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2.森の民、街の民
 その店に足を踏み入れた瞬間。
 男を襲ったのは、肌を振るわす衝撃と爆音だ。
「うおっ、ンだぁ!?」
 もくもくと漂ってくる黒煙の源、店の奥に向かって声を掛けるが、奥からの返事はない。
 特徴的な黒い煙と臭い。それは、魔法や錬金術で作った薬品ではなく……。
(火薬は山岳の国の専売特許だって聞いたぞ。フカシかありゃ)
 いかに隣国とはいえ、木立の国には似つかわしくない技術だ。それ故か、店の外から爆発に対する野次馬の気配はない。
「大丈夫かー!」
 もう一度声を叩き付けても、返事はない。男は意を決するや、着物の裾をたくし上げ、店の奥へと飛び込もうとして……。
「大丈夫だと思います」
 ふと掛けられた静かな声に、足を止める。
「そう……なのか? 嬢ちゃん」
 いつの間に入ってきたのか、それとも男が来る前から店内にいたのか。白い髪の小柄な娘は、小さな頭をこくりと縦に振ってみせる。
「みんな慣れてますから。ミスティさん、お客さんですよ」
 だが少女の言葉とは裏腹に、奥からの返事はない。
 飛び込んで良いかと無言の問いを発している男に、少女は少し考えて、もう一度言葉を放ってみた。
「ミスティさん、アギです。薬を受け取りに来たんですが」
「やっぱり死んでるんじゃないのか?」
 来ない返事に、男が歩を進めようとしたその時だ。
「あー。アギ? ちょっと待っててー」
 よく通る声が響いてから、少しして。部屋の奥から姿を見せたのは、青い髪の細身の女性だ。恐らくは煙の源にいたはずなのに煤を被った気配もない。
「おお、大丈夫か?」
 心配する男の前をするりと抜けてミスティが歩み寄ったのは、アギと呼ばれた小柄な娘のもとへだった。
「はいこれ。ミラのレシピ通りに作ってあるわよ」
 小さな包みを差し出す女性は、店の奥を爆発させた事など気にしてもいないようだった。どうやら野次馬や助けが来ないのも、未知の火薬を恐れているからではなく、慣れてしまったからなのだろう。
「ありがとうございます。お代は……いつも通りで良いですか?」
「ええ。竜の肝ってなかなか手に入らないし、余りをもらうだけで十分よ。……あら、いらっしゃい。何か用?」
 そこまで話し終えて、ようやく男の存在に気付いたらしい。
 男の格好が珍しいのだろう。女は好奇の視線を隠そうともせず、男をじろじろと眺めている。
「……古代人だよ。俺の故郷っつか、ご先祖様の土地の格好でな」
 もっとも男もその手の問いには慣れたもの。女の堂々とした視線を清々しいとさえ思いながら、手短にそう説明してみせる。
「海の国辺りの民族衣装かとも思ったけど、そうなんだ。……で、何かお探し?」
「煙草を切らしちまってよ。停車場で聞いたら、ここで売ってるだろうって教えてもらったんだが……」
「煙草ねぇ……どっかあったかしら」
 見て分かるほどに面倒な様子で、ミスティは一つ目の棚に頭を突っ込み、奥をがさがさと漁り始めた。
「……商売する気あんのか、あの姉ちゃん」
 一つ目の棚を見終わり、隣の棚を漁っているその様子は、明らかにどこに何があるのかを把握していない。竜の肝を調合出来る腕や、表に出ている品を見る限り、腕は確かなのだろうが……。
「悪気は……ないんです。えっと……」
 ミスティに悪気はない。腕も確かだ。
 ただ、商売をする気があるのかと問われれば……それはアギも、はっきりと答えられずにいる。
「ああ。律だ。藤城律。呼びにくけりゃ、りっつぁんって呼んでくれてもいいぜ!」
「じゃあ、りっつぁん。それと……ですね」
 ミスティの漁る棚は、三つ目に移った。
「何だ? 嬢ちゃん」
 四つ目の棚で煙草の包みを見つけた所で、アギはようやく言葉を紡ぐ。
「……僕、男です」


