1.グルヴェアの蠢動 グルーヴェ王国。 ココ王国の南に位置する、軍事国家である。 内海であるセルジラ海に面してはいるものの、隣国セルジーラの要衝ビッグブリッジによって外海との接続は絶たれており、むしろラシリーア王国のような山国という印象が強い。 かといって林業や鉱業に強いかといえばそういうわけでもなく。国土のあちこちに遺された『赤い泉』から生まれる魔物と、北方の遺跡アークウィパスから発掘される古代兵器『獣機』の存在が、軍事国家としての方向を位置付けている。 そんなグルーヴェの首都。 「相変わらず、空が狭いなぁ……」 無数の尖塔に囲まれたグルヴェアの空を見上げ、少女はぼんやりと呟いた。 なにせ『塔の街』の異名を持つ都である。建物の大半は見上げるばかりの高さを持つのだから、広い空など望むべくもない。 「で……ここ、どこだろ?」 大きな伸びをひとつし、ポケットから小さく折られた羊皮紙の地図を取り出した。 少女がこの街を訪れたのはもう何年も前の話になる。古代遺跡を都市化した街とはいえ、数年も経てば街の様相など変わって当然だ。 「……ん?」 ふと。 (ミーニャ……) 雑踏の中。誰かに呼ばれたような気がして、少女は視線を上げた。 (え……?) 人混みの向こう、路地裏に消えた影。 (まさか……) それを追い、少女は我知らず走り出す。 「待ちなさい!」 人波を抜け、細道を駆け、遮る柵を一息に跳躍。しかし影は、少女の追跡を許さない。 追えばその向こう、曲がればさらにその向こう。追っても追っても、その背中より先は見えてこない。 「待ちなさいってば! ミンミ!」 ミーニャは叫ぶ。 「ボンバーミンミ!」 一年ほど前に引き分け、姿を消した宿敵の名を。 「ここ……どこだろ」 結局、ミーニャはさらに迷っていた。 上を見上げても空さえ見えない場所だ。基準の位置も分からないから、地図も役に立たない。どうやら裏町か、街の中でも深い場所に紛れ込んでしまったらしい。 倉庫の奥にも似た木箱の群れを抜けて。明るい方を求めてしばらく歩を進めれば、広く開けた場所にたどり着く。 「……え?」 その先を見た瞬間、少女は目を疑った。 三月ほど前、偶然紛れ込んだ戦場で初めて見た存在が、再び目の前にある。 「獣機……?」 十メートルほどだろうか。人の姿を模した、巨大な甲冑兵器である。 塗られた色は、光さえ吸い込むような黒。 出撃態勢の整えられた一騎のそれが、櫓の中、静かに立っているのだ。 「なんでこんな所に……」 その時、足元の瓦礫ががらりと鳴った。 「ッ!」 次の瞬間には少女の姿はそこには無い。 入れ替わり現れたのは、煉瓦を蹴散らす螺旋の黒渦。ぎゅるぎゅると地面を穿ち、わずかに身を沈める。 形さえ定かでないそれが、ぐいと上を向いたように見えた。 目標を察知。視線のさらに上だ。 跳躍。 「何よっ!」 「そちらこそ何者だ!」 薄桃のワンピースがひらひらと宙に舞い、大きく振られた細い脚が少女の体勢を一瞬で組み替えた。 天井を厚底のブーツで一撃蹴り込み、再び襲い来る漆黒の渦動を一重にかわす。 着地した時は既に次の跳躍体勢だ。跳躍が終わった領域には、入れ替わりに黒い渦がある。 二度、三度、少女は逃げ切り、渦巻く黒外套の一撃を許さない。散らばる瓦礫と砕ける荷物の間を駆け、飛び、反転する。 だが。 (逃げてばっかりじゃ、カッコ悪い!) 強い想いで、だん、と着地。 鋭い視線で、き、と見据える。 相手の動きは渦。強烈な回転運動に己の黒外套を巻き込んで異相を成す、渦動の一撃。 「なら!」 握り込まれた少女の拳が綺羅綺羅と光を放つ。粒子が形となり、形が力となる。 集中は永遠。