17.地の底での邂逅 果てしなく続く道を、男はひたすらに走っていた。階段と回廊。見渡す限りただただその連続で、分かれ道や扉さえない。 その先に人影を見つけ、男は思わず足を止めていた。 「フィアーノ!」 蝶の羽根を持つ道化だ。 かつて彼が愛し、共に居ようと思った女。 「久しぶりね、ソカロ」 だが、今の彼女が提げているのは花束ではなく、抜き身の細剣だ。 「この中に、オルタ・リングはいるわ。でも、通すわけにはいかない」 音もなく剣を上げ、正面に構えた。 切っ先が狙う先にはソカロの眉間がある。 間合は六歩。強気に踏み込めば、十分に攻撃圏内だ。 「……そういう事か」 呟き、男も細剣を引き抜いた。 やはり間合は六歩。しかし、長身の男にとっては強気にならずとも十分な射程距離の内。 「あら。迷ったりしないのね? もっと困った顔が見たかったのに」 「お前は護れなかったからな……」 押し殺し、紡ぐ言葉に感情は亡い。ぴたりと止まり、揺らがぬ刃の切っ先が、彼の意志全てを体現している。 「そう」 ため息を一つ。肩の力を抜き、フィアーノは細剣を放り捨てた。 がらがらという乾いた金属音が、無機質な回廊に響き渡る。 「なら、お入りなさい」 「……何?」 道化の言葉と共に、壁の一角がわずかにずれ、滑るように開いた。恐らくソカロが駆け抜けてきた回廊も、同じ仕掛けで部屋に繋がっているのだろう。 「私はただの道化。貴方達を案内するのが、シュライヴから与えられた私の役割。ちょっと遊んでみただけよ」 軽く肩をすくめ、開いた空間へと歩き出す。彼が後ろからは斬りかからないと分かっているのか、全くの無防備だ。 「ソカロ、こちらへ。そして、絶望をお知りなさい」 フィアーノに導かれるよう、ソカロは歩き出す。 「絶望なら、あの時疾うに知っているさ……」 そう呟き、静かに細剣を鞘へと仕舞って。 三フロアぶんを下った所で、グレシアは足を止めていた。 「ここのハズやで、ご主人」 目の前は壁だ。しかし、そこが扉になっているのだと、グレシアは言う。 「ここが……」 この奥に、レヴィー・マーキスがいる。 長年探し求めた、父親が居るのだ。 「どしたん? 入らへんの?」 半歩離れた所で、グレシアは柔らかく苦笑。 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。こういうモノは、心の準備が……」 足は一歩を踏み出そうとして、踏み切る所まで至らない。怯えたように半歩を戻し、再び踏み出そうとして、を繰り返すだけだ。 「あ、ご主人。そこ、自動ドア……」 「は?」 七度目に踏み出そうとした所で、触れてもないのに扉が開く。 「ひゃっ」 思わず後ずさるメルディアだが、奥にいた人物と正面から目が合った。 「父……様……?」 幼い頃の記憶にある男からは、やや老けているだろうか。けれど、雰囲気そのものは当時と何ら変わりない。 この男性が父親だ。 そう、理解する。 「メルディアか。久しいな」 相手もメルディアを理解したのだろう。穏やかに微笑み、少女に向けて手を広げる。 「父様……っ!」 知性を司る幻獣の少女も、この時ばかりは感情に身を任せて走り出し……。 「……見ない間に、随分と物騒になったな」 容赦なく突き込まれた短剣を、マーキスは手近にあった鉄材でぎりぎりと受け止めていた。 「おかげさまでね。莫迦親父」 限りなく冷淡なままで。知性の幻獣の聖痕を受け継ぐ少女は、短剣への力を緩めない。 ソカロが導かれた部屋は、王宮の謁見の間ほどの広さがあった。 広間の最奥、設えられた椅子に腰掛けるのは…… 「……子供?」 驚く彼に、玉座に座る少年は不機嫌そうに呟いた。 「子供で悪いかい? これでも、君達よりも年上なんだけどね」 言われれば、青き箱船のメティシスも、白き箱船のアノニィも、どちらも子供の姿をしていたはず。箱船の守護者が同じ技術で作られたなら、同じ子供の姿をしていても不思議ではない。 「シュライヴ殿。オルタ・リングをお返し願いたい」 だが、ソカロの言葉をシュライヴはあっさりと拒絶した。 「そうはいかない。彼女の女王の体は、我々の未来のためには絶対に必要なモノだからね」 言いながらも、シュライヴの少年の顔が不快に醜く歪む。 「それに、君達に渡す物など塵一つ持ち合わせていないよ」 「貴公……何故、そこまで俺達を目の敵にする」 赤と青の間には、十万年の確執がある。それはソカロも知っていた。 しかし、いかに因縁があろうとも、シュライヴ達の拘りは尋常なものではない。 「もう少し時間があるか……。そうだね、わざわざ来てくれたんだ。話してあげてもいいよ」 退屈そうに背伸びを一つし、玉座からひょいと立ち上がる。 