第3話 その名はヒカリ 闇の中。 ぽうと明かりが灯り、小さな世界をぼんやりと照らし出した。 淡い境にノイズが走り、ぼやけた視界に少しずつ黒き残照を刻み込んでいく。 やがて描かれた空間は数回の点滅を繰り返し、ようやく安定。白から黒への、グラデーションの世界を築き上げる。 「ここは……」 チヤカの見ている領域に爽快な色はない。見える限りの、モノクロの世界。 データがまとまらないまま、ぼんやりとログを辿る。イクルとミユマはまだ目を覚まさないのか、体からの反応もない。 「イクルに、随分迷惑かけちゃったわね……」 イクルが気を失う辺りまで確認したところで、世界に色が戻ってきた。 木の天井と簡素なパイプベッド。無造作に転がされた赤い工具箱と、それから……分かる調度はそれだけだった。後は研究所育ちのチヤカにも分からない、不思議な機械の部品のようなものがこれでもかと積み上げられている。 何だかスクラップ置き場で目覚めたような気分になり、陰鬱なため息を一つ。 「……あら」 その横を見れば、スクラップの山に座り込んでいる金髪の男の子と目が合った。頭の上に伸びる二本のアンテナが、彼が人間ではない事を示している。 「あの……」 声を掛けようとするが、返事もない。少年はチヤカをにらむと無言で立ち上がり、そのまま下の階へと姿を消してしまう。最後まで姿を残したアンテナが、ゆらゆらとチヤカの視界に残る。 しばらくすると、誰かが階段を踏むギシギシという音が聞こえてきた。音の質からすると、たぶん二人組だ。 「ああ、起きたんだ?」 そう言って階下から現われたのは、若い女だった。後ろに連れた金髪の少年の、マスターなのだろう。 「びっくりしたよ。いきなり倒れちゃうんだもん」 湯気の立つマグカップを片手にしたまま。あちこちにビスやボルトが散らばるフローリングを安全靴でずかずかと歩き、無造作にベッドの隣へ腰を下ろす。下には小さな部品が転がっているようだが、分厚いツナギはそんな違和感をもろともしない。 「……あなたが?」 貴女、と呼んでいいものか、チヤカは一瞬迷った。 乱雑にかき上げられた髪と化粧気のない顔は、年頃の女性というより少年のそれに近い。来ている服に至っては整備士のそれだ。 正直、イクルの方がまだしも女らしい。 「運んだのはニイハチだけどね。とりあえず、バッテリーだけ補充しといたけど……。中も、見ようか?」 座ったままひょいと手を伸ばし、指を引っかけて工具箱を引き寄せようとして……重さに負け、床に転がってしまう。 「……ヒカリ。そういう時は、ぼくに言ってくれれば」 「や、悪いね」 見かねた金髪が工具箱を手元に持ってきてくれた。 フタを開けば、中にはアンドロイド用の工具がごちゃごちゃと放り込まれている。 「結構……」 ですわ、と続けかけて、チヤカは言葉を止めた。 恵以外の人間に胎内を覗かれるなど論外だったが、恵の家を出た今、彼女の機体をメンテ出来る人間はいない。だからといってただ壊れるのを待つばかりというのも…… まあ、いいか。 そこまで考えて、思い直す。 恵の思い出を抱いたまま、壊れていくのも悪くない。 どうせする事などないのだから。 「……結構ですわ」 「そう? ま、いーわ。特に壊れてるとこも無かったみたいだし」 ぽつりと呟いた女の言葉に、がばりを身を起こ…… 「貴女! 私のからだに……触れましたの!?」 せない。二人が目覚めていないせいか、体がぴくりとも動かないのだ。 「そりゃ、死なれたら気分悪いもの。幸い、設計図はあんたのメモリから参照出来たしね、チェックだけ入れさせてもらったよ」 怒鳴られた事にも平然と、女は答える。 だが、その内容はあまりにも衝撃的な物だった。 「そんな……酷い」 メモリ領域は彼女達の記憶であり、心そのものだ。そこはチヤカ自身しかアクセスできないよう厳重なプロテクトが施されており、体を同じくするイクルやミクマすら簡単に覗けないようになっている。もちろんチヤカも、二人の心の奥を踏みにじるような真似は絶対にしないと決めていた。 それは三人の間に厳然と存在する、大切なルール。 秘めた想いが詰まったそれを、この女は覗いたというのか。 主である恵にさえ見せたことのない、チヤカの一番大切な部分を……。 「ああ、いや、違う違う! 見たのはメモリ表層だけ、あんたの心理領域までは踏み込んでないから! そんな酷いこと、しないって!」 思わず泣き出したチヤカに、女は慌てて訂正した。 「……本当、ですの?」 メモリ表層といえば、恵に動作ログを受け渡したり、イクル達と心で話したりする時に使う、処理空間の一番表面の領域だ。メモリを家に例えれば庭先のようなもの。他人が来ることを前提にしたエリアだから、プロテクトもほとんどないし、見られて困るデータも一切置いていない。 「ダメ元で繋いだらあったからさ……。あんたのマスター、すごく偉いよ」 普通の技術者は、設計図のように重要な物はもっと奥の領域に設定する。他人に知られると困る技術や、盗まれたくないノウハウを使っている場合は特に。 だが、彼女の制作者はあえてそれを一番表面に置いていた。ご丁寧に改良履歴や、細かなノウハウを詳細に書き込んだマニュアルまで付けて。 そんな大切な物を庭先に捨てる真似をした理由は明白だ。 チヤカ達の心を犯さずに、迅速で完璧なメンテナンスと補修が行えるように。ただそれだけのために、この設計図とノウハウで手に入るであろう莫大な利益を全て放り捨てているのだ。 「……あんた達の事が、何より大切なんだね」 この設計図とマニュアルを見れば、制作者の性格は手に取るように分かる。 正直、バカと言っても良いくらいのお人好しだ。この作者は。 「当然……ですわ」 そう。 恵は、バカが付くほどのお人好しだ。 優しくて、暖かくて、機械の自分達を家族のように愛してくれて……でも、それなのに……どうして。 「ち、ちょっと。何? あたし、また何か悪いこと言った!?」 再び泣き出した少女に、技術屋の娘は再び慌てるのだった。 「……なるほど、ねぇ。で、家出してきたと」 チヤカの話を聞き終わると、女は残っていたマグカップの中身をくいと飲み干した。 「まあ、そういう事なら少しウチにいれば?」 「いいんですの?」 疑問符で答える。月姫の所にもタツキの所にもいられない今、願ってもない申し出だった。 「んー。ウチもあたしとニイハチだけだしねぇ。ジャンク屋だから、あんた達には気分良くないかもしれないけど、さ」 生来の機械好きが高じて営むようになったジャンク屋だが、従業員はわずかに二人。後ろに無言で立つ少年が人の三倍働いてくれるとはいえ、常に人手は足りないのだ。 メンテと充電しか出来ないけど、と苦笑する女に、チヤカは首を縦に。ようやく目覚めたイクルとミクマも、了解してくれている。 「じゃ、あんたのマスターに連絡入れとかないとね。きっと心配してる」 「それは……」 言い淀むチヤカを見て今の気持ちを察したのだろう。 「……ん。じゃ、電話は下にあるから、好きに使って」 それだけ言い、ハサミの右手にすっと手を伸ばす。 「あたしは敷島ヒカリ。あっちは助手のニイハチ。よろしくね、チヤカ」 そして、チヤカの奇妙な居候生活が幕を開けた。 |