-Back-

3.コルベットを巡る環

 グルーヴェの街には塔が多い。
 それは中央であるグルヴェアのみならず、辺境のコルベットでも同じだった。
「困ってる……人がいる……」
 夜の闇の中。
 街で一番高い尖塔の上で、影は静かに呟いた。
「往くよ」
 紅のマフラーが風に大きくひるがえり。
 少女は、夜の闇へと飛翔する。


 コルベットの城塞塔は、どこか重苦しい空気に包まれていた。
 先日のフェーラジンカを追い返せた事で、街は束の間の活気に浸っている。だが、その裏に潜む不安全てを呑み込んだかのように、城塞塔だけは夜の闇に覆われていた。
 そんなコルベットの城塞塔。各塔の間を繋ぐ渡り廊下で、メルディアはメイド姿の少女に声を掛けた。
「コーシェ。姫様は?」
 オルタ・リングは、コルベットの戦い以来、部屋に閉じこもって外に出ようとしなくなっていた。兵達への謁見はおろか、日課としている修道塔の礼拝にすら顔を出す気配がない。
 メルディアの問いに、コーシェはうなだれて首を横に振る。
「……そっか」
 もっとも、閉じこもった理由は聞くまでもない。メルディアもそれ以上、問い返す気にはなれなかった。
「こんな時は、イーファのバカさ加減が羨ましいわね……」
 遠い地にいる従姉妹のストレートな思考法を、ほんの少しだけ羨ましく思う。
 もちろん今のイーファに何が起こっているかなど、メルディアが知るよしもない。
 そんな時だ。
 ふと、外に気配を感じた。
 何かが物凄い速度で、渡り廊下の外を上から下に抜けていったような……。
「なあ、ご主人」
 傍らに控えていた眼鏡の少女も、やや硬い声で警戒の言葉を口にする。
 どうやら、気のせいではないらしい。
「コーシェ、ソカロを呼んできて。ワタクシはグレシアと姫様の所に行くわ」
 そういうや否や、メルディアはオルタの部屋がある目の前の塔へと疾走を開始。
「うん。私もすぐ行くね」
 残された少女も気付いていたらしい。問い返す事もなく、ぱたぱたと回廊を走り出す。


「……」
 オルタ・リングは、夜のコルベットの空を無言で見上げた。
 大きく開けられた格子窓の向こう。降りそそぐ月光に、自らの白い手をかざしてみる。
 今は人間の手だ。
 しかし、意識を集中すれば、その腕は一瞬ですらりとした鎧甲に包まれる。
 コルベット防衛戦での初めての発動から既に一週間。変化に対するショックは少なくなっていたが、もちろん慣れたわけではない。
「この手が……赤の、後継者」
 赤の後継者。
 ココへの侵略を企て、グルーヴェに内乱を起こした、忌まわしき暗躍者。そいつらと同じ血が、自分にも流れている……。
 その時、こんこん、と窓を叩く音がした。
「誰!?」
 見れば、窓の外に小柄な影がある。
 女。それも、オルタほどの歳の娘だ。
「通りすがりの、セイギの味方です」
 ゴーグルとマフラーで顔を隠した少女は、堂々とそう名乗った。
「正義……? 私を、殺しに来たのですか?」
「なんで?」
 唐突に出て来た物騒な単語に、唐突に現れた自称セイギの味方は首を傾げる。
「何でって……私が、フェアベルケンの敵だから……」
 赤の後継者はフェアベルケンの敵だという。それはグルーヴェでした事を挙げるだけでも想像に難くない。
 ならば、正義の味方は悪……オルタ達を倒すために存在するのではないのか。
「敵なの?」
 だが、正義の少女はオルタの言葉に、んー、と首を傾げるだけ。
「あたしには、あなたはただの困ってる人にしか見えないんだけどなぁ」
 困っている人を助けるのは、正義の味方の大事な使命。
 だからこそ、彼女は今ここにいるのだ。
 恐らくは『呼ばれた』のだろう。偶然ではなく必然であるそれを、ヒーローたる少女は疑問に思わない。
「……え? でも、赤の後継者は、フェアベルケンの敵だって……」
「全部が全部、そういうわけじゃないでしょ」
 オルタの心を苛み続けるその言葉を、正義の使者はあっさりと突き崩す。
「じゃ、あなたは、悪い事をするつもりなの?」
 逆に問われたのは真摯な問いだ。
 少女の瞳はゴーグルの奥にあってなお、強い意志の光を隠せない。
 その輝きに照らされ、オルタが出した答えは……
「私は、グルーヴェの女王として、この国を良くしていきたい……です」
 その想いは今も変わらない。少なくとも、今の内乱は止めたいと、強く想う。
「なら、それでいいじゃない」
 柔らかく笑う少女の瞳に、先程までの苛烈な光は既に無い。
「そうだ。一つ、良いこと教えてあげようか?」
「何ですか?」
 ナイショだよ。と前置きして、少女は悪戯っぽく微笑んだ。
「あたしたちガーディアンズ・ギルドの創始者……英雄ディエスはね」
 風になびく真紅のマフラー。それをまとうのは、フェアベルケンの偉大な守護者。詩人の歌に姿を刻む、伝説の英雄。
 無論、少女のまとうマフラーも、ディエスの影響を大きく受けたものだ。
「キミ達と同じ、赤の聖痕……飛蝗の力を持っていたんだよ」
 その瞬間。
「くせ者っ!」
 部屋の扉が開き、獣甲をまとったメルディアが飛び込んできた。


