8.発動、葬列の翼 「くそ……っ!」 乱戦を遠目に見ながら、ロゥは苛立たしげに唇を噛んだ。 ベネやムディア、イシェでさえ前線に出ている。しかし、同じ部隊でロゥだけは後衛の弓術支援に残ったまま。 フェーラジンカはバカな問答にうつつを抜かしているし、イライラは募るばかりだ。 「ロゥ! あれ!」 ロクに当たりもしない弓の照準を付けていると、ハイリガードの悲鳴にも似た声が聞こえてきた。 その声に照準機から視線を外せば、正面の水晶盤に悲鳴の源が写っている。 「何だと……」 獣機、だ。 恐らくは敵の物であろう。漆黒の巨大な騎士が、最前線真っ只中で縦横に剣を振るっているではないか。 「出任せじゃねえか! あの何とかハートってやつ!」 鈍い動きのままの味方獣機を鋭く切り伏せ、大地を薙ぐ度に鮮血のカーテンが視界を遮っていく。結界の効果など、微塵も感じさせない強靱な動きだ。 「行くぞ、ハイリガード!」 「え、あ、ちょっと!」 少女の反応を待つまでもなく、ロゥは騎体を加速、一気に飛翔を駆ける。魔力の推進器が唸りをあげ、重装の騎体を一息で空高くへと持ち上げていく。 雲の傍、有翼種でさえ昇れぬ高みまで瞬く間に辿り着き、推進器を一瞬停止。 下界の混乱など無い、無音の領域だ。 深呼吸し、再度の集中。 高々度で体勢を整え、直滑降から一撃の構え。 「行くぜぇっ!」 ハイリガードの背中で鋼の咆吼が響き渡った。 加速に重力が連なり、重矛の破壊力を乗数的に引き上げていく。 相手は気付いた様子もない。もっとも、上空からの音速打撃、この間合で反応しても防ぐ術などありはしないが。 「ロゥ!」 その漆黒の獣機に付いたままの照準が、ぐらりと揺れた。 「魔力変換率低下! 軌道修正出来ないっ!」 結界だ。 「なっ!?」 目の前の黒い獣機にだけ、結界の影響がないとでもいうのか。 「激突するっ!」 ようやく上を向いた黒い獣機の鋼の貌が、ロゥには嗤ったように見えた。 「ロゥ……だいじょぶ?」 掛けられた声に、少年は無理矢理言葉を捻り出した。 「何とか……な」 全身で痛まない箇所はない。骨も何本か折れているようだが、全身の痛みのせいで場所の特定もおぼつかない。 もちろん、これだけのダメージでそれだけの怪我しかないのは、奇跡的な事なのだが。 「お前は?」 「防御結界に全部回したから。あちこち痛いけど、たぶん平気」 そう答えるハイリガードの被害状況も、似たようなものだ。騎体損傷を示す制御盤には無傷の表示など残っていない。 「……そうか」 少女の言葉に安堵の声。 「でも、これで終わり……かな」 目の前にあるのは、長剣を大きく振り上げている漆黒の獣機。狙いは確かめるまでもなく、こちらの操縦席だ。 「ロゥ、逃げないの?」 獣機結界の中央、大ダメージを受けた直後で、獣機は一歩も動けない。しかし、操縦者だけなら逃げる事も出来る。 「そこまで腰抜けじゃねえよ」 「……バカ」 少女の柔らかな呟きと共に、最後の一撃は振り下ろされた。 ぎぃん、という鈍い音は、ハイリガードの重装甲が断ち切られた音……では、なかった。 「そこで諦めるのは、腰抜けのやる事ではないのかね? ロゥ・スピアード!」 通信機に飛び込んできたのは勇壮な声。 そしてロゥの目の前にあるのは、信じられないものだった。 「クルラコーン! 何で!?」 ジンカの獣機だ。両肩に装甲板状の大型角を備えた、グルーヴェ獣機師団の総指揮官機。 それが漆黒の獣機の剣を受け止め、ロゥの前に立っている。 「クルラコーンは結界の影響を受けぬようでな。アルジオーペが手を加えてくれていたようだ」 ぎりぎりとヴァーミリオンの長剣を押し返す太刀には、朱の名を持つ黒い獣機と同じく出力低下の影響など見られない。 「貴公、フェーラジンカ将軍とお見受けする」 「如何にも。だが、貴公の相手をしている暇は……無い!」 半ばまで押し返した所で蹴打一撃、やや細身のフォルミカの獣機を重量差だけで吹き飛ばす。 「葬角!」 強い叫びと共に両肩の装甲角が展開し、変形を開始した。骨材と見える表面から無数の突起が生まれ、鋭く伸びて槍へと変わる。 無数の骨槍が襲いかかったのは無論、立ち上がろうとしていたフォルミカの漆黒の獣機だ。 「マスター。