3.世界、最後の夜 時は、半日ばかりさかのぼる。 見渡す限りの海の真ん中に、三つの影が浮かんでいた。 一人は有翼種の少女で、一人は山嵐族の少年。空を飛べない少年は、少女に支えられる形で空中に浮かんでいる。 残る一人の少年は……良く分からなかった。 有翼種のような翼を持ってはいるが、彼らの嫌う重装の鎧をまとい、さらにその鎧には炎が燃えさかっているのだ。 幻獣種かと問われればそうかもしれないが……種族の特定までは、出来そうになかった。 「ナンナちゃん!」 そのうえ、炎が喋った。 「はいっ! お姉様っ!」 さらに言えば、鎧も喋った。 「な、何だよこれっ!」 おまけに、鎧の主であろう少年は、状況が理解できていないようだった。 「気にしないで、ヒューロ!」 「気にしないわけにいくかーっ!」 鎧を包む炎は、不思議なことに全く熱を感じない。周囲に陽炎が見えるから、強い熱を持っているはずなのに……。 「そんな暇はありませんの! 上をご覧なさい!」 「上って! ……何だよ、ありゃ!」 見上げれば、天を真っ二つに両断する光の柱がこちらに向かって倒れ込んできている。 水平線のはるか彼方から迫り来るそれは、どれだけの長さがあるのか見当もつかない。 「ヒューロ。僕達は、これからあの光の柱を撃ち落とす」 「な、何か分かんねえけど、分かった。レアルさん」 山嵐の少年の言葉にとりあえず頷き、ヒューロと呼ばれた鎧の少年は腰の長剣を引き抜いた。 「な! 何で私の言うことは聞けなくて、レアルの言うことは信じるんですの!」 「信じる信じないの問題じゃねえだろ!」 剣を風が走り抜け、その風にあおられた焔がより強さを増して剣を包み込む。 「もう、二人ともぉ」 炎が呆れたように呟けば、光の柱は既に目の前だ。 「レアちん、クラムちゃん、お願いっ!」 「任せて!」 クラムはレアルを空中に放ると、一気に加速。放った槍の衝撃波が、迫り来る光の柱を歪ませ、ねじ曲げていく。 「ああ!」 そこに、落ちていくレアルの放った針が吸い込まれた。 祖霊の力、限界まで高められた重力の枷を封じられた針だ。重なる歪みに限界に達した空間は、音を立ててねじ切れ、光の柱を無限の闇の中へと引きずり込んでいく。 「こっちも征くぞ! いつも通りで良いんだな、ナンナ、エミュさん!」 「早くなさい、ヒューロ!」 「なら行く! ナンナ、レベル3!」 闇の奈落の反対側にぶち込まれたのは、蒼き疾風と真紅の炎に包まれた一撃。硬直化した世界を震わせ砕く風と、その熱で全てを解き放つ炎は、斬撃の瞬間に重なり合い、無限量の輝きを放出する。 無限の闇と無限の光。 全てを限りなく吸い込む力と、全てを限りなく解き放つ力。 正と負、相反する無限が一瞬でぶつかり合い……。 生まれるのは、完全な無。 後には、何も残らない。 迫り来る、光の柱さえも。 「結局、何でしたの……? 今のは」 荒れ狂う衝撃波が過ぎ、平穏を取り戻した海の上。ぼんやりと呟いたのは、ヒューロのまとっていた鎧だった。 「俺が聞きたいよ……」 既に鎧を包む炎はない。 代わりに、先ほど宙に放り出されたレアルの背中に炎の翼として収まっている。 「レッド・リアの無限遠斬撃だよ。グルヴェアは大変なことになってるみたいだから……急ごう。ナンナちゃん」 「ええ。承知しましたわ」 その言葉と共にヒューロの鎧が輪郭を失い、ぼやけるように消えていく。 代わりに生まれたのは、ヒューロを捧げ持つように開かれた大きな鋼鉄の手のひらだ。 気が付けば、そこにあるのは巨大な鋼鉄兵……獣機の姿。 「ほら、早く乗りなさい、ヒューロ」 開かれた操縦席にヒューロが姿を消すのと入れ替わるように、クラムと、炎の翼を得たレアルも手のひらに舞い降りる。 操縦席が音もなく閉じれば、手のひらにあるのは二人の少女と一人の少年の姿。炎の翼が、エミュの名を持つ少女に姿を変えたのだ。 「では、急ぎますわよ。皆様」 周りに何もない海の上。 獣機后ナンナズ・スクエア・メギストスは、はるかグルーヴェに向けて飛翔を再開する。 夜の闇の中、鳥たちの声が響いている。 既に夜は過ぎ、夜明けが近いのだ。 「龍王さま?」 白み始めた空を眺める老いた背中に、ふと声がかけられた。 「ミンミの弟子と、レヴィーの縁者か。迎撃の支度は整っておるのか?」 荷物を運んでいたイシェと、イーファの二人だ。 「まあ、ぼちぼち」 頭を掻きながら、イシェは呟く。 迎撃の支度と言うが、どちらかといえば撤退の準備に近い。アークウィパスの重要な物資や駐留している兵士達を、安全な場所に逃がすのが作業の中心だ。 既にそれもほとんど終わり、レッド・リアの到着を待つばかりとなっていた。 「けど、ミンミの弟子って……?」 レヴィーの縁者はともかく、初めて聞く呼び名にイーファは首を傾げる。恐らくはイシェの事なのだろうが……彼が魔法が使えるなど、聞いたこともない。 「聞いたぞ。ティア・ハートの使い方を、あれから学んだそうではないか」 「……初歩の初歩だけですが」 魔術どころか、炎の石を持っていることと、その力の解き放ち方を教えてもらっただけだ。それも、わずか数語のやり取りでしかない。 「それでも、教えを請うた事には違いあるまい」 そう言いながら、くく、と穏やかに笑う。 あまりに平穏なその様子は、どこかの村の長老と話しているような気になるほどだ。 「龍王さま。この戦いが終わったら……」 「うむ。次は、汝等に死んで貰う」 草刈りの順番でも回ってくるような気安さで答える老爺に、イーファは息を飲む。 呑気な様子に問うてみれば、これだ。 「力を付けすぎたから、殺すって言うの?」 「左様」 「力を付けたら、必ず悪になるってわけでもないデショ」 「そうだな。ならぬかもしれない」 意外にも、イーファの反論を龍王はあっさりと肯定した。 「だったら……!」 見守ることも、必要なのではないか。 「だが、人の心は歪むもの。グルヴェアの……何と云ったかの、あの鹿族の将軍は」 「フェーラジンカか?」 イシェの言葉に、得心したように首を振る。 「そうそう。奴もそれなりに強き力を持っておったが……レベル3の解放程度で心を喪い、あのざまだ」 フェーラジンカはほんの数ヶ月だが、グルヴェアの玉座を奪い、暴君と化した事がある。あの頃の荒んだ王都を、イシェは確かに覚えていた。 「けど、今は正しい心を取り戻してるワ!」 だがその後、イシェや革命派の決死の行動で、フェーラジンカは本来の心を取り戻した。それからはグルーヴェを支える将軍として、オルタに力を貸してくれている。 「うむ。たまたま、お主らがおったからな」 「……たまたま、ですか」 たまたまだ。 そう、龍族の老爺は答える。 「貴公らがグルヴェアを良き方向に持っていった事は評価しておる。しかし、貴公らとて、未来永劫に正しい心と、悪を退ける力を持ち続けられるとは限らん」 今のフェアベルケンで、超獣甲以上の力を手に入れることは不可能に等しい。 しかし、フェアベルケンが無限に進化する世界となれば……超獣甲を凌ぐ力もいつか必ず現われる。 「そして、力を手に入れた愚か者が取り返しのつかぬ事をしでかして、この世界を滅ぼすのだ」 「愚か者が力を……?」 「そうさな。例えば、暴君であった頃のフェーラジンカがレッド・リアを手に入れれば、どうなると思う?」 「それは……」 超獣甲のレベル3さえ通用せず、ここから数百キロも離れたココ王城を直接攻撃できる相手だ。 そんな物が、野望を持った暴君の手に渡れば……確かに、フェアベルケンなど一瞬で滅ぶだろう。 「……我らの故郷は、一万年にも満たぬ歴史の中で、常にその恐怖に怯えてきたのだよ」 だから、フェアベルケンは進歩をやめた。 管理された、進歩無き停滞の中に、永遠の平和を見いだしたのだ。 「故に、貴公らにはこの辺りで退場して貰わねばならん。平穏な未来への、礎として」 そう語った龍王に、イシェがふと問うた。 「あなたにはその資格があるというのですか?」 「ある」 それ故に、龍王は『絶対正義』を名乗る。 フェアベルケンを停滞と微睡みの中に沈めることのみを願い、その為に全ての犠牲を厭わぬ力。 「なら、もし世界の全てが俺達と同じ力を手に入れたとしたら……どうするんです?」 「そんなに広まるまで、放っては置かんよ」 「……なるほど」 「納得しないの!」 ふむ、と呟くイシェを怒鳴って、今度はイファが問い掛ける。 「それに、力って言うなら、ミンミやドラウンさん達はどうなの?」 ミンミは知識を得るために赤を襲い、ドラウンは戦うために白の箱船を喚び出した。 ドラウンに至っては、世界を破滅に追いやりかけたのだ。それこそ、絶対正義に狩られるべき存在ではないのか。 「あ奴らは己の正義を持っておらぬ。故に、望む道筋さえ与えてやれば、その通りに歩みおる」 ミンミなら、手に入れるべき力。 ドラウンなら、戦うべき相手。 それがなかったから、彼らは暴走した。なら、進むべき道を示してやれば、道を失って暴走することはない。 どちらもその道を極めれば、立ち塞がるのは龍王達だ。過程を上手く操れば、長く役に立つ駒となるのは間違いない。 「面倒なのは、貴公らのように……常に己の進むべき道を見つけようとする輩なのだよ」 常に自分の進む道を迷い、より高みを目指そうとする事は、進歩に繋がる。進歩することを覚えた者は、やがて示した道を越え、禁忌の領域に至ることになる。 事実、ほんのわずかの期間でイファ達は世界の真実を知り、その前に立ち塞がっている。 「生き残りたければ、アナタの操り人形になって大人しく生きろって言うの?」 「乱暴な言い方をすれば、その通り」 十万年もの間、飽きることなく繰り返された問答なのだろう。精一杯のイーファの皮肉を、龍王はあっさりと肯定する。 「最低ね。そんな生き方、こっちから願い下げだワ!」 「そう言って死んでいった輩を何人も見てきたよ。儂と貴公らでは、どれだけ議論を重ねようと、意見は平行線のままだ」 それも、十万年の間、答えを見つけられなかった問いの一つ。 「大人しく死ねとは言わん。生き残りたいなら、儂を倒し、その屍の上を進むが良い」 だから、龍王は常にそう問い掛け。 生き残ってきたのだ。 「ン……」 テントの中に音もなく滑り込んできた気配に、イルシャナはゆっくりと身を起こした。 龍王や不審者ではない。彼女の胸元ほどの、小柄な影は……。 「マチタタ……?」 アリスに仕える、ネコ族の娘だ。 「あ、起こしちゃった?」 「どうしたの? こんな時間に」 レッド・リアがアークウィパスに着くのは、夜明けだとされていた。それまで、戦闘要員には休息が命じられていたはずだ。 「あのね。姫様がいないから、一緒に寝てもらおうと思って……」 「……あらあら。しょうがない子ね」 小さな枕を抱きかかえたままの少女に苦笑しつつ。傍らで眠るヒルデを起こさないよう、布団の中へと招き入れる。 「ふふ。暖かい……」 柔らかな体をそっと抱けば、ネコ族特有の暖かさが伝わってきた。 「良かったぁ。いつものイルシャナさまだ」 少し大きめの胸に顔を埋めたまま、アリスの従者も心地よさそうに呟く。 だが。 「イルシャナさま。マチタタ達と、戦うの?」 夢見心地の中の問い掛けに、イルシャナの意識は一瞬で現実に引き戻される。 「戦いたくは……ないけどね」 「どうして、戦いたくないのに戦うの? 姫様だって、戦って欲しくないって言うよ?」 「……そうね」 アリスの性格を考えれば、そうだろう。 意外にもよく手入れされた髪を指で梳きながら、イルシャナは問いかけを紡ぐ。 「マチタタ。もしアリスが、私達と戦えって言ったら……どうする?」 「姫様はそんなこと言わないよ?」 あっさりと答えられた問いに、苦笑。 「たとえばの話よ。もしアリスが、悪い魔法使いに心を操られていて、そんな命令を出したら……どうする?」 「悪い魔法使いを倒せばいいんじゃないの? だって、姫様がマチタタにイルシャナさまと戦えなんて、言うはず無いもの」 考える様子も、思考する時間もなかった。 彼女にとっては、考えるまでもない問いだったのだろう。 「……そう。マチタタは、賢いのね」 イルシャナに抱かれたまま、マチタタはくすぐったそうに笑う。 「賢いって言われたのは、初めてだなぁ……」 マチタタは自分を莫迦だと理解しているから、そう言われたところで腹も立たない。けれど、賢いと言われたのは生まれて初めてだった。 「ありがとう。ゆっくり、おやすみなさい」 アリスほどではないにせよ、髪の毛を梳くイルシャナの手は優しく、柔らかい。 「うん……おやすみ。イルシャナさま」 その暖かさに身を委ね、マチタタはそっと瞳を閉じた。 男は、空を見上げていた。 アークウィパスに到着してから、損傷した獣機の調整に走り回っていたのだ。ようやく一段落し、こうして一息ついている。 「レヴィー候。どうぞ」 そんな彼に差し出されたのは、茶の入ったカップだ。 「お休みになれませんか、陛下」 湯気を立てるそれを受けとり、一口。 物資不足の中で淹れられたお茶は薄味だったが、疲れた体にはこの位がちょうど良いようにも思えた。 「はい」 持ってきた者の表情は見ない。 見ずとも、声だけで分かったからだ。 「少し、話を聞いていただけますか?」 「私で良ければ、何なりと……」 そして男は目を閉じて、少女の話に耳を傾ける。 「龍王さま?」 かけられた声は、幼い子供のものだった。 「魔法王の裔か。どうした、眠れんのか?」 「私は、移動の時にたくさん寝られたから」 彼女も、作業の手伝いをしている最中なのだろう。小さな箱を抱えたまま、ぱたぱたと歩みよってくる。 足元のネコはこちらを警戒しているのか、尻尾を膨らませたまま。 「そうか」 手を伸ばせば頭を撫でられるほどの距離だ。いずれ殺すと宣言した相手なのに、ネコとは対照的に警戒する様子もない。 「イルシャナなら、ヒルデ達と眠っておる。用があるなら、後にして貰いたいが」 「龍王さま。私が魔法王の裔って、どういう意味ですか?」 「……ふむ。そちらか」 こくり、とコーシェは首を縦に振る。 「かつての私の盟友だ。正義と民草を愛する、立派な男であった」 今でもその姿を忘れることはない。魔術の達人であったが、それよりも執政者としての力量の大きさを思い出す。 「悪い人じゃ、無かったんですか?」 「無かった。だが、彼は人の心を信じ過ぎた」 一万年ほど前のことか。 人の進歩を信じる彼は、他の王達に秘密で一つの街を築いたのだ。そこは電気が通り、人々が自由に機械を操る、古代の技術に満ちた理想郷だった。住民の大半は技術者で、日々新たな技術の開発と発展に心血を注いでいたという。 だが、進歩と発展を旨とするその街は、フェアベルケンには絶対にあってはならない存在だった。魔法王は人の正しい心を信じ、技術が正しい発展をすることを願っていたが……故郷で起きていたような犯罪や環境破壊の根も、見え隠れしていたと聞く。 故に、主たる魔法王と共に、滅ぼさざるを得なかった。 「裏切り者として、な」 その一握りいた生き残りの血が、コーシェには流れているのだ。 「……良かった」 「良かった?」 不可解な反応に、龍王は思わず眉をひそめる。 「裏切り者って言われたから、ご先祖様、何かすごく悪いことをしたのかと思ってたの」 龍王の話は難解で、話の半分も分からなかった。しかし、先祖が人の良き進歩を信じ、その思いに殉じたことは分かる。 「見方によっては、とても正しいことをしていた。それは、裔の貴公も誇って良いだろう」 「でも、戦わないとならないんですか?」 龍王は魔法王を認めていた。 ならば、なぜ認め合う者同士が戦わなければならないのか。 「うむ。彼の行いは間違っておらんが、我らにとっては許すことの出来ぬ事。故に、その縁を色濃く受け継ぐ貴公も、討たねばならぬ」 赤の後継者達と、立場は同じ。 生き残るためには、龍王を倒すしかない。 「でも、龍王さまにも家族が……」 先祖を討たれたコーシェが、龍王を討つ。 ならば、龍王を討たれた彼の子供は、コーシェを仇と狙ってくるだろう。コーシェが討たれて、その遺志を継ぐ者が現われれば、憎しみは永遠に連鎖してしまう。 「我の想いを継ぐ者は、誰一人としておらぬ。ホシノとて、それは同じだ」 だから、憎しみは連鎖しない。 龍王ひとりを討てば、それでお終いだ。 「それにはまず、あれを倒さねばならんが……な」 「あ……」 白み始めた東の空に。朝日の輝きを背負い、ゆっくりと迫る影がある。 地平線スレスレを歩み来るそれは、明らかに巨大なヒトガタだ。 今のフェアベルケンに、そんな物体はたった一つしかない。 「報告してくるが良い」 「うん!」 龍王の言葉に背中を押され、コーシェはぱたぱたと駆け出すのだった。 |