描けば、数十本の木材はゆっくりとその場に収束し……。
「ねえ。これ戦わせれば、ヘルハウンドなんてすぐ倒せるんじゃないの?」
 身を起こしつつある木材製の巨人を見上げ、ターニャはぽつりと呟いた。


 もうもうと立ち籠める砂煙が、森を抜ける風に払われ、ゆっくりと晴れていく。その中から姿を見せるのは、全身をしたたかに打ち据えられ、崩れ落ちたヘルハウンド達だ。
「お前、俺も巻き込む気だったろ!」
 放たれた力の大きさに、反射的に足のスラスターを吹かして大跳躍を行ったのが幸いした。あの鞭打の奔流に巻き込まれていれば、フィーヱもヘルハウンド達と同じ運命を……いや、サイズを考えれば、それよりもっと酷い事になっていたに違いない。
「初めて使った技だったのでな……。すまん、加減が出来なかった」
 近くの木の枝に降り立っていた金髪のルードは、そう言って小さく頭を下げてみせる。
「……どうだか」
 自信満々の様子だったから賭けてみれば、どうやらとんだ大博打だったらしい。
「ともかく、残りを仕留めるぞ!」
「分かってる!」
 健在な残りもいるし、ナナやターニャ達の事もある。この状況なら、相手が体勢を整える前に倒すのが一番早い。
 そんな二人の頭上に現われる、陽光を遮る影一つ。
 ヘルハウンドではもちろん無い。
「てっめぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 叩き付けられたのは、鋭い怒声。
 振り下ろされたのは、巨大な刃。
 金髪のルードの視界を埋めるのは、紅い装甲と怒りに歪む少女の顔。そしてその左頬に刻まれた、一条の傷跡だ。
「っ!」
 構えた片手剣でルードの身ほどもある巨大な刃を受け止めるが、足元の枝がその衝撃に耐えきれず、べきりと音を立てて砕け散る。
「! アリスじゃ……ない!?」
 巨大な刃を振り下ろす、赤い影。
 琥珀色の瞳を睨み付けるその貌が、怒りの色から驚きのそれへと切り替わる。
「奴を……知っているのか?」
 だが、表情を変えたのは受け止めた側も同じ。
 自由落下中である事も忘れたかのように、紅のルードへと問いかける。
「忘れるわけがない! その技、どこで覚えた!」
 無数に分かたれた光の鞭が、間合の内の全てを全ての向きから打ち据える。回避も、防御する事も許さない、文字通り必殺必中の一撃。
 その暴技の使い手は、彼女の知る限り……たった一人しかいないはず。
「お前ら! だべってないでやる事があるだろ!」
 けれど、そのやり取りはフィーヱの鋭いひと声で中断される。
「分かってるよ、フィーヱ姉! 後でちゃんと話、聞かせてもらうからな。……えーっと」
「……琥珀だ。よろしくな、赤いルード」
 音もなく大地に降り立ち、琥珀はヘルハウンド達に向けて疾走を開始する。
「あたしはコウだ! 足引っ張るんじゃねえぞ!」
 そしてコウも琥珀やフィーヱに遅れることなく、戦場へと飛び込んでいく。


「ああっ、脆い!」
 ヘルハウンドの体当たりを受けてがらがらと崩れていくウッドゴレームの姿に、思わず悲鳴を上げたのはターニャだった。
「魔法でくっつけてあるだけですからね。歩くので精一杯なんですよ」
 もともと木材の運搬用に作られた簡易的な魔法だ。無論、戦いに耐えられる強度などあるはずもない。
「学者の兄ちゃん、危ねえっ!」
 冒険者の声に振り向けば、目の前に迫るのは鋭く並んだ牙の群れ。
「おっと」
 ヒューゴが漏らすのは、そんな気の抜けた声一つ。あわや青年は牙の餌食、間の抜けた声が断末魔に変わるかと思われたその瞬間。
 悲鳴を上げたのは青年ではなく獣の方だった。
 空中でバランスを崩したか、ヘルハウンドは青年の脇をすり抜けて、そのまま地面に頭から叩き付けられている。
「すごーい! どうやったの?」
「偶然ですよ。偶然」
 背中の包みから取り出したパラソル……に似せた、ボウガンである……を構えつつのターニャにそう答えておいて、ヒューゴは群れの動きを頭の中にまとめ上げていく。
 三次元に動くそれを、平面へと落とし込んでいけば……。
「……ねえ。ヘルハウンド達の動きって、ちょっと言ってたのと違わない?」
 どうやら疑問に思ったのは、ヒューゴだけではないらしい。
 先ほど煙玉を使い、ヘルハウンド達の目くらましを行ったターニャも、異変に気付いている。
「ただ暴れてるだけっていうか、なんていうか……」
 ヘルハウンドが凶暴なのは当たり前だ。けれど目の前の凶暴性は、ただ本能に赴くままに暴れているだけのような……普通のヘルハウンドの、凶暴さの中に潜む狡猾さが見えてこない。
「ええ。それに、気付きましたか?」
「何が?」
「このヘルハウンド達……全員、メスなんですよ」
 雄雌関係なく狩りを行うヘルハウンドだから、メスが混じっている事自体はごく当たり前の事だ。けれど、群れの全てがメスという事は、ありえなかった。
 別働隊でも、指揮官や副官はオスが務めるはずなのだ。
(それに、足跡だけでなく、毛並みも全く同じ……どういう事ですかね)
 襲いかかってきたヘルハウンドをもう一匹さばき、ヒューゴは思考を休めない。
 最初にさばいたヘルハウンドも、先程の一匹も、毛並みも模様も全くと言って良いほど同じだった。親族ならば似ている可能性はあるが、だからといって体格や足跡まで全く同じという事はありえない。
 ありえない群れの構成。
 ありえない戦術。
 ありえないヘルハウンド。
(だから……『違う』か!?)
 森の民がターニャに伝えたという、その言葉。
「皆さん、作戦変更です! 背中を取られないように気を付けて、ヘルハウンドの戦い方のクセは忘れて下さい! 向こうは恐らく、ヘルハウンドの戦い方を知らない、ただの凶暴な生物です!」
「どういう事だ? ヘルハウンドだろこいつら!」
 冒険者の一人が、ヒューゴの言葉に声を荒げてみせる。
 相手はどう見てもヘルハウンドだ。それ以外の何かと思えと言われても、どうすればいいのか。
「ターニャさん、他にも気付いてるんじゃないんですか?」
 背中越し、小柄な影にそう問えば、視界の隅に首を縦に振るターニャの動きが入ってくる。
「……ヘルハウンドの言葉が、通じないんだよね」
 多種多様な特性を持つ獣人の中には、獣と意思を通じさせる者もいる。ターニャのその力を用いれば、いかなヘルハウンドが相手とはいえ……縄張りに入らせて貰うくらいの交渉なら出来ただろう。
 だが、先程から襲いかかって来るヘルハウンド達に『交渉』を試みていたものの……相手からの反応はなかった。
 聞く耳を持たない、ではない。
 まるで、言葉を知らないかのように。
「でしょうね。恐らく彼女達は、ヘルハウンドの言葉を知らないはずですから」
「ヘルハウンドなのに?」
「そういう成長の期間を全てすっ飛ばして、いきなりこの大きさで生まれて放り出されたんだと思います。卵を割って成鳥の鷲を出すような方法でね」
 雛の頃を経る事なくいきなり鷲の姿で生まれても、いかな猛禽の王とて空は飛べず、エサを獲る事も出来ないだろう。
 成鳥となるまでの学習と、経験がないからだ。
 このヘルハウンド達も成長の期間をすっ飛ばし、本来なら身に付けているはずの種族の言葉や戦い方の一切を得ることなくいきなり生まれてきた……そう考えれば、生来の凶暴性だけで戦う、今の奇怪な行動に説明が付く。
(全て同じヘルハウンドのように見えるのは説明が付きませんが……まあ、それは後でゆっくり考えましょうか)
 卵からいきなり鷲を出す術が、古代の技術か、はたまた魔法かも分からないままだ。
 けれど当面の対処と方針は出来た。
 その後の事を時間を掛けて解明するのは……それこそ冒険者ではなく、研究者の領分である。
「あんまり戦いたくないなぁ……」
 ヘルハウンドの動きと思えば予想外のそれも、落ち着いて見れば大した動きではない。戦闘訓練を経ていない相手だから当たり前なのだが、それを狙い撃つのはあまり良い気分ではなかった。
 それでも、短くも激しい戦いは終わりを迎え……。