過ぎる刻は一瞬。 「インフェルノ・パーンチッ!」 見切り、放つのは、ただ一撃。 突き上げるような直線と、押し潰すような回転が、正面から激突する。 空が揺れ、地が穿たれた。 舞う礫が震え、大気の揺らぎを受けて砕け散る。 やがて。 「貴公……名は?」 止まるのは、渦。 回転の止まった外套がふわりと落ち、拳を構えた青年の姿が露わになる。 「この姿の時は、シューパーガールと呼んでくれる?」 抜けるのは、直線。 いつの間に姿を変えたのか、そこにあるのはゴーグルで顔を覆った少女拳士の姿。 「見事ッ!」 空中、少女の正拳の上に己の拳を載せたまま。 螺旋の渦を止められた男は、快哉の声を上げるのだった。 拳を収め、瓦礫に降り立った男に掛けられたのは、鋭い非難の声だった。 「見事、じゃありません」 少女の声だ。獣機の整備櫓の上、膝立ちの姿勢でこちらに標的を定めている。 「貴女、何者ですか?」 はるか遠くからも戦場を制圧できる相手。 弓使い、である。 「ただ迷っただけの……」 「正直におっしゃい」 ミーニャの言葉を弓使いは信じない。 当然だろう。グルヴェアの奥、街人も入り込まないような場所に置かれた施設なのだ。明確な意志なくして迷い込めるような所ではない。 「いや。ただ紛れ込んだだけの部外者だろう」 だが、その言葉を黒外套はあっさりと否定した。 「クロウザ。貴方と互角に戦えるような方が……部外者?」 「これ程の腕を持つ密偵であれば、もうこの場には居まいよ」 それも理屈だ。そもそも追いつめられてもいないのに、クロウザと正面から拳を交えようとはしないだろう。 ぐ……、と弓使いは構えていた弓を降ろし、とりあえずの攻撃態勢を解除する。 「シューパーガールとやら。一応、ここで見た事は王家の機密故、内密にしておいてもらえれば助かるのだが」 「うん。別にいいよ。あたしも迷っただけだし」 こちらもあっさりと了承。声質から、嘘をついている様子もない。 無論、嘘など付いていないのだから当たり前なのだが。 「なら、近場まで送っていこう。メルディア殿、後は頼む。カヤタ、行くぞ」 そう言ってクロウザが外套を翻らせれば、その内にはいつの間に現れたのか、黒髪の美女の姿がある。 「な、何でワタクシが……」 ただ一人残されたメルディアはそうぼやきながらも弓を置き、獣機櫓の上から舞い降りた。 二人の戦いで散らばった瓦礫と、砕けた物資の山を見回してため息を吐き…… 「これは……何?」 壊れた木箱の中からこぼれ落ちた、血の色をした宝石に目を留める。 「グレシア!」 その緋い色にどこか不吉な物を感じ、メルディアは傍仕えの少女の名を呼びかけた。 「ごめんくださーい!」 煉瓦造りの塔に、元気の良い少女の声が響き渡った。 入口の看板には、リーグルー商会と描かれている。フェアベルケンでも数ある交易商の一つだ。 「ああ。ミーニャちゃん。ココの家から連絡はもらってたよ。大丈夫だった?」 中から出て来た男はミーニャの顔を見るなり顔をほころばせた……というより、安堵のため息を吐いた。 「うん。ちょっと迷ったけど、送ってもらったから」 「これはクロウザ様にカヤタ様。傭兵長のクロウザ様に送ってもらったのであれば、安心でございます」 クロウザと言えば、グルーヴェ傭兵部隊のまとめ役である。ほんの数ヶ月前にその任を得て以来、実力とそのカリスマで荒くれ者達の手綱を執ってきた男だ。 「そうか。ミーニャ殿はリーグルーの縁者であったか……」 「にしても……なんか、ずいぶん雰囲気変わっちゃったねぇ、グルヴェア」 尖塔の並ぶ町並みを見回し、ミーニャはぽそりと呟いた。 グルーヴェはもともと軍事国家であるから、街を歩く兵士自体は前からいた。が、今のグルヴェアはその数が明らかに増えている。 「まあ、内乱の真っ只中だからねぇ、この国。陛下やトゥール様だけならまだしも、デバイス様までこの間のクーデターで死んじゃったし」 対する小父もトーンを落とす。 グルーヴェの傀儡政治は国民の間にまで知れ渡っていた。王都の執政は第三王子のデバイスが仕切っていたためまだマシだったのだが、その第三王子まで先日のクーデターの犠牲者になってしまったのだ。 「クロウザ様やフォルミカ様のおかげで、王都はまだ落ち着いてるけど。それでも、冒険者の依頼は物騒な物が多くなって大変だよ……」 グルーヴェのリーグルー商会は死んだデバイスの肝煎りで、冒険者の仕事の斡旋も任せられていた。ココやエノクで言う、冒険者ギルドのようなものである。 「と、これはクロウザ様の前でする話ではありませんでしたな。失礼おば」 「いや、気にせずともよい」 そんな話をしながら、番頭はミーニャから受け取った荷物の封を解いていく。 厳重な封印の施された包みを開き…… 「あれ? ミーニャちゃん。これ、手紙に書いてあったヤツと違うけど」 中から出て来たのは、青紫の宝石が一つだけだった。 指で触れれば、男の生命力を感じて宝石の表面にぴりぴりと微かな紫電が走る。 「へ? でも、ママから預かってきたのはこれだったよ?」 ミーニャはあくまでも母親から頼まれた荷物をグルーヴェに運んできただけ。中身までは知らされていない。 「どうしようかなぁ。雷なんてあっても売れないしなぁ……」 本来は、炎や風など使い勝手の良いティアハートをいくつか送ってもらう手筈だったのだ。冒険者の使う護身・護衛用ティアハートの在庫が切れていたのである。 が、使用者が限定される雷属性のティアハートの引き取り手など……グルーヴェ中を探しても何人いることか。 困る番頭に声が掛けられたのは、ちょうどその時だった。 「ならばそれ、私が引き取りましょう」 商談を終えて卓に戻ってきた若者に、待っていたサングラスの男は苦々しげに呟いた。 「相変わらず危険な事をするな……ジーク。隣のあいつ、国軍の傭兵隊長だろう」 引き取った輝石を片手で弄びながら、ジークと呼ばれた若者は苦笑する。 「貴方も一緒でしょう、クワトロ。貰ったばかりの奥方はどうしました? まさか、そのお嬢さんが奥方という訳ではないでしょう」 「う……」 一番気にしている一言に身を凍らせたクワトロを放って置いて、若者は貴重な魔法石をポケットへ。 旧友には会えた。小間使いも雇えた。おまけにティア・ハートまで手に入れた。用件が全て片づいたわけではないが、これ以上の長居は禁物である。 「とりあえず戻りましょうか。貴方とも合流できたし、今からなら、日が沈む前に帰れるでしょう」 言葉に応じ、卓にいた四人は首を縦に。 「あっ!」 その時、が、という音が響いて何かが落ちる音がした。 見れば、卓についていた四人目の少年だ。どうやら肘を卓のコップにぶつけ、床へ落としてしまったらしい。 「危ないっ!」 しかし、落ちたグラスが砕ける音は響かない。 「危なかったね。ジュースはこぼれちゃったけど、はい」 ミーニャ、である。 「す、すみません」 瞬発的に受け止めたグラスを、表情を伏せた少年に渡してやる。少年はバツの悪い表情を見られたくないのか、顔を伏せたままだ。 「すいません、番頭さん」 「ああ、結構ですよ。それくらい、手前どもで片付けますから」 「では、お願いします。これの代金のほうは、後で使いの者に届けさせますから」 番頭の言葉に少し多めの酒代を払っておいて、ジーク達四人はリーグルー商会を後にするのだった。 |