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8.転章 グルーヴェの紅き海

 アリスはシーラの言葉に、首を傾げてみせた。
「第二次調査?」
「ええ。やはり、グルーヴェの事を放ってはおけないわ」
 そう言い、アリスに羊皮紙の束を渡す。
 数枚流し読めば、それがグルーヴェ調査の詳細な報告書である事が知れた。
「王党派、議会派、軍部派、革命派。だいぶ、数が減っているみたいね」
 先月の報告書では、この三倍の組織がグルーヴェにはあったはず。そして、この組織に共通している点は……。
「……赤の後継者?」
 アリスの言葉に、シーラは静かに頷いた。
「ジークベルト殿やジンカ殿のような人もいるし、そんな国の革命に横槍を入れようとは思わないわ。でも……」
「そうね」
 先日の戴冠式に現れた敵。彼らが絡んでいる以上、革命の裏に何か大きな物が動いているのは間違いないだろう。
 流し読んだ報告書の結論も、その言葉で結んであった。
「第二次調査……いや、後継者の討伐には、こちらからも人を出した方が良さそうね、姉様」


 荒野の中央に、天を衝く尖塔が並んでいた。
 古代タイネス王国の魔術遺跡、北部タイネス尖塔群だ。はるか昔に栄華を極めた古代王朝の秘跡は、建てられてより数千年に及ぶ歴史を誇っている。
 そして、大改装を受けた今の名は、グルーヴェ王都グルヴェア。数千年の遺跡を利用してはいるが、国そのものは生まれてまだ数十年しか経っていない、若い国である。
「フォルミカ! フォルミカはおらんか!」
 中でも一際大きな塔、グルヴェア王城塔の空中回廊に、甲高い男の声が響き渡った。
 王城塔の住人であれば日に五度は聞くヒステリックな罵り声。王無きグルヴェアの主、グルーヴェ大臣ミクスアップの声である。
「は。ここに」
 応じるまでに一瞬の遅滞もない。時告鳥のビーワナである主が神経質な性格ということを、忠実な黒鎧の騎士は良く分かっているのだ。
「アークウィパス攻撃の準備は済んだのか!」
「は。革命派の妨害が多く……月半ばには準備が終わるかと」
 もちろん、問いかけの回答にも澱みはない。
「月半ば、だと?」
 だが、即座に返された答えに、ミクスアップは真っ赤なトサカをさらに逆立てて叫び立てた。
「馬鹿者! その頃にはコルベットもアークウィパスも戦力を整えておるわ! 今がチャンスなのだぞ!」
 グルーヴェに獣機全廃条約が適用されて、数ヶ月が過ぎている。だが、アークウィパスに立てこもる軍部が獣機を廃棄する様子はない。それどころか、若い理想家であるジンカの元には、各地の若い兵士達が集まる気配すらあるのだ。
 そんなジンカを王命に従わぬ賊軍とすれば、いまだ様子を見ている勢力への牽制にもなるし、攻撃を仕掛ける口実にもなる。
 まさに、千載一遇のチャンスなのだ。
「来週だ! 来週までに出撃準備を整えよ! 傭兵をいくら集めても構わん! まだ国庫に余裕はあるであろうが!」
 王城塔に住む誰もが耳を塞ぎたくなる叫び声を響き渡らせ、ミクスアップは執務室へと姿を消した。
「……御意」
 後に残されるのは、忠実な鎧の騎士、フォルミカただ一人……。


 天を衝くような尖塔を重視するのは、グルヴェア地方に古くから伝わる建築様式である。
 そんな塔の一つが、南部はコルベットの地にもあった。
 古代の神々を称える、修道塔である。
「ここにおられましたか。オルタ殿下」
 分厚い樫木で作られた扉をゆっくりと開き、巨漢のラッセは穏やかに声を掛けた。
 修道院の中で膝を落としているのは、修道服に身を包んだ少女である。まだ幼さの残る体は、触れれば折れてしまいそうに細い。
「私、これからどうなるのでしょう……」
 祈りの姿勢のまま、オルタは背後の騎士へ静かに問い掛けた。
「殿下はグルーヴェの第一王位継承者。この戦乱を平定し、新たな王となられるべきお方でしょうに」
「私、王なんかになりたくありません」
 ただ、静かに暮らしていたいだけなのに。
 聖堂の高い天井を見上げ、そう呟く。
 先王の妾腹であるが故に、辺境コルベットの修道院に放り込まれた事に対しても、不満などなかったのだ。権力闘争に巻き込まれるよりも、神に祈って心穏やかに暮らした方がどれだけ幸せな事か。
「殿下……」
 その時、ぎぃ、と扉が開き、巨漢の騎士の左右から二人の女が現れた。
「「オルタ殿下。こちらにおられましたか」」
 同じ声、同じ言葉。同じドレスに同じ金髪。
 巨漢の左右に立つその姿は、騎士を中心に鏡を立てたようにさえ見えた。
「コルベット公……」
 コルベット公領の長、コルベット公爵である。ラッセの双子である彼女達二人が、この領地や修道院を管理しているのだ。
「「外で諸侯がお待ちですよ。まずは、殿下の為に集まった皆に挨拶と労いを」」
 どちらが姉で、どちらが妹かは分からない。行動も考え方も全く同じ二人だから、お気楽なビーワナ達はほとんど気にしていないというのが現状だ。
「本当に、私でなければならないのでしょうか?」
「「勿論ですとも」」
 コルベットの地でグルーヴェ王と王子の国葬が行われたのは、もう二月も前の事になる。その際にグルーヴェ王家最後の一人として諸侯の前に姿を現したのが、オルタ・ルゥ・イング・グルーヴェ。一介の修道女であった彼女なのだ。
 彼女の使命は、グルーヴェ王家を取り戻す事。王城に巣くうミクスアップや、アークウィパスを占領するジンカ、小うるさい革命派どもを蹴散らして、正当な王家が政権を取り戻す事にある。
「「さあ、ヴルガリウス。殿下の案内を」」
「は。殿下、こちらに」
 二本腕の巨漢騎士の導きを受け、ラッセの修道女は修道塔を後にするのだった。



続劇
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