各通信の発信位置の特定、終わりました」 全身を貫かれ、完全に沈黙した黒い獣機の動きを確かめもせず、獣機の少女は言葉を紡ぐ。 「上出来だ、クルラコーン。データを全指揮所に配信、オルタ姫とジークベルトを押さえるように通達せよ」 数十本もの角槍をもとの装甲板に収め、ジークベルトは足元に倒れている重装獣機に声を掛けた。 「ロゥ。大丈夫か?」 「あ、ああ……。何とかな」 既にハイリガードの獣機化は解除されている。小柄なロゥとはいえ、少女一人運ぶくらいなら造作もない。 「連中の本陣の位置が分かった。ちょいとミクスアップを潰してくるから、後のフォロー、頼むぞ」 「ハァ!? バカか、お前!」 指揮官が本陣を離れるなど聞いた事がない。ましてや、指揮官自身が敵陣の最深部まで突撃するなど……常道外れも良い所だ。 「お前にだけは言われたくないがな……」 無謀な特攻をした男に苦笑を浮かべ、ジンカ。 「それから、俺に不満があったら容赦なく来い」 「は? 訳分かんねえよ!」 意味不明な言葉を残し、ヘラジカの青年は相棒の娘の名を呼んだ。 「超獣甲……クルラコーン突撃形態」 鎧と化した獣機は、ジンカと同じく両肩を装甲板状の角で覆った姿。流石に頭だけでは支えきれないらしく、二つ名の源となった特徴的な双角は背中から固定されていた。 その板状の角が大きく展開し、前面を貫ける形状へと姿を変える。背中側の角も変形し、推進力を全力で後へ放てる形へと。 「レベル3、起動」 「な……っ!?」 ロゥの腕の中にいる少女の驚きと共に、全ての力が炸裂した。 最前線では黒い嵐が渦巻いていた。 並み居る槍の波を払い、剣の林を切り開き、螺旋が廻る度に複数の兵士を戦闘不能にしていく恐慌の旋風だ。 「あいつかっ!」 その嵐に正面から挑む姿があった。 「ベネ! 迅すぎる!」 「やってやれない事もないだろう!」 双の剣を構えたまま、一度目は回避。 過ぎ去ったはずの嵐はくるりと反転し、二度目が来る。 ぎぃん、と鋼のぶつかり合う音がして、ベネの剣の片方が弾き飛ばされた。 「ベネ!」 「なぁに。丁度いいさね!」 相棒の悲鳴にも笑み一つ。ベネンチーナは余裕の表情で残った右の剣を両手で持ち直す。 弾かれたのは構えが甘かったからだ。弾かれさえしなければ、止める事は不可能ではない。 嵐の側も余裕を見せたか、女の装備の変更をじっと待っている。 「ならば、参る!」 声に応じ、嵐も再加速。 女は一歩も動かない。 「その余裕が命取りになるよ!」 鋼同士の打撃音が響き渡り…… 「クロウザ様!」 「ベネ!」 戦いを見守っていたシグとカヤタが、同時に声を掛けた。 「分かっておる。終の型だな!」 その声に応じて嵐は一瞬で微風となり、無風となる。場に降り立ったのは黒マントをまとった男の姿。 退いたクロウザに流されて転ぶ形になったベネを抱き留め、鋭く答える。 「……終の型?」 「ベネ! 魔力が混乱してる。レベル3が来るよ!」 訝しげな表情のベネンチーナだったが、シグの言葉を聞いた瞬間に男が退いた理由を理解した。 「黒マント、ここは一旦休戦だよ! 総員、一時退却だ!」 状況を理解しているらしいクロウザの同意を確かめる様子もない。辺りで戦っている兵、敵味方問わずに声を張り上げる。 「貴公ら、戦っている場合ではない! 直ぐに逃げろ!」 クロウザも同様だ。戦場の中心、乱戦の真っ只中でも朗と響く強い声だが……どちらの声も、乱戦の狂熱に浮かされた兵士達には届かない。 それどころか、嵐が消えたを幸いとばかり、クロウザめがけて剣と槍が殺到するではないか。もちろん、片方の剣を失ったベネも同じだ。 「畜生っ!」 その叫びが響いた瞬間、戦場は真っ二つに両断された。 男には、状況が理解出来なかった。 レヴィーの裏切りがあったとは言え、ブラディ・ハートの前にアークウィパスの獣機達は為す術もなく、勝利さえ目前であったのだ。 だが。 戦場を一瞬で両断し、その真っ只中から現れた巨大な影。主を護ろうと立ち塞がる兵達を触れる事さえなく打ち倒し、今、時告鳥の男の顔をその手で掴んでいる。 人間の形ではない。 異様な甲殻をまとったヒトガタらしきもの。 腕一本で男一人を釣り下げられる、膂力の持ち主。 ……こいつはいったい、なんだ? 