「殿下! ご無事か!」
 禿頭の巨漢がオルタの部屋に駆け込んできたのは、それからしばらくしての事だった。
「ヴルガリウス殿! ウォード!」
 報告を受け、慌てて駆けつけたのだろう。いつもの鎧姿ではなく、両手用の大剣だけを提げている。
「フィアーノ。殿下は!」
「多少ショックを受けておいでですが、大丈夫のようですわ」
 ベッドに腰掛け、コーシェから水をもらっているのがオルタだろう。気分が優れないのか、頭から毛布を掛けられている。
 いずれにせよ、主が無事だと分かってヴルガリウスはとりあえず一息つく。
「侵入者は、ソカロとメルディアが追っています。何でも、小柄な一人だったとか」
「一人だと……? 魔術師か?」
 オルタ・リングはグルーヴェ王家最後の生き残りだ。その存在には莫大な価値がある。
 だが、それは無事であってこその価値であり、さらったり殺したりしては元も子もない。どこの勢力も、オルタの身柄に関してはうかつな事は出来ないと踏んでいたのだが……。
「で、この穴は、何だ?」
 さらに不可解なのは、壁の大穴だった。
 暗殺者や刺客の魔術師は、こんな派手な大技は使わないはずだ。
「どうやら、メルディア様が侵入者を迎え撃つために開けたらしいですが……」
 言われ、口を閉ざす。
「……まあいい。吾輩達も追跡に入る。コーシェとフィアーノは、殿下を別の部屋にお連れしろ。後でフォルミカも寄越す」
 最初の一人は陽動の可能性も高い。少なくとも、壁に大穴の空いた部屋に置いておくわけにはいかないだろう。
 二人に加えてフォルミカがいれば、そこらの刺客では歯も立たないはずだ。
「ええ」
「わかりました」
 二人の了解を聞き、禿頭の巨漢も壁の大穴から飛び出した。
「行くぞ、ウォード!」
「ああ」


 夜のコルベットの空に、鋼の翼が翔けている。
「メルディア・レヴィー! 状況はどうなった!」
 禿頭の巨漢が足元から声を投げ付ければ、翼はゆっくりと旋回し、駆ける二人の傍らに降りてきた。
「ソカロが追っているわ。ワタクシは脱落組」
「超獣甲を使っているのに……?」
 飛翔するメルディアは、地上を走る一同の数倍の機動力があるはずだ。
 ウォードの当然ともいえる言葉に、メルディアは露骨に顔を曇らせる。
「飛んでるときに閃光弾ぶつけられたら、こっちもたまらないわよ……」
 ただでさえメルディアは超獣甲の暗視能力を起動させていたのだ。閃光によるダメージは、普段の数倍に値する。
 グレシアの対応が間に合わなければ、目を潰されていた可能性さえあった。
「なら、ここで別れよう。メルディアは上空から周囲の警戒に当たるがいい」
 そして、謎の訪問者の姿は最後まで見つからず。
 ソカロが戻ってくる事も、無かった。



続劇
< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai