[2012/11/20] 振り下ろされたのは剣。 崩れ落ちるのは、少女の体。 「テ……メェッ!」 ようやく切り伏せた砂ゴブリン達の向こうに見えたその光景に、革鎧の青年は怒りの声を吐き出すだけで精一杯だ。 いまだ慣れない砂を蹴り、血まみれの長剣を切り上げる。 慣れぬ砂漠の戦いとはいえ、刃の冴えまでは衰えはしない。 鈍い悲鳴が歪んだ口から漏れ、少女を殺した砂ゴブリンの最後の一体も、熱い砂の上に倒れ伏した。 「…………くそっ」 戦場にただ一人立っている青年の口から漏れるのは、そんな怒りのひと言だけだ。その怒りが向けられたのは、少女を斬り殺した砂ゴブリンに対してなのか、それとも自分自身なのか。 そんな青年の目の前で。 何かの影が、ゆらりと立ち上がる。 ぎらぎらと陽光で熱された砂の丘。 見上げるばかりのそこからくっきりと落ちる人影は、二つ。 一人は革鎧の青年。砂ゴブリンを倒した剣を腰に提げ、わずかな荷物を肩に担いで、慣れぬ砂の丘を黙々と歩いている。 「いやー。死ぬかと思ったよー」 そしてもう一人は、少女。 先程砂ゴブリンの盗賊に真っ二つにされたはずの少女である。死ぬどころか、先程斬られたはずの傷を痛がる気配すらなく、強い陽光の下でニコニコと笑っているではないか。 「思ったよじゃねえ。ったく、お前が一人くらいなら任せてーって言うから任せたらそのザマか」 そう言われても、特に傷を受けた様子もない。 少女はぷぅっと頬を膨らませると、勇者と呼んだ青年にしなだれかかり……、 「そのざまとかひどーい。あたしが一匹引きつけてあげたから、勇者ちゃん残りの砂ゴブリン相手するだけで済んだんだよー?」 その体が、ずるりと溶け落ちた。 まるですくい上げた水が手の中からこぼれ落ちるかのように。 ただ一つ違うのは、すくい上げた水は地面にこぼれ落ちるだけだが、溶け落ちた少女の転じた液体は青年の体に絡みつき、重力に逆らうように這い上っている事か。 「別に一匹増えたからって変わらねえよ」 青年は少女のそんな振る舞いに慣れっこなのだろう。先程少女が砂漠を歩き回っていた時と変わらぬ様子で、体にじゃれつく液体に悪態を吐くだけだ。 「っつか重い。降りろスライム」 そう。 少女は、人間ではなかった。 スライム……いわゆる、液体の魔物である。少女の姿を取っているのは人間らしき形を真似ているだけに過ぎず、むしろ今のこの液体の姿こそが彼女の本質とも言えた。 「えー。勇者ちゃん暑いかと思ってくっついてあげてるのにー。水分たっぷりだから冷たくてキモチイイでしょー?」 気が付けば、そんなスライムの娘は人型に転じ、青年にじゃれつくようにしがみ付いている。 「……重い」 確かにひんやりとしたスライムの表面は、熱砂の地獄の中では涼しくあったが……かといってそれを面と向かって言えるような性格でもない。 じゃれつくスライム娘が人型にまとまったのを幸い、砂の上にぽいと放り出して、青年は再び黙々と歩き始める。 「ちょっ! レディに向かって重いとか超失礼なんだけど! しかも捨てるし!」 黙々と歩き出す影に、捨てられた影も即座に追いついていく。立ち上がる動作を省略して、そのまま蠕動からの前進を経てほてほてと走り出す辺りが明らかに人間ではなかったけれど。 「……そもそもお前、こんな所にいたら干涸らびるんじゃねえのか?」 そんな、今度は腕にしがみ付いてきた小柄な影に、大柄な影はふと浮かんだ問いを投げかけた。 スライムは液体生物であり、ここは水など端から蒸発してしまう熱砂の地獄だ。いかにスライムが普通の水と違うとは言え、お世辞にも過ごしやすい場所ではないのではないか。 「あれ? 心配してくれてるの?」 「してない。ってか、何でお前こんな所まで付いてきてるんだ」 そもそも青年は、スライムを旅の供に加えた覚えもないのだ。 気が付いたら文字通りまとわりついて来ていて、そのままになっている。斬っても無駄だし、別段人間を襲うわけでもないから倒す気にもならず、結局彼女のしたいようにさせているのだが……。 「勇者ちゃん気に入ったから?」 「迷惑だ。さっさと森に帰れ」 「ひっどーい! 勇者ちゃんのお手伝いだってしてあげる気まんまんなのに!」 腕にしがみ付いていた体がずるりと崩れ、青年の前身にしゅるしゅると絡みついてくる。