「もう少し早く使えれば良かったんだが……お前の居場所が分からなくてなァ、ミクスアップ」 「き……貴様……フェーラジンカか!」 叫んだのはミクスアップ自身ではない。背後から主を助けるべく駆け寄った兵の一人だ。 「然り」 しかしジンカは兵の動きなど気にも留めず、振り向く事すらない。変形した葬角の一部が鋭い槍と化し、呟いた時には既に兵士を貫いているからだ。 「そういうわけで、チェック・メイトだ」 ごきり。 ミクスアップが最後に聴き、理解した音は。 自らの頭蓋の砕け散る音であった。 「クルラコーン。葬角、起動」 それは、これから起こる災厄を前にして、幸せな事であったのか……。 衝撃波に両断された戦場を見下ろせる丘の上、ラピスの冷静な声が状況を解析する。 「マスター。レベル3反応です」 源は最前線。 標的は議会派本陣。 衝撃波は狙い違わず戦場を縦に切り裂き、議会派本陣まで到達している。 「ここまでやる必要は無いだろうに……」 その衝撃波の到達点。議会派軍の本陣では、巨大な翼が伸びつつあった。 全てが角質で構成された、異形の翼が。 百メートルにも及ばんとする翼が立ち上がり、ゆっくりと広がりつつあるのだ。 「過ぎた力の代償がどうなるか見ておくのも一興、ということか」 倒れたままの有翼獅子を見下ろし、クワトロは静かに呟く。応急処置は終わっているが、まだ血は完全に止まっていない。治癒魔法も使えない今の状況では、うかつに動かすわけにもいかなかった。 「ならば、やるしかないか……」 「ロゥ。逃げた方がいいよ」 「……どういう事だ?」 腕の中、淡々とした少女の声が響く。 「将軍の超獣甲の特性、知ってるよね?」 知るもなにも、いま見たばかりだ。無数の槍を生み出し自在に周囲を攻撃する、生体双角である。 「……まさか!」 もし。 先に広がる翼を形成する角質が、その槍と源を同じくする物だとすれば…… 「止めないと!」 「止められないよ!」 立ち上がろうとするロゥを、幼子は必死に抱き留めた。 「やってみないと分かんねえだろ!」 ハイリガードは獣機でも最高クラスの装甲を誇る重装獣機だ。盾や重矛を使いこなせば、かなりの範囲を防御出来るはず。 結界の届かぬ高々度まで上がれれば、出来ない事ではないはずだ。 「超獣甲も出来ないのに!?」 「ハイリガード!」 問いに答えた少女の声は、か細く、弱い物だった。 「ロゥには、選べるの?」 だから、かつては出来ない、と言ったのだ。 「……選ぶ?」 不吉に形を変えていく翼を見上げ、少年は静かに呟く。 「うん。あの力が求める、代価」 ぎし、と翼が軋みを上げる。 「それを払えば、今の状況を何とかできるのか?」 展開の限界が近いのだ。そうなれば、届く範囲全てが甲殻槍に襲われる……。 「マズいな。ラピス、やれるか?」 男は傍の少女を抱き寄せ、友を護れる位置に立つ。 「ブラディ・ハートの獣機結界、レベル3の干渉で消滅したようです。モードシフト、行けます」 衝撃波による最初の混乱は治まりつつある。 だが、真の混乱はこれからだ。 「ならば行くぞ!」 「間に合わんか……仕方あるまい!」 被っていた鋼の陣笠で迫る敵刃を払い、クロウザはカヤタを呼び寄せた。 「馬鹿ばっかりか。ベネ!」 落とした剣を拾わせに行ったシグを呼び、二本の剣を取り戻したベネも高らかにその名を叫んだ。 「ロゥ……なら、行くよ」 「ああ。やってやるよ!」 腕の中の少女の姿が、少年を包む巨大な甲冑へと姿を変えた。 ざわつく兵士達を跳び越え、飛翔し、天上に不吉な象牙の大樹を仰ぐ位置へ辿り着く。 視界全ては昏い象牙色。不吉を、滅びを導く薄気味の悪い色だ。 「必ず止める! 全力で行くぞ!」 その、戦場に蓋する災厄の翼が、爆ぜた。 「超獣甲!」 蒼い鋼が男の全身を覆い、ホルスターから引き抜かれた二丁の大型拳銃が迫る有機槍を端から打ち落とす。 「超獣甲!」 少女の黒髪が黒羽根と散り、男の長身を覆い尽くした。 「二式・荒凰!」 その異形が螺旋を巻いて大きく膨れあがり、無数の羽根手裏剣となって葬角の乱撃を迎え撃つ。 「超獣甲!」 ゆらりと立ち上がった豹頭の鎧が宙を駆け、黒羽根の迎撃を免れた狂気の槍を叩き斬った。 「超獣甲!」 そして轟く爆音に少年の強い声が重なり、白い輝きと共に響き渡る。 |