10.転章 シュライヴの影 「……以上を、今後の方針とします」 壇上のアルジオーペが読み上げた内容に、誰もが動揺を隠せなかった。 動じないのはアルジオーペ本人と、その後に座するフェーラジンカだけだ。 「将軍!」 そんな中、周囲の不安を代表し、作戦部詰めの武官が一歩前に進み出た。 「何だ?」 王都グルヴェア、王城塔の大ホールである。ミクスアップに代わり玉座の代理人となった男に対し、武官は声を強めた。 「革命派・王党派の討伐と、オルタ殿下の救出は理解出来まする」 不倶戴天の敵であるジークベルトの革命派と、オルタを使った傀儡政治を望むコルベットの王党派。彼らを倒し、オルタ・リングを新女王と迎える姿勢は、この内乱が始まってからの基本方針だ。何の問題もない。 「しかし、議会派幹部の公開処刑というのは、やり過ぎではありますまいか!」 そう。フェーラジンカは、ミクスアップに与した幹部の全てを殺すという。 もともと軍部派は武官の集まりで、政治が行える文官はほとんどいない。この戦いはグルーヴェ王国の行く末を賭けた戦であり、単に王城を手に入れて敵を倒せば解決する、といった類のものではないはずなのに……。 「首謀者であるミクスアップも倒した事ですし、他の者は協力者として……」 「……第二のミクスアップとする、か?」 壇上から見下ろしたフェーラジンカは、言葉に詰まる武官を冷たく見下ろすのみ。 初めて見るジンカの冷厳な視線に、武官は言葉が続かない。 「処刑は半月後。その処理と部隊の再編が済み次第、まずはオルタ・リング殿下を救出する!」 重い扉を開けて入ってきたのは、蛤の聖痕を持った少年だった。 「オルタ様。お食事、です」 両腕の貝殻が触れぬよう、いくつかの食器を器用に机の上へ並べていく。ジークベルトの所に居た時のように幻術に気を取られさえしなければ、食器に貝殻をぶつけるような無様な真似はしない。 「お加減は如何ですか?」 「大分、良くなったわ。今はコーシェも付いていてくれるし、大丈夫よ」 部屋の主は木綿の寝間着をまとい、簡素なベッドの上にいた。初めての戦場が体に堪えたのか、コルベット領に戻って以来体調が優れないのだ。 ……もっとも体調が良くとも、今の彼女は部屋の外に出られない身なのだけれど。 「そう、ですか」 起こした半身にショールを掛けてもらう主を横目に、ウォードは食器に薄味の粥をよそっていく。あとはスープと薬湯を加えれば、それでオルタの昼食はおしまいである。 「そうだ。今の様子はどうなっています?」 コーシェに支えられてテーブルまで来た所で、オルタはそんな質問を投げかけた。 「コルベット卿が指揮を執っています。議会派の残党や、フェーラジンカの方針に付いていけない軍部の部隊が参加しているようですよ」 フェーラジンカが入って以来の王城は、治安が悪化しているという。議会派の主要人物を端から処刑するという噂もあるし、アークウィパスにいた頃の彼とは対照的に、暗い話には事欠かない。 「戦争は……終わらないのですね」 「残念ながら」 いずれにしても、平行線の思想を辿るだけの組織ばかり。最後の一つが残るまで血生臭い戦いが続くのは目に見えている。 それでもいい、とウォードは思う。 目の前の主が死にさえしなければ……フェアベルケンの人間達が潰し合うのは、見ていてそう悪い物でもない。 薬湯をカップに注いだ所で、食事の支度が終わる。 「コーシェイ、だっけ? 殿下の事、ちゃんと守れるんだろうね?」 「うん。大丈夫」 頷いたのはまだ年端もいかない子供だが、先日の戦でもオルタを守ったという。足元の猫は少し気に入らないが、道化女のフィアーノよりは役に立つに違いない。 「では、また後で来ます。これから会議があるそうなので」 「ええ。ウォードも気を付けて」 主の言葉に軽く頷き。 「……はい」 ウォードは扉を閉め、王女の部屋の鍵を再び重く閉ざすのだった。 分厚い壁に背を預け、隻眼の美女は包帯だらけの男にへらりと笑いかけた。 「まあ、死んでなくてよかったよ」 「どうも、手加減されていたようですしね」 ウォードから受けた傷は深いが、致命傷ではない。治癒魔法の使える仲間が合流しさえすれば、すぐにでも動けるようになるだろう。 「で、どうする? これから」 フェーラジンカはグルヴェアに入城した。ミクスアップ軍の残党は軍部と王党派に吸収されており、双方の戦力は確実に増強されている。 時間が経てば経つほど、革命派は不利になる一方だ。 