ひんやりと気持ちいい感覚を覚えながらも……。 「何だっけ……花?」 耳元に聞こえてきた少女の言葉に、嫌な思い出が蘇る。 「……伝説の花」 「そうそうそれそれ! 探してこいって王様の依頼なんでしょ? それだって手伝ってあげるのにー」 青年は勇者だ。 故に、勇者と任じた王国に仕える義務がある。 その王から命じられたのが、伝説の花の探索であった。 その花がどこにあるのか誰も知らない。命じた王はおろか、街の賢者も、王都の図書館にすらその情報はなかったのだ。 ただ、古からの伝説だけがその存在を伝えているに過ぎない。 「…………」 趣味が悪い……最悪の戯れだとは思う。 けれど、青年は勇者であった。 それも剣技に限れば、歴代の中でも屈指と言えるほどに優秀な。 だが、そんな彼の前に倒すべき強力な魔王はおらず、国にも大きな難事はない。王達が彼の存在を持て余し気味だった事も何となくではあるが気付いていた。 それ故に伝説の花の探索は、勇者を国から追放する体の良い命令だったのではないか……遅々として進まない探索を前に、最近はそう思うようにすらなっている。 そんな事を考えながら、青年はふと足を止めた。 「あれ。オアシス、まだあんな遠く?」 思った事は、いまだ体にまとわりついたままのスライムの娘が代弁してくれた。 目前のように見えたオアシスは、今は砂漠の彼方にある。 「……蜃気楼だ。やられた」 遙か彼方の光景を、手前にあるように映し出す、砂漠の幻。魔物の仕業とも、砂漠に施された古代の呪いの一種とも言われているが……それにまんまとだまされてしまったらしい。 「まあいいじゃない。がんばろー!」 首筋にひやりと伝わるスライムの娘の体温を感じながら、青年は再び慣れぬ砂地に足を踏み出すのだった。 じりじりと照りつけるのは、砂漠に降り注ぐ容赦ない陽の光。 「……ねえねえ、勇者ちゃん」 掛けた声に、返事は来ない。 青年の愛想が悪いのは今に始まった事ではない。黙々と歩く青年にほてほてと付いて回りながら、それでもスライムの娘は続けて勇者に声を掛ける。 「ねえってばー」 そんな問いを繰り返すこと……四度目で、ようやく答えが返ってきた。 「……うっせえ。声掛けるな。疲れる」 返ってきた声はわずかにかすれ、ひび割れたもの。 それでも少女は返事が来たのが嬉しくて、乾いた顔の青年ににっこりと笑顔を向けてみせる。 「えーだって、一人で黙々と歩くとか気が滅入るでしょ?」 「うる……せえ」 「ほらほら、元気出してよ。たぶんもうちょっとでオアシスだよー」 彼方には再びオアシスの姿が見えていた。それが蜃気楼かどうかはスライムの娘には分からなかったが、まあ蜃気楼ならまた歩けば良いだけだ。 「うる……せ………」 え、までは聞こえなかった。 青年の愛想の悪い声の代わりに砂原に響くのは、どさ、という鈍い音である。 「……勇者ちゃん? ちょっと、勇者ちゃん!?」 叫び、慌てて少女は青年の脇へと駆け寄った。 触れてみれば、肌が熱い。とりあえず自身の体で抱きしめて冷やしながら、腕をもう一本増やして青年の腰に下がっていた水袋を取り上げる。 「やだ。なんで水空っぽなのよー!」 動物の皮で作られた水袋は、既に空であった。 よく考えれば、蜃気楼のオアシスに着く少し前から男が水を飲む場面を見た覚えがない。恐らくは砂ゴブリンとの戦いの後に水を飲みきってしまい、オアシスで補給するつもりだったのだろう。 「ほら、オアシスもうちょっとなんだよ。頑張ろうよー」 冷やしていても、熱が引く様子はない。 水を飲ませるのが一番の対処だろうと少女も理解していたが、その肝心の水もない。 「伝説の花とかいうの持って帰って、クソ王様って人を見返してやるんでしょー?」 少しでも影になればと、体の一部を引き延ばし、砂を重ねて日よけの代わりにもしてみるが……。 「ちょっと、勇者ちゃんってばー!」 「うる……せぇ………」 漏れたのは、浅い息。 途切れ途切れの言葉は、既に青年の限界が近い事を示していた。 「…………もぅ」 それは、魔物である少女が何度も聞いた息遣いだ。 今際の際の。死を目前とした人間の……息遣い。 違うのは、その死をもたらしたのが少女ではなく、容赦なく降り注ぐ陽光という事である。 「勇者ちゃん……」 故に、少女は囁いた。 まだわずかに意識を残す、青年の耳元に向けて。 