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3.三者三様の選択 逃亡者の選ぶ道

 さて。時は、昼まで巻き戻る。

 びゅうびゅうと、風が吹いていた。
 グルーヴェの砂埃の混じった風ではない。それよりもっと乾いて暑い、上空の風だ。
 下から見上げても何もないように見えるだろう。だが、はるか上から見下ろせば、そこには確かに『そいつ』が居た。騎体下面を空の色と同化させた、闇色の獣機が。
「全く。私が居なかったら、どうするつもりだったの?」
 穏行を使う獣機の上、短くなった髪を風に遊ばせながら、アイディは男を問いつめた。
 翼を広げた形を取って滑空する獣機の上は、思った以上に広い。その上に、老人を含めた十人ほどの一団が座っている。
「なに。逃げるだけなら、何とかなったろうて」
 大気を切り裂いて進む獣機の頭部に座したまま、顔を包帯で覆った男は悠然と笑った。つい先刻、ブラディ・ハートの結界に囚われそうになった事などすっかり忘れているようだ。
 事前に潜んでいたアイディがとっさにブラディ・ハートを砕いていなければ、こうして悠々と飛んではいられなかっただろうに。
「……いつもこんななの? 貴女のご主人」
 はぁ、と少女は僅かにため息。
「ええ。まあ、大体は」
 足元から響く諦めたような少女の言葉に、大変ね、と呟く。
「で。何で貴女がここにいるの……」
 そして、予想外の事態はもう一つ。
 アイディの反対側に座る少女である。
 彼女達が刑場を離脱する時に、閃光弾を放ってくれた彼女の名は……。
「シューパーガール!」
 確かシューパーガールはココ王都の地域限定ヒーローだったはずだ。その彼女が、どうして戦火のグルヴェアに出張しているのか。
「秘密! その方がかっこいいから!」
「ふざけないで!」
 堂々と言い切るシューパーガールに、思わず声を荒げてしまう。
「別にふざけているわけでもあるまい……」
 そんなアイディをたしなめたのは、獣機の主である包帯の男だった。
 言われればそうだ。ムディアがアイディと名乗って行動しているのと同じく、他人には言えない任務があるのかもしれない。それを茶化して「秘密」と言うなら、こちらも流した方がいいだろう。
「十分、真剣な理由だと思うぞ?」
 余計タチが悪かった。
「……で、これってどこまで行くの?」
 これ以上付き合うのは無駄と判断したか、話題を切り替える。
「ふむ。この辺りの地理には疎くてな。どこか、その辺で下ろそうとは思っているが……」
 顎に手をやって思考する包帯の男に、三人の漫才を無言で眺めていた老人の一人が口を開いた。あごひげを長く蓄えた、山羊のビーワナだ。
「でしたら、あの森の辺りで下ろしてもらえませんかな? あそこでしたら、私の友人の領地ですので……何とかなりましょう」
「そうか。承知した」


 黒い獣機が舞い降りた先は、痩せた木の集まった場所だった。街道沿いのココからすれば林とも呼べない場所だったが、荒涼としたグルーヴェ中央ではこれでも森なのだという。
「クロウザ殿。お陰で、助かり申した」
 十人の元老院メンバーを代表し、山羊の老人が頭を下げた。
「なに。一宿一飯の恩もある。気にするな」
 黒い獣機の男……クロウザは、一時期ミクスアップの下で戦った事がある。ミクスアップは倒れ、議会派は壊滅してしまったが、この程度の義理はあった。
「とはいえ、暫くは追っ手も掛かろう。どこか、身を隠せる場所があれば隠れておくがいい」
「ええ。そうします」
 この辺りは山羊の老人の知り合いの領地だというし、数名の老人が身を隠す場所くらいはあるだろう。
「そうだ。別れる前に、あなた方に一つ聞きたいのだけれど……。アルジオーペ・アモエナという女性を知らないかしら?」
 そんな中、ふとアイディが口を開いた。
「アモエナ家のアルジオーペ子爵の事か?」
 老人の中から小柄な男が進み出て答える。メガネザルのビーワナなのだろうか、目が異様に大きいのがアイディの印象に残った。
「ええ。あの性格で、子爵というのが気になって……。本当に、あんな性格なの?」
 もっと凄い性格の持ち主がいるのを棚に上げておいて、アイディは老人に問う。
「小さな頃から知っておるが……あの性格はそうそう真似できますまい」
 メガネザルの老人は失笑気味に呟く。
 半分はアルジオーペに対する笑いで、残り半分は貴族に対して理想を抱きすぎているふうなアイディを笑ったのだろう。
「……なるほど。アルジオーペは……」
 対するアイディはどこか重い声。
「ありがとう。色々と、参考になったわ」
 そしてクロウザ達は老人と別れ、グルーヴェの空に再び飛び立つのだった。