 ぶらぶらと森の中を歩いているのは、小柄な娘が一人だけ。
「この辺りだと思ったんだけどなぁ……違うかな」
 肩に大きな包みを提げて、辺りを警戒する様子もなく歩いている。もちろん深い森は、女の子が一人で歩いて安全な場所では決してない。
 そんな森の中、娘はぴたりと足を止め、くるりと振り向いて背後へ声を放り投げる。
「ああ、気付いてるから出てきてよ。ストーカーかと思っちゃうぞ?」
 深い森に響き渡る声に、答えはない。
 娘の伸びる声が木々の間を駆け巡り、ようやく消えたかと思った所で……揺れるのは、十歩を離れた茂みの中だ。
 現われたのは、深くフードを被った長身の青年である。
 その装いはミスティの店を訪れたアギのものによく似ていたが、もちろんそれはターニャのあずかり知らぬ事だ。
「こんにちわー」
 娘が声を投げかけても、青年は表情一つ動かさないまま。
 どこか気まずい沈黙が辺りを包み込み……。
「……この先はエルフ達の領域だ。街の人間は、入らない方が良い」
 やがてぽつりと呟いたのは、人間の青年だ。
「ありがと! ……ついでにもう一つ教えてもらって良い?」
 娘の問いに、青年は無言。
 それを否定ではなく肯定と解したのだろう。ターニャは構わず質問を投げかける。
「この辺りにヘルハウンドの群れが来てると思うんだけど……森の民のお兄さんなら、どこから来たかとか、知らない?」
 森の奥からやってきたのか、それとも全く別の地域からやってきたのか。それが分かるだけでも、出会った時の対応は大きく変わってくる。
 エルフと並んで森に通じる彼等なら、大まかな事くらいは分かるかと思ったのだが……。
「……違う」
 青年が返すのは、たったひと言。
 しかも質問の答えにもなっていないひと言だ。
「違うって……?」
 さらに問いを重ねた時、既に森の民の姿は無い。辺りに気配も残っていないから、本当にどこかに行ってしまったのだろう。
「……とりあえず、戻ろっか」
 男の言葉は、違うのひと言だけ。
 けれど、違うという事は……違うのだ。
 自分達は、根本的な何かを取り違えているのかもしれない。ターニャは肩の荷物を背負い直し、来た道をゆっくりと戻り始めた。


 一般的なルードの身長は、十五センチ。一般的な人間の、十分の一以下の大きさである。
 それは即ち、人間基準で作られた町は、彼女達の同規模の町の十倍以上の広さを持つ事を意味していた。
「ちっ! 人間の街ってのは、どうしてこう無駄に広い……!」
 街の大通りを駆けながら、コウが吐くのはそんな悪態だ。
 もちろん人間の街の大きさには慣れていた。けれどそれでも、急いでいる時は悪態の一つも吐きたくなる。
「あの人間の話がホントなら、こんな速さじゃ間に合わないか……仕方ない!」
 叫びと共に大きく跳躍、意識を背中と両足に集中させる。
 それを合図に背中と両足の武装が跳ね上がり。その内から姿を見せたのは、黒く輝く三本のタイヤだ。
 コウの両手が制御用のハンドルを握りしめるのと、変形を終えた外装が地面に落ちるのはほぼ同時。落下の衝撃に沈み込んだサスペンションが戻る間もなくアクセルを叩き込めば、きゅるきゅるという鋭い空転音が一瞬響き、砂を噛み込んだタイヤが十五センチの小さな体を力任せに前へと弾き出す。
 さながらそれは、一条の紅の弾丸の如く。
 だが、全速を出したのは街道の隅。
 もちろんそこには、障害となる十倍以上のサイズを持った存在が無数にいるわけで……。
「でええええええいっ!」
 通行人や馬車にぶつからないよう、唸るタイヤの重心を変える事で強引な軌道修正をし、コウはガディアの街を駆け抜けていく。
「きゃっ!」
 紅の弾丸を慌てて避けたのは、エプロンドレスの女性だった。何かを探していたのだろう。辺りを見回しながら歩いていた彼女はコウへの反応が遅れ、その身をぐらりと傾がせる。
「おっと。大丈夫かい、忍ちゃん」
 そんな女性を受け止めたのは、長身の青年だ。どうやら女性とは親しい間柄らしく、その身をぐっと抱き寄せようとするが。
「……やれやれ。相変わらず、つれないねぇ」
「カイルさんですから」
 気付けば、忍と呼ばれた女性はいつその身を躱したのか、カイルの腕の外で穏やかに微笑んでいる。
「まあいいや。忍ちゃん、一人なら俺とデートしない?」
 ちょうど朝食の時間が終わり、酒場もひと段落といった時間だ。エプロンドレス姿のままの忍は店の用事か、野暮用を済ませるためか、いずれにせよ店から少し抜けてきただけといった様相だが……。
「すみません。飼っていた猫が、いなくなってしまいまして……」
 どうやら正解は後者らしい。カイルは以前酒場で聞いた、雨の日に拾ったという猫の話を思い出す。
「忍ちゃんと同棲してるあのうらやましい猫か……。なら、俺達も探すの手伝ってやるよ! 手伝うよな? ネイヴァン」
 コウの走り去っていった方向をぼんやりと眺めていた友人の肩を捕まえ、カイルは忍に満面の笑みを向けてみせる。
「ああ、あんなんに乗って走り回れたら、ものっそいヒャッホイ出来るんやろうなぁ……ルードはええなぁ……」
「お前があんなのに乗ったら五秒で事故るかひき逃げ犯だろ。それより猫探しだ、猫探し!」
 恐ろしい事を呟いているネイヴァンに軽く突っ込んで、カイルは青年の意識を無理矢理こちらに引き戻す。
「……かまへんけど、猫探しって楽しいんか?」
「楽しい楽しい。忍ちゃんと一緒だから楽しいに決まってるって!」
 本音を言えば二人っきりの方が何百倍も楽しいが、最初から二人っきりを狙えば忍は間違いなく逃げてしまうだろう。ここはまずネイヴァンも引き込んで、適当なタイミングで二人っきりになるのがベターなはずだった。
「こう、ハンマーで猫の装甲のうっすい所をがつーんてやって目ェ回させたり、穴にはまった猫に太刀ィガンガン振り回したり出来るんか?」
「出来る出来る。忍ちゃんと一緒だから楽しいに……」
 既にカイルの中では、万全のタイムテーブルが出来上がっていた。ネイヴァンをどのタイミングでパージするかの計画も、バッチリだ。
「ならええで! 任しとき!」
 ネイヴァンの一言に、カイルは心の中でガッツポーズ。
 計画の第一段階はクリア。忍を誘えるのは確定として、次の計画は……。
「ありがとうございます! それじゃ、カイルさん達は向こうの通りを探していただけますか? 私はそろそろお店に戻らないといけないので……」
「分かった! 尻尾にリボンが付いてるんだよな……って、あれ?」
 気が付けば、忍は通りの遥か彼方。
 残ったのは、手を振った姿勢で固まっているカイルと、腰の片手剣に手を掛けてニコニコしているネイヴァンの二人だけ。
「どしたん。猫探し行かへんの? はよ猫相手にヒャッホイしようや! チャラチャラ」
「いや、何だ。……あれぇ?」
 どこで計画を間違えたんだろうか。
 そう思いながら、カイルは満面の笑みのネイヴァンに引きずられて通りを後にするのだった。


 森の中にふらりと姿を見せたのは、小柄な影。
「ここ……どこ……?」
 小柄な影が問うたのは、それよりはるかに小さな少女の姿だ。
 金色の髪を揺らす十五センチの少女は、現われた幼子の姿に構えていた片手剣を静かに腰の鞘に戻してみせる。
「君は……? 森の民ではないようだが、町の子供か?」
 少女の問いにも、幼子は首を傾げるだけだ。
 いずれにしても年端もいかない子供が歩くにしては、この森は町から離れすぎており……何より、危険過ぎる。
「ナナね、げぼくをさがしてるの」
「……よく分からんな。どこから来た」
 現在のスピラ・カナンに奴隷制度はない。彼女も知識として知っているだけで、ナナの言う『げぼく』が何を意味するのかは、よく分からない。
 そしてナナも、少女の問いを理解していないのだろう。相変わらず首を傾げるだけ。
「近くの町というと……ガディアか。ともかくナナとやら、私から離れるなよ」
 だがその問いを打ち切り、金髪のルードは一度は収めた片手剣を再び引き抜いてみせる。
 向けた先はナナではない。
 幼子の背後。森の奥からこちらへと向けられる、敵意に向けて……だ。


続劇

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