「君達『青』が、どんな事をしてきたのかをね」 その言葉と共に、殺風景な広間の風景が切り替わった。 「これは……!?」 眼前にあるのは茫漠たる砂原。振り向けば、そびえ立つのは巨大な門と、その奥にある無数の尖塔。 ソカロの周囲を囲むのは、グルーヴェの制式甲冑に身を包んだ兵士達と…… 「コルベット様に、イシェファゾ!?」 傍に友人の姿を見つけるが、青年はソカロの存在に気付いた様子もない。 「ちょっと地上の風景を映してみただけさ。あちらからは見えていないよ」 幻術と似た効果を起こす古代技術なのだろう。言われ、ソカロも黙ったまま観察を開始した。 どうやら、戦闘は終わったらしい。コルベットの様子からして、軍部側の勝利で終わったようだ。 「彼らにも聞かせてやりたい話だからね」 「で、どうして姿を消したりしたの?」 柔らかなソファーに身を沈め、メルディアは静かにそう問うた。さすがに、短剣は鞘に納めている。 「ここに来たという事は、グレシアからノートを受け取ったのだろう?」 「すんません、閣下」 向かいに座るのはマーキスだ。 残るグレシアは、メルディアの隣に小さく腰を下ろしている。 「構わんよ。それだけ娘達が成長したという事だ」 淹れたばかりのコーヒーを軽くすすり、マーキスはそれだけを応えた。 「あのノートで、だいたい理由は分かっているけれど……」 それでも、本人の口から聞きたい。そう思うのは当然のことだ。 「だな。私がお前の立場でも、問うだろう」 マーキスはコーヒーをサイドテーブルに置き、軽く腕を組む。 「まず話さねばならんのは、なぜ青と赤が争う事になったか……だろうな」 「細かい話は、ここを出てからにしてもらえる?」 メルディア達には時間がない。外ではイーファ達が時間を稼いでくれているはずだし、ソカロはオルタを取り戻すために中枢を目指している。敵の本拠地で、長話をしている余裕はない。 「それは止めた方が良い」 だが、マーキスは首を振った。 「レッド・リアが浮上する方が早いぞ」 「な……」 その言葉に、メルディアは言葉を失う。 地上では軍部とコルベットの兵達が戦闘の真っ最中なのだ。そんな所に箱船が姿を見せればどうなるか、想像するまでもない。 「もう間に合わん。上の住人は避難しているのだろう? なら、犠牲は最小限で済む」 静かに呟くマーキスの襟首を掴み、少女は力任せに引き寄せた。 「一度はレヴィーの主だった男が、そんな事を言うの!?」 突然の激昂に一瞬気を取られていたようだが、好ましい反応だったのか、マーキスは穏やかに微笑んでその手を外す。 「では、移動しながら話すとしよう。それでいいね?」 頷くメルディアを満足げに見遣り、机の上に大事そうに置いてあった銀製のプレートを取り上げた。 周囲に精緻な細工の施されたそれは、中央に淡く輝く魔石がはめ込まれている。 「そのティアハートは?」 中央の魔石は間違いなくティア・ハートだ。急な脱出でも手放さない所を見ると、相当に大事な物らしい。 「アークウィパスで発見された、獣機将のオンビートだ。この第三のスクエア・メギストスこそが、今のグルーヴェ王国、最大の希望さ」 「スクエア・メギストス……イルシャナ様の事?」 スクエア・メギストスといえば、ココ最強を誇る獣機王の名前である。スクメギの戦いに従軍していたメルディアにとって、希望の名であると共に悪夢の一欠片でもある、複雑な名だ。 「スピラ・カナンの獣機王イルシャナスか。あれは王と、それを補佐する后と将軍に付く尊称だからな。スクメギの獣機后ナンナズとアークウィパスの獣機将も、同じ称号を持つのだよ」 当初はスクメギの獣機后が使われる予定だったが、セルジーラに運ばれた獣機后は赤の手を離れたらしい。共に戦う伴侶を見つけたとも聞く。 「ちょい待ち」 ふと、グレシアが会話を止めた。 「閣下。獣機将のオンビートに、魂は入ってなかったハズやけど……」 獣機創造初期に創られた王と后には、もちろん魂が入っている。だが、三大獣機のうち最後に創られた獣機将は、魂を入れる前に終戦を迎えたはず。 だからこそ、獣機将スクエア・メギストスは三大獣機の一角でありながら、与えられるべき名前がない。 「ああ。我々がアークウィパスで発掘した時には、魂を入れる直前の状態で保存されていた」 しかし。 「そのオンビートには、魂が入っとるよね」 そう。マーキスの手にある銀盤には、魂を得たオンビート特有の揺らめく輝きが宿っている。 それは、すなわち……。 「……どういう事?」 真相を知らないメルディアには、グレシアの話の意図が分からない。 「それも長くなる。移動しながら話すとしよう」 |