20.罪と罰 闇を抜けた先は、光の中だった。 黒眼鏡のおかげで目が眩む事もない。ソカロは周囲を見回し、即座に状況を把握する。 上空一面に広がる巨大な物体は、浮上したレッド・リアだろう。 放り出された自分は、自由落下の真っ最中。 下を見遣れば、地面まで数百メートルはある。箱船浮上の影響であちこちに崩壊と炎上が起こっており、空から落ちてくる人ひとりに気付く余裕はなさそうだ。 風のティア・ハートの加護を失い、翼も持たぬ身である以上、飛べないソカロに助かる術は……ない。 (あの世で、オルタ様の案内役でも務めるか) 護るべき主も既に亡い。絶体絶命を理解し、覚悟を定めてしまえば、案外とする事がなかった。走馬燈を奔らせるほど、楽しかった記憶も思い浮かばない。 する事無しにぼんやりと見上げれば、上空の構造物は呆れを通り越して笑えるほどに大きかった。高速で落下しているというのに、僅かずつしかスケールが変わらないのだから。 その拡大と落下感が、止まった。 身に走るのはわずかな衝撃だけ。地表に叩き付けられたわけではない。 「ソカロ! 無事か!」 視界にあるのは白い重装獣機。届くのは、耳に残る少年の声だ。 「ロゥ・スピアードか」 ハイリガードの手の上には、ミーニャやマチタタ、コーシェの姿も見える。 「ソカロ、オルタ様は?」 近寄ってくるのはメルディアの駆るグレシアだ。こちらの手の上には、イーファとドゥルシラに加え、見た事のない男の姿があった。 「オルタ様は……」 メルディアの問いに、ソカロは目を伏せる。 オルタが死んだ事は伝えるべきだろう。だが、そのおぞましい最後を彼女達に伝えるべきか否か……。 「君。あの姿を、見たのかね」 そんなソカロに掛けられたのは、見知らぬ男の声だ。 「……あんたは?」 「メルディアのお父さんなんだって」 イーファの言葉に、ソカロの身が跳ね起きた。わずか一挙動でグレシアの手のひらに飛び移り、レヴィー・マーキスの襟元を掴み上げる。 「貴様ァッ! 貴様が、オルタ様を!」 シュライヴは語った。オルタに女王となる事を説得したのは、レヴィー・マーキスだと。 「落ち着け。殿下の魂は無事だ」 長身のソカロに腕一本で締め上げ、持ち上げられながら、男は取り乱すことなく答える。 「……何?」 ソカロは冒険者として、世界の裏側を数多く目にしてきた。壁に取り込まれた女王は、心を壊された者達と同じ表情をしていたのだ。 「ドゥルシラ。獣機将のオンビートは?」 呆然とするソカロの軛から降り立つと、マーキスはただ一人獣機化していなかった少女を呼び寄せる。 「ここに」 ドゥルシラの胸元に抱かれているのは、淡い光を放つ魔法の貴石。 「貴公なら喚べるはずだ。オルタの騎士よ」 「……まさか」 頷くマーキスに促され、白衣の騎士はゆらゆらと輝きを宿すプレートに手を触れる。 精緻な彫刻の施された銀盤はわずかに暖かい。それは、永くドゥルシラに抱かれていたからだけではないはずだ。 「お目覚め下さい」 はるかスクメギの地で、イルシャナがやっていた事を思い出す。 「我が、君主」 指先に込めるのは意志。 唇に紡ぐのは、強い言霊。 触れる青年の手の中に。ふと伝わってきた温かさは、オルタの頬の感触だ。 「……はい」 小さな手で頬に触れる指先をそっと包み込み、オルタ・リングははにかみながらそう呟いた。 現れた少女に最初に膝を折ったのは、レヴィー・マーキスだった。 「殿下。御命を救うためとはいえ、殿下に働いた此度の非道。お許し下されとは言いませぬ」 深く頭を垂れる男に、少女は穏やかに手を触れた。 「この術を非道というならば、イルシャナ様やグレシア達には何と詫びましょう」 優しく呟き、膝を折る男をゆっくりと立ち上がらせる。 「私の魂を護って頂いた事、感謝しますよ。レヴィー・マーキス」 「有り難き御言葉」 オーバーイメージで形作られた瞳に宿るのは、静かながらも強い意志。 柔らかな表情も、かつて別れた時のままだ。 躯はレッド・リアに奪われようと、その魂は、オルタ・リングの本質は、確かにここにある。 「それに、我々の祖がシュライヴ殿達にした事に比べれば、些細な事です」 呟く悲痛な言葉には、場にいた全員が押し黙った。 「後は、シュライヴ殿をいかにして宙に……」 その時。 大気が激しく揺れた。 「メルディア! 何やってるのヨ!」 慌てて叫ぶイーファに、グレシアの翼を広げさせたメルディアが怒鳴り返す。 「違う!」 見れば、ロゥ側も強烈な風に揺さぶられている。メルディアが制御を誤ったわけではないらしい。 原因はただ一つ。 「レッド・リアが!」 落ちてくる空に抗すべく、巨大宇宙船がゆっくりと降下を開始したのだ。 