「……あたしがいなくなってても、気にせず進んでね?」 そして、小さく微笑んで。 少女は、青年の唇にそっと自身の唇を重ね合わせた。 「…………うぅ」 漏れたのは、吐息。 開くのは、瞳だ。 「あ……れ………」 漏れ出した息は白い。 「生きて……る……?」 そして、見上げた空は……地獄の熱さをもたらす青空ではなく、寒くすらある夜空である。どうやら日が沈むまで、青年は命を長らえる事が出来たらしい。 「あれ……?」 だが、そこで気が付いた。 「おい、いないの……か」 寝転んでいる青年は、一人だけ。 辺りには誰もいない。 人間だけではない。魔物すら……あのいつもまとわりついてきた彼女さえ、いないのだ。 「おい! 返事しろよ! いるんだろ!」 森の中ではぐれた事や、休憩中にどこかにふらりと出掛けていた事はある。それでも彼女はどこからともなく現われたし、青年が出発する頃にはふらりと戻ってきていた。 月明かりに照らされた砂漠は、はるか彼方まで一面の砂。 今日の少女が姿を隠せるような場所は、どこにもない。 「………おい。返事……しろよ……」 青年の知る限り、砂漠に住まうスライム族はいない。 そもそも液体生物であるスライムは、打撃や斬撃には圧倒的な強さを持つものの、熱にはさほど強くないはずだった。魔法を使えない青年が剣の通じないスライムを倒せる気でいたのは、根拠がないわけではなかったのである。 だが……。 「必要ない時はまとわりついてくるくせに……っ」 ようやく記憶の中から浮かんでくるのは、ぼんやりとした意識の中で届いてきた声。 あたしがいなくなってても、気にせず進んでね。 いつもの明るい声で囁いてきたそれに、浮かんできた涙を拭う。 「馬鹿野郎……っ」 空っぽだったはずの水袋には、冷えた水が溢れんばかりに満たされていた。それを大きく煽り、青年は一歩を踏み出してみせる。 彼方にあるのはオアシスの明かり。 蜃気楼ではないそれは、間違いなく、青年の目指す場所であるはずだった。 月が天頂に掛かる頃。 「…………」 ようやくオアシスの街に辿り着いた青年を待っていたのは、青年がよーく知っていた顔である。 「や!」 元気よく手を振るそいつを目にした瞬間、とりあえず抜刀して、ぶった切った。 「んもー。勇者ちゃん。いきなりぶった切るとか何考えてるのよー! どしたのひゃあああああ」 「うるせえ! 何でテメェ生きてるんだよ!」 砂漠で乾ききって死んでしまったのではなかったのか。 切り裂かれた体をあっという間に元に戻した液体の体の、今度は頬を力一杯引っ張りながら、青年は少女の耳元に力一杯の声を叩き付ける。 「いや、勇者ちゃんにお水分けた後、あたしも干涸らびて死にそうだったんだけどさー。もうダメだって思ってダメ元で砂の中に潜ったら、割と浅い所に地下水脈があって復活……みたいな?」 そのまま水の中で水分を補給していたら、地下水脈の出口であるこのオアシスまで流されてしまったのだ。 「みたいなじゃねーっ!」 「いひゃいひゃいいひゃい! スライムだけど形固定してる時に引っ張られたら痛いんだからーっ! やーめーてー」 少女が半泣きになった所でようやくその手を解放し、青年はようやくひと息。 「ったくもぅ。……行くぞ」 「あ、ついてっていいんだ?」 「その代わり、宿代は出さねえぞ」 苛立たしげに呟く青年の首元に、細い腕がまとわりつき……そのまましゅるりと液化する。 「いいもーん。勇者ちゃんにくっついて、鎧のフリするから」 甘えた口調で呟いた時には、既に少女の体はどこにもない。青年の革鎧と外套に紛れ、完全に鎧の一部と化していた。 「…………」 そんな少女の言葉に、青年は街の奥へと歩き出す。 今はとにかく宿を取って、酒と食事を摂りたかった。 「ね、この街の名物って、ぱふぱふなんだってー」 その沈黙が青年流の肯定である事を少女はちゃんと分かっていた。 「スライムのぱふぱふってスゴいんだよ。今夜、してあげよっか?」 だから青年の態度が嬉しくて、紡ぐ言葉はいつもと変わらぬ軽口だ。 「いらんっ!」 奇妙な魔物の娘と、勇者たる青年の旅は続く。 伝説の花が果たしてどこにあるのか……王の最悪の戯れの結果がどうなるのかは、まだ、誰も知らない。 お題:『花』『蜃気楼』『最悪の遊び』+スライム少女(魔物娘テキスト) |