「あのフェーラジンカ相手で、小技は通用しないでしょうしね……」 「詳しいな」 「一応、元同僚でしたので」 この場にいる者の大半がグルーヴェ軍の元関係者だ。ジークの言葉に驚く者などいない。 「とはいえ、ちと、牽制しておきますか」 しかし、彼の次の言葉には誰もが息を飲んだ。 「シェティス、雅華。貴女達、ここの地形は詳しかったですよね?」 ジークが指したのはグルーヴェ地図の北西、山国ラシリーアに近い領域である。峻険な山地には国を越える為の街道もなく、もちろん街も存在しない。 「ええ。一時期、ドラウン様の部隊で駐留していましたから……」 しかし、シェティス達が駐留する意味のある場所だった。 「では、赤兎やクワトロに説明をしておいて下さい。彼ら、あの辺りにあまり詳しくありませんから」 「……って事は、まさか」 そこに至って、一同はジークの言葉の意味を理解した。 「ええ。連中はグルヴェアに移りましたし」 砂漠の北西、山地のふもと。 人の寄りつかぬその場所にあるのは、グルーヴェ王国最大の要害。 「その間に、我々はアークウィパスを戴こうじゃありませんか」 目覚めたのは、マントの敷かれた地面の上だった。 「……生きて、いる」 傷だらけの身を起こし、包帯に包まれたムディアは静かに呟く。 突撃槍降りそそぐアークウィパスの地で最後を迎えたかと思ったが……運良く、一命を取り留めたらしい。 「気が付きましたか」 動かぬ首を無理に動かせば、そこにいたのはネコ族らしきビーワナの娘だった。 「……システィーナ。貴女も来ていたの?」 知り合いどころか、共にアリスを主と仰ぐ同僚である。確か、会議の時に王都に残ると発言したはずだったが……。 「マチタタの案内で、少し」 「そう……」 システィーナは確か冒険者出身だったはず。道案内ならうってつけの人材だろう。 「治癒魔法が使えませんから、少し手間取りましたが……もう数日もすれば、動けるようになるはずですよ?」 腕に巻かれた包帯は、いわゆる冒険者巻きと呼ばれる巻き方がされてあった。街の病院ではけして習えない技法一つ見ても、少女が一流の冒険者だった事は想像に難くない。 「しばらくは私が付いていますから、休んでいて下さい」 頼りになる冒険者の言葉を受けて横になり、ムディアはアークウィパスの戦いを思い出す。 「それにしても、あれは……」 記憶の最後にある角槍の雨。 アルジオーペの正体は自分の不覚だったとしても、あれは想像できるレベルの話ではない。 「終の型、という。超獣甲の奥義だ」 顔を横に向ければ、もう一人の怪我人がいた。男のようだが、こちらも包帯だらけなので人相の判別までは付かない。 目の覚めるような黒髪の美女に付き添われて、静かに天井を見つめている。 「ムディアの近くで倒れていたので、一緒に助けましたが……お知り合いですか?」 「いや、知らぬ」 男も傷が深いらしく、放つ言葉はごく少量だ。 声の張りや雰囲気から、こちらも普通の冒険者でない事は直ぐに理解出来た。 「終の型……ココやグルーヴェでは、レベル3と言いますね」 「普通なら十数年掛けて会得する奥義を、一瞬で得ようとするのだ。代償は、大きかろうよ」 「……代償?」 それ自体は別段変わった話ではない。 ティア・ハートや魔法は自らの魔力を代価として支払うし、プリンセスガードの権力は責任と隣り合わせ。 何事にも対価は付き物なのだ。 「ベネンチーナ……私の友は、あの力の代償として……」 システィーナの口から出た意外な名前に、思わずムディアは息を飲んだ。 「探している姉の顔を、失いました」 無数の塔の居並ぶグルヴェアの都。 砂塵吹きすさぶ尖塔の頂に、男が立っていた。 「マスターは、もう少しで『アレ』を復活出来る、と」 「へぇ」 答えたのは尖塔の屋根の軒、天地逆に立つ美女である。壁を登るビーワナは数多くいるが、銀糸を伸ばして軒先にぶら下がれるビーワナなど、このフェアベルケンには存在しないはずだ。 「なら、あの出来損ないどもに大きな顔をさせる事もないわねぇ」 「然り」 美女の嗤いに、頂に立つ黒甲冑は重々しく頷いた。 「戯れの付き合いとはいえ……あの程度で超獣甲などと、笑わせる」 ビーワナ。 ティアハート・ピュア。 獣機。そして、超獣甲。 全てはフェイク。 オリジナルの前には、児戯にも等しい存在だ。 「では、我等はこれで去るぞ」 「ええ。次に会うときは、また戦場かしらね」 軒下の蜘蛛女が呼んだ男の名は。 「ヴルガリウスに宜しく。フォルミカ」 無尽の名を持つ、死んだはずの名前だった。 |