「ひっく……ぐすん」 暗がりに、泣きじゃくる声が流れた。 既に夜も更けている。静寂に包まれた住宅街に消える、幼い子供の涙声。 やがて、街灯の下にとぼとぼと歩く影が姿を見せる。 赤いマントで小柄な体を覆うようにして歩いている少女。いつもはぴんと立っている元気一杯の左右の角も、今は力なく左右へ垂れていた。 「恵ちゃんの……ばかぁ……」 深夜の街角に、切ない泣き声が響き渡る。 「ばかぁ……」 爪先立ちで身を伸ばし、赤い呼び鈴にそっと指を触れさせたのは……誰あろう、イクルだった。 第1話 ゲッター消失!? 突然の離別 「……え?」 夕飯の支度をしていたチヤカは、恵の言葉に耳を疑った。 「今、何とおっしゃいましたの?」 聞き間違いだろう。聴覚センサーの具合がおかしくなったに違いない。慌てて診断・復プログラムを走らせ、センサーの異常をチェックする。 異常なし。機能は正常。 「……もう一度、お願い出来ますかしら?」 そう言って、恵の言葉を待つ。 恵の言葉はさっきと同じ。 「結婚、しようと思うんだ」 それは、あまりに現実味のない台詞だった。 「……いえ、それは……難しいのではないかと」 「……酷いなぁ、チヤカは」 ご飯をよそおうとしゃもじを取ったチヤカに、恵は苦笑する。 「あ、いえ、そういう意味じゃ……なくて」 自分の言葉の意味に気付き、チヤカは慌てて訂正した。 「その………私と……恵じゃ……」 もちろん恵がモテないという事ではなく、ロボットと人間が法的に結婚は出来ない、という意味だ。 チヤカ達ロボットに籍はないし、それ以前に人権そのものがない。もちろん兜と月姫のような夫婦もいるが……あれはあくまでも自称であって、法的な意味で言えば兜は未だに独身である。 ちなみに、ロボットの権利を主張する保護団体はアンドロイド誕生から五年ほどで発足していた。もっとも彼らの唱える説はかつての奴隷問題を交えた支離滅裂なもので、各国議会の承認を得られるのは千年先か、二千年先か、という程度だったが。 そもそもアンドロイド達が生まれたのは『人間に仕えるため』なのだ。同じ立場の人間を無理矢理仕えさせる奴隷思想とは、問題の根本からして違う。チヤカ達も恵とずっと一緒にいたいとは真剣に願うが、恵と対等な立場に立とうとは思わない。そういう難しい問題に興味がないのだ。 話を戻そう。 「んー。そうじゃなくってね」 恵は腕を組み、思考。考えの根本の違いを説明するのは、簡単なことではない。 「チヤカ達の、お母さんになってくれる人、っていうのかな」 チヤカの手から、しゃもじが落ちた。 「それは……」 月姫の事ではないだろう。研究所で生まれた初期型アンドロイド最後の生き残り。チヤカ達より十五歳も年上の、彼女達がママと呼び慕うきれいなひと。 彼女は恵の上司である兜を夫と呼んで、幸せに暮らしている。そんな月姫と恵が結婚できるはずがない。 でも、月姫でなければ、それは…… いや、まさか。けれど、その意味なら、しかし。 人間の数万倍に値する思考が光の速度で回路を駆け巡り、無数の推論を繰り返す。数千回ものシミュレートの果てに得られた結論は…… 「……人間の、という意味ですか?」 絞り出すような問いかけに、恵は首を縦に振った。 「恵! 私達、何か不備がありましたか? お食事も、お掃除も、お洗濯も……」 失敗も確かにあったけれど、いつも許してくれたではないか。それに最近は、完璧主義のチヤカから見ても満足のいく仕事が続いていたはずだ。 「それに……えっちだって」 しゅんとうなだれ、弱々しく呟く。 恵の満足のいく奉仕が出来なかったのだろうか。恵にねだりすぎたのがいけなかったのだろうか。それとも、恵がいない間に…… そちらに関しては、思い至るフシが次々と浮かんできた。 「チヤカ達が悪いんじゃないんだ。三人とも良くやってくれてるよ。そういうのじゃ……なくってさ」 「じゃあ、何なんですの?」 強い口調で問いつめる。ちゃんと聞かなければ、納得などできない。 「それは……」 恵の口が動き、想いを伝える。 その言葉を聞いたチヤカの体がバラバラに砕け散り…… 冬の夜空へ、そのまま飛び去っていった。 |