 漆黒の獣機がはるか天空へ姿を消して、半刻が過ぎた。
「遅かったの」
 グルーヴェから逃亡を図った老人達の前に現れたのは、騎馬の一団だった。
 王国の追っ手ではないだろう。黒いマントで顔まで隠し、侍従らしき小柄な兵を連れるような風変わりな一団が、正規兵であるはずがない。
 山羊の老人が全く慌てていない所を見ると、知り合いだというこの地の領主の使いなのだろう。
「ご老体がたが早過ぎるのですよ」
 苦笑し、先頭の一人と侍従がフードを取った。
 中から現れた顔に、周囲から「おお」というどよめきの声が挙がる。
 先頭の一人、黒い鎧をまとった美丈夫の名を、その場にいた誰もが知っていたからだ。クロウザと同じく、軍部派との戦いで命を落としたと思われていたが……どうやら、生きていたらしい。
「まあ良い。どうせ捨てるはずだった命ぞ。あまり、気にはすまい」
 山羊に続いて、メガネザルの老人も進み出た。
「我等は今後どうすれば良い。シュライヴからの指示は貰っておるのだろう?」
 その言葉に、周囲の空気が変わる。
 緊張と、疑惑の二つの色に。
「卿らには、浮上の刻までレッド・リアでの待機命令が出ております。案内はこちらのシェルウォードが致しまする」
 美丈夫の言葉に緊張はかき消え、疑惑はさらに色合いを強めた。
 シュライヴとレッド・リア。
 グルーヴェに長年仕え、グルーヴェの全てを牛耳る元老院の一員である彼等ですら、耳にした事のない名前だったからだ。
「良し。ならば案内せよ」
「承知。なれば、その前に……」
 黒鎧の騎士が片手を上げ、後の四人の兵に指示を出す。
「な……」
 その後の光景に、老人の半数は眉一つ動かさず、残る半数は驚愕した。
「何と……」
 騎馬の先頭に立つ黒鎧の騎士。
「き、貴様……何やつッ!」
 それと全く同じ顔が、後に四つ並んでいたからだ。
 五つ子など珍しくない。だが、そんなレベルをはるかに越えた異質さが、そこにはあった。
「何やつ、とは失敬な」
 五人の黒鎧の騎士は同じタイミングで静かに笑い、腰の長剣をゆっくりと引き抜いた。
「老! 彼等は一体……」
 慌てた老人は目の前にいた山羊老の肩を叩く。彼等と話の通じる山羊なら、何か知っているのではないかと思ったのだ。
「貴公と同じ、生まれながらのビーワナぞ」
 だが、振り向いた山羊の老人は、既に山羊ではなかった。
 白く長い付け髭は剥がれ落ち、その内から刃の如き大顎が覗いていたからだ。
「貴公と同じ、生まれながらのグルヴェア貴族ぞ」
 振り向いたメガネザルの老人も、既にメガネザルではない。ぎょろりと剥いた目は、網目のような複眼に変化している。
「少し、生まれは違うがの」
 半数の老人は本来の異形へ換わり。
 半数の老人は命無き異相へ変わる。
 唸る刃に切り裂かれ、振るう手刀に貫かれ、軋む顎に噛み砕かれて。
 その間、二分とかからない。
「では案内せよ。フォルミカ」
 数を半分に減じた異形の老人達は、侍従のウォードからマントを受け取り、フォルミカ達の後に乗り込んだ。
「グルヴェアのはるか底、我等が母なるレッド・リアへ」
「御意に」
 ウォードと五人のフォルミカはそれぞれの馬の手綱を取り、一路彼の地を目指す。
 赤の民の聖地、レッド・リアへ。



続劇
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