堕ちる空よりも速く、千五百メートルの巨躯が降りてくる。 「君達は不思議に思わなかったのかい?」 恐慌に包まれたグルヴェアで、シュライヴは強く問い掛けた。 獣機の通信回線、魔術師の念話、あらゆるチャンネルに入り込み、問いかけを打ち付ける。 「このフェアベルケンが、十万年の永きに渡り繁栄を続けてきた事を」 「不思議って……」 そう問われても、答えようがない。十万年続いた世界しか知らぬ彼らからすれば、比較対象の考えようがないからだ。 誰かの呟きを聞き、シュライヴは問い方を変える。 「ならば。もし、この世界が滅びるとしたら、どうやって滅びる?」 「強い力が現れ、暴走した時だ」 そう答えたのは、グルヴェアにいたクワトロだ。 例えば魔法。今でも街一つ破壊できる魔法はある。いずれ技術が進歩すれば、世界を一撃で破壊する魔法とて現れるかもしれない。 「では何故、十万年もの永きに渡り、強い力が現れず、暴走しない?」 「それは……」 クワトロは返答に詰まる。 魔術師ギルドとて、全ての魔法を管理できているわけではない。だが、広い情報網を持つクワトロでさえ、そんな禁呪があるという噂さえ聞いた事がなかったからだ。 「大きな戦争が……あったら」 次に答えたのは、空にいるメルディアだった。 グルーヴェの内乱だけでも、グルーヴェの民は大きな被害を受けている。全世界規模の戦があれば、世界中の民がグルーヴェのようになるだろう。 「では何故、十万年もの永きに渡り、大きな戦争が起きなかった?」 メルディアは返答に詰まる。 グルーヴェのような小国なら、一年もあれば国は傾く。十万年という期間があれば、世界の一つや二つ滅びてもおかしくない。 「大きな災害で滅びる可能性もあるね」 続けて答えたのは、戦場に立つベネンチーナだった。 冒険者稼業の長いベネは、いくつもの災害現場も目にしてきた。大概は地震による土砂崩れや嵐での堤防の決壊だったが、そこで働くたびに世界を滅ぼす力の一端だと感じさせられる。 「では何故、十万年もの永きに渡り、災害が起きなかった?」 ベネンチーナは答えに詰まる。 十万年も大地震が起きない理由など、説明できるはずもない。 「赤の箱船のような、来訪者が来たら」 最後にそう言ったのは、城下にいたイシェファゾだった。 「では何故、十万年もの永きに渡り、僕達以外の『侵略者』が来なかった?」 もちろん、イシェファゾも答えに詰まる。 「……まさか」 だが、一つの仮定は頭に浮かぶ。 「世界が滅びる事を許さぬ力……」 呟いたのは、ミーニャだった。 「それが世界の抑止力。『フェアベルケンの絶対正義』」 通信機から響く少女の言葉に、フェアベルケンの獣王は静かに頷いてみせる。 「そうさ。その『正義』の名の下に、僕達赤は葬られた!」 言葉と共に、降下を続ける赤の箱船が変形を開始した。下端に位置する巨大な四角錐が、エッジを分割線にして四つの装甲鈑として展開する。 「それどころじゃない。青の中でも古から名を残す英雄や賢者、技術者……そして、同胞たる王でさえ、彼らは異分子の存在を許さなかった」 二つずつの鈑が同じ動きで可変し、一組はそのまま平たくスライド。錘の底辺を底に置いたまま、最大まで伸ばしきって停止。 残る一組は半ばまで開いた所で半回転、錘の頂点を内側にロックされる。錘の底辺、中央部から姿を見せるのは、異なった長さの五本の小塔。 四枚が十字に開ききったところで、装甲鈑の動きは完全に停止した。 船体各所のスラスターを吹かして姿勢制御。あるべき向きへと、船体の動きを正していく。 「そんな……嘘だろ?」 ロゥは一言で、二つの事象を否定する。 一つは、『正義』の存在を。 「ははは。本当だよ、全部ね!」 シュライヴも一言で、二つの事象を肯定する。 一つは、目の前の箱船が変形した姿を。 三条の巨塔背負う、巨大な姿。二本の脚で大地に降り立ち、二本の腕を左右に構える姿は、間違いなく人型のそれ。 地面にまで伸びる右手を大きく振れば、先端の小塔群は音速を超え、雲を曳く。 「ならば、先程の約束を果たそうか」 言葉と共に、右手が炎を吹き上げる。 焔の中、形成されていくのは身ほどもある長大剣だ。千メートルの巨体にもそれは重いのか、握り込んだ瞬間にぐっとその身が沈み込む。 「僕達は約束をちゃんと守るんだ。誰かと違ってね」 描く軌跡が音速超過の雲を生み。その名通りの爆炎が、雲の間を疾走する。 究極の炎を周囲に散らし、大上段に構えた長大剣が叩き付けられるのは…… 「爆炎剣!」 大地に迫り、いままさにグルヴェアへ激突せんとしていた、巨大な空中要塞だ。 全てを焼き尽くす炎の斬撃を真っ向から叩き付けられて、フェアベルケンの伝説の地は真っ二つに打ち砕かれる。 |