「結局何だったのかしら……」
 背後のギルドの木こり達に、怪我はない。あのゴーレムを作った魔法使いが気を利かせて、材木を操って壁を作ってくれていたのだ。
「分かりません。とりあえず、報告はすべきでしょうけど」
 動かなくなったヘルハウンドらしき物を眺めつつ、そんな話をしていると……森の奥から姿を見せるのは、小さな影だ。
「お前ら!」
「お疲れ様でした。……なるほど、十分な戦力だったわけですね」
 フィーヱだけかと思いきや、ルードがさらに二人と、人間の子供まで混じっている。ルードが三人いれば、確かに別働隊を押さえ込む事も不可能ではないはずだ。
「ヘルハウンドの群れ、倒してきたぞ。他にいるかもしれないから……なんだ、もう終わってたのか」
「一応は。ただ、別働隊がいないとも限りませんし、早く森を出た方が賢明でしょう」
 ヘルハウンドの定石戦術なら隊は二つに分けるものだが、なにせ定石の通じない相手だ。調査は改めてするにせよ、まずは撤退するのが最善の策だった。


 森を抜ければ、そこに広がるのは南北に抜ける長い道。
 北は山岳の国、南は港町ナウベニアを抜け、はるか平野の国まで通じる、ゲヴィルグス街道である。
「この辺りまで来れば大丈夫でしょう……多分」
 とはいえ種族の習性が通じない相手だ。ヒューゴのそれは、文字通りの『多分』である。だが、面倒な相手だと思いつつも、心の中では面白いサンプルだと期待してしまう自分に、苦笑を隠せない。
「ったく。そういう作戦なら、ちゃんと話してくれれば良かったのに」
「言う前に行っちゃうんだもん」
 ターニャの肩に腰を掛けて不服そうなフィーヱは、傍らの眼鏡の青年をじろりと一瞥してみせる。
「まあ、あそこでフィーヱさん達が頑張ってくれたから、ヒューゴさんの作戦も上手くいったんだけどねー」
 あれ以上の乱戦になっていれば、ヒューゴも状況を分析する余裕は無かったはずだ。フィーヱ達が別働隊を止めていたからこそ、こうして一人の負傷者も出すことなく帰還できたと言っても過言ではない。
「だな。私とナナも、フィーヱが居なければどうなっていたやら」
 琥珀の言葉に、木材を運搬する馬車……行軍速度の鈍いウッドゴーレムは街道に出て早々に解体され、荷馬車に積み込まれていた……にちょこんと腰を下ろしたナナは、不思議そうに首を傾げてみせるだけだ。
 身元は相変わらず不明なままだが、ヘルハウンドの闊歩する森に置いていくわけにもいかない。ひとまず『月の大樹』に連れ帰るのが良いだろうというのが、その場にいた者達の総意だった。
「そうだ! 琥珀、あんたに聞きたい事があったんだ!」
 慌ただしい移動の中ですっかり忘れていた。
 詰め寄るコウを軽く制し、ナナの肩に座っていた琥珀は小さく頷いてみせる。
「分かっている。アリスの……」
 だが。
 その先の言葉までは、続かない。
 十五センチの小さな体がぐらりと傾ぎ、幼子の肩から音もなく滑り落ちて。慌てて伸ばしたヒューゴの手の上、落ちてきた小さな体は、ぴくりとも動かない。
「琥珀!? おい、ちょっと、しっかりしろ! おい!」
「休眠……? いや、これは……ヒューゴ!」
 ルードは、魔晶石から補給した魔力をエネルギーとして動く。だが、激しい戦いや装備の多用でその動力を失えば、『休眠』と呼ばれる力を温存するための眠りに就いてしまう。
 しかし、休眠は安全装置の一つだ。眠気のように緩やかに来るものであって、琥珀のように唐突に起こるものではない。
 そうなるのは……。
「ええ。護衛は僕達だけで十分ですから、フィーヱさん達は先に琥珀さんを町に」
「コウ!」
 フィーヱにその名を呼ばれた時には、既にコウは自らの武装を変形させ、いつでも走り出せる構えにある。
「施療院だな! ……せっかくのあいつの手がかりなんだ。黙ったまま死なせてたまるかよ。飛ばすぜ!」
 武装の背部、同乗者用の席にフィーヱと琥珀を乗せ、コウはいきなり全速を叩